山羊と羊の川渡り
川のほとりの木蔭で、セナは荷物番をする。
驢馬のジャンはすでに横たわって眠っていた。お腹を膨らませ、ぷうぷうと鼻提灯を作っている。
カラマルはセナの隣に移動して、丸くなっていた。しかし、アユが目ざとく発見して、盥の中へと入れる。
「カラマルはこっち」
今から川を渡ると察したのか。盥の中に入れられると両手足を投げ出し、腹を上に向けてふて寝しだした。
準備を進めるうちに、リュザールの黒鷲が飛んでくる。
念のため、護衛役としてセナの傍に置いておくのだ。
「おい、セナ。こいつ、怖くないか?」
「ううん、怖くない」
「だったらよかった。こいつを見張りに置いておくから、何かあったら、この前教えた指笛で指示を出せ」
「分かった」
黒鷲は一声鳴いて、近くの木の上に飛び移る。はらりと落ちた羽根を、リュザールは拾って腰から下げている鞄の中に入れた。
鷲から抜けた羽根は、矢羽に最適なのだ。
「アユ、お前は馬に乗れ。乗っても足は濡れるだろうが、全身濡れるよりはマシだろう」
「ありがとう」
リュザールは指示しながら、荷物と着替えを積んだ盥を水に浮かべた。流れてしまわないように、縁に穴を開けて通した紐をしっかり掴んでおく。
「あ!」
「どうした?」
「洗濯物をする時みたいにスカートを結んだら濡れないかも」
「……」
それは、アユの太ももが露わになるという意味である。
想像したリュザールは、良いと思った。
しかし──。
「わっ! 川の水、気持ちいい!」
「ケナン! はしゃぐんじゃないぞ」
「は~い」
兄弟にアユの生脚を見せるわけにはいかない。加えて、太ももには婚姻の印が刻まれているはずだ。あれは、夫以外に見せてはいけないのだ。
「って、脚を見せるのは、ダメだったね」
「そうだったな」
指摘する前に、アユは自分で気づいたようだ。
残念な気持ちで満たされたが、これでいいのだと思うようにする。
そして、川渡りを開始する。
まず、ケナンが川辺まで誘導した家畜の中から、リュザールが山羊のリーダー格を捕獲する。
「リュザールさん、そこの、角が立派な雄!」
「でかいな」
しかし、リュザールは難なく捕獲し、持ち上げた。
これをどうするかといえば──川に投げるのだ。
山羊にとっては慣れたもので、混乱することなくスイスイと泳いで向こう岸を目指す。
山羊のリーダーが川に入ると、残りの山羊が続く。
山羊の移動を見た羊も、追いかけて川に飛び込んでいった。
「アユ、ケナン、行くぞ」
「分かった」
「は~い!」
まず、リュザールが川の中に入る。
冷たいかと思っていたが、ほどよい水温で気持ちがいい。続いて、アユが馬と共に川の中へと入った。馬も気持ちよさそうに、川を泳ぎだす。
「兄ちゃん、行ってくるね!」
「気を付けて、リュザールさんの言うことを聞くんだぞ」
「分かった!」
ケナンは思いきった飛び込みを見せる。
水面からキラキラと、水しぶきが上がっていた。
泳ぎが得意だと言っていたケナンは、魚のように川を泳いでいく。
「ケナン、俺から離れるなよ」
「は~い」
順調に進んでいき、三十分もかからずに渡り切ることができた。
アユには向こう岸にいるセナが見えるようで、手を振っている。
山羊はすべて陸に上がり、あとはのんびり屋の羊を待つばかりだ。
ケナンは犬のように、首を振って水分を飛ばしている。
「おい、アユ。山羊は俺が見ているから、向こうにある木蔭で着替えて来いよ」
「リュザールのほうがびしょ濡れなのに、いいの?」
「俺はいいから、早く行け」
「うん。ありがとう」
アユがいなくなったあと、今度はケナンに着替えるように命じる。
躊躇うことなくケナンは服をすべて脱ぎ、体を拭いていた。まだ、髪の毛に水分が残っているのに服を着ようとしたので、リュザールは制止して大判の布で拭いてやる。
「まだ、濡れているだろうが」
「あはは、くすぐったい!」
「我慢しろ」
ケナンの髪を拭いてやりながら、自分に弟がいたらこんな感じだったのかと考える。
くすくす笑うケナンを見ていたら、悪くないと思うリュザールだった。
リュザールの着替えが終わったころ、羊達もすべて岸へと上がる。
「リュザールさん、羊、綺麗になったね」
「ああ。ちょっと川幅が広いからどうかと思ったが、いい感じに白くなった」
家畜の毛皮は草原の風に混じる砂を浴び、土煙の中を走るのでどうしても汚れてしまう。
毛刈りのあとすべて洗うとしたら大変なことになるので、川渡りをさせることは羊飼いにとってもっとも大事な仕事でもあるのだ。
大きな盥は運べないので、川岸に置いて行く。
土産は鞍にぶら下げ、カラマルはアユの腰鞄の中に納められた。
「よし、行くか」
準備が整ったので、休むことなく出発する。ケナンは山羊と羊に指示を出した。
リュザールとアユは馬に跨り、草原を進んでいく。
一時間と経たずに、リュザールの兄ヒタプの集落へと到着した。
辺りには、馬が放牧されていた。草を食み、尻尾をゆらゆらと揺らしている。
集落の移動式家屋の数は十二ほど。工房もかねているので、リュザールの家屋よりも一回り大きい。
ここに、十世帯、三十人ほどの職人が暮らしている。
「ここは、精霊の結界もない?」
「ああ、そうだ。巫女がいないからな」
家屋の中から一人の男性が出てくる。遠目で見ても、大柄な姿。
それは、リュザールの兄ヒタプだった。