魚の保存食作り
リュザールはアユと共に、湖のほとりで保存食作りを行う。
カラマルはアユを盾にするように、買ってきた魚介類を覗き込んでいた。
雑食であるものの、魚は未知なる生き物だったようだ。
アユが魚の欠片を差し出したが、くんくんと嗅いだあと「キイ!!」と鳴いて下がっていった。どうやら、魚はお気に召さなかったようだ。
「肉しか食わないとか、贅沢だな」
「焼いたり煮たりしたら、食べるかも?」
「そこまでしなくてもいいだろう」
草原の民にとって、魚は貴重だ。美味しい食料の味を覚えさせることはない。
「カラマルはいいから、保存食の作り方を教えてくれ」
「わかった。まずは、塩蔵鰯を作る」
「おう」
塩蔵鰯とは、塩漬けにした鰯を冷暗所で半年間発酵と熟成させ、仕上げにオリーブオイルを垂らして完成させる。
塩気が強いので、調味料としても使う。
鰯を三枚におろし、身は塩漬けにする。残った骨は油でカラっと揚げた。これは、スープの出汁に使うことができるのだ。
「そういやお前、魚捌くの上手いじゃないか」
ハルトスで魚は高級品だと言っていたのに、なぜ捌けるのか。その理由をアユが語る。
「冬になる前に、ハルトスの男達が食料を買い込んでくるんだけど、その中に魚があったの」
山岳地帯の冬は草原のものより厳しい。食料調達も困難となるので、事前に街へ買い出しに出かけるのだ。
「でも、前にハルトスの者は街に下りないと言っていなかったか?」
「そう。基本、下りない」
ハルトスは山の恵みのみで暮らす羊飼いである。しかしそれは、古い者の考えらしい。
「若い人は、そうじゃない。だから、兄や弟が、夜間放牧にでかけると言って、山を下りて買い物にでかけていた」
「そうだったんだな」
大量に買い込んできた食料は、アユに押し付けられる。
果物に肉、魚に野菜など。
彼女は一人、せっせと保存食作りに励んでいたようだ。
「でも、作った物は兄弟が宴会の時に食べる物で、私の口には入らなかった」
「なんだ、それは! 酷い話だ!」
「ハルトスでは、これが普通」
アユの口から語られるハルトスの話は、どれも腹立たしいことばかりである。
男女関係なく、平等に暮らすユルドゥスで育ったリュザールからしてみたらありえないことだった。
「リュザール、怒らないで」
「……」
「今は、幸せだから。ハルトスでのことは、どれも笑い話にしたい」
だから笑ってと、アユは懇願する。
だが、リュザールは笑えなかった。それどころか、瞼が熱くなってじわじわとこみあげるものがある。
「リュザール?」
「俺、今すぐお前を抱きしめたい気分なのに……手がヌメヌメしていて」
魚臭い手を睨みつけるリュザールを見て、アユは笑いだした。
「お前な!」
「だって、おかしいから」
アユの笑顔を見ていたら、憂鬱だった気持ちは消し飛んだ。
◇◇◇
他に、油煮や油漬け、塩を揉み込んだ干物など、大量の保存食を作った。
瓶詰した保存食は、荷車の底に入れて、織物をかけて日光に当てないようにする。
「商売ができそうなほど、作ったな」
「うん。帰ったら、みんなにあげよう」
「そうだな。喜ぶだろう」
陽が沈んだら、次なる牧草地を目指して歩く。
昼間じっくり眠ったので、簡易家屋を片付ける。アユは一度沸騰された湯冷ましを革の水筒に注いできた。
荷車に家屋の骨組みを詰めていると、織物に包まれた荷物を発見する。
「これはなんだ?」
「お義兄さんへの、お土産」
順調にいけば、明日四番目の兄ヒタプがまとめる集落へ到着する。アユは世話になるので、贈り物を用意していたらしい。
「へえ、何を用意したんだ?」
「大したものではないんだけれど」
中身は杏の酒にチーズ、乾燥肉に乾燥果物と、保存が利くアユ特製の食料が包まれていた。
「すごいじゃないか。四兄も、きっと喜ぶ」
四番目の兄ヒタプの集落は、他国からの難民や侵略者の一族に襲われ、家族を亡くした者が多く身を寄せている。
さまざまな民芸品を作って生計を立てるユルドゥスの中でも一風変わった集まりなのだ。
「集落によって、暮らしは違うの?」
「ああ、そうだ。ユルドゥスは三つに分けられている」
羊を飼い、生計を立てるリュザールの父メーレがまとめる第一集落。
戦闘能力に特化し、商隊の護衛で生計を立てるリュザールの一番目の兄ゴーズがまとめる第二集落。
民芸品を作り、生計を立てるリュザールの四番目の兄ヒタプがまとめる第三集落。
「一番変わっているのは、四兄の集落だな。移動しながら暮らしているけれど、巫女がいない」
「それって、大丈夫なの?」
「一見して、ユルドゥスには見えないからな」
第三集落の者は草原の深い中で暮らし、一人一頭馬を持っている。
素早い移動をしながら草原を駆け巡るので、『霧の一族』とも呼ばれていた。
「ユルドゥスって知らない人が多いってこと?」
「そうだな。ただの職人一族だと思っている者がほとんどだろう」
主に作っているのは、馬の鞍だ。
霧の一族の鞍は乗り心地が良いと評判で、注文がひっきりなしにくるらしい。
「侵略者の一族も、職人は襲わない。霧の一族が作る鞍に、奴らも乗っているからだ」
兄ヒタプの行方は鷹が探してきた。
会うのは三年ぶりである。
ヒタプは四人の兄の中でもっとも明るく、快活な青年だ。アユを紹介したら、どんな反応を示すのか。楽しみだった。