魚市場で買い物を
夜間放牧を始めてからセナとケナンは以前よりも明るくなり、のびのびと過ごしていた。
今まで、兄弟はリュザールに遠慮している一面があったが、それもなくなったように思える。
共に過ごす中で互いに理解しあい、相手に甘えるということを覚えたのだろう。
ささやかだけど兄弟にとっては大きな変化を、リュザールは嬉しく思っていた。
変化はセナとケナンだけでない。アユも変わりつつあった。
ハルトスの織物を作るのを止めてから、楽しそうに織物をしている。
「リュザール見て、完成した」
それは以前から織っていた、毛足の長いハルトスの織物である。鮮やかな色合いに、丁寧な織り目、美しい模様、柔らかな手触りなど、どれを取っても素晴らしい一品であった。
そこまで大きいものでなく、出入り口に敷くものだとアユは話す。
「リュザール、これ、市場に売りに出さないほうがいいよね?」
「そうだな」
ユルドゥスから、ハルトス風の織物を売りに出すわけにはいかない。
アユについての情報は、徹底的に隠すつもりだった。
「これは、父上と母上にあげるか」
「うん!」
アユの瞳はキラリと輝く。普段世話になっている礼として、リュザールの両親に何かしたいと思っていたらしい。
「あ、あとね」
アユは織物を裏返し、端にある糸で刺した文字を指差した。ここは通常、生まれた部族と名前を刺繍する。
以前まで、『ハルトスのアユ』と入れていたのだ。
「あのね、これでいい?」
指先でなぞりながら、リュザールは文字を読んだ。
「ユルドゥス、リュザール第一の妻……」
読み上げた瞬間、リュザールは恥ずかしくなる。しかし、嬉しくもあった。
アユはハルトスの呪縛から、逃れることができた。同時に、ユルドゥスに染まってくれている。
「ダメだった?」
「ん? ああ、そうだな。ここがダメだ」
「?」
リュザールが指差したのは、第一の、という部分である。
「どうして?」
「必要ないからだ。ユルドゥスには一夫につき一妻しか迎えない」
「そっか」
「だから──」
リュザールはアユの耳元で囁く。
「第一じゃなくて、唯一の妻と刺繍しろ」
「!」
アユの頬は、だんだんと薔薇色に染まっていく。
それはどこに咲いている花よりも美しい赤だと、リュザールは思った。
◇◇◇
夜間放牧は続く。その中で、街に立ち寄って食料調達を行う。
家畜はセナとケナンに任せ、リュザールとアユは馬に乗り、驢馬を引き連れて買い出しに向かった。
馬は街の外に繋げ、驢馬のジャンだけを連れて行く。
「驢馬、小柄だから街中にも連れて行けるし、便利だな」
「力持ちで、働き者だし」
「だな」
ジャンの頭を撫でたが、特に鳴き声は上げなかった。しかし、続けてアユが撫でてあげると、「ヒーハー」と鳴いた。
鳴き声を聞いたアユがころころと笑うので、なんだか面白くない。
「女好きの驢馬め……!」
ぽつりと呟くと、ジャンはリュザールの足を踏もうとした。
「あ、危なっ!!」
小柄と言っても、体重はリュザールより重い。踏まれたら、一大事である。
「リュザール、どうしたの?」
「……なんでもない」
驢馬のくせに、人の言葉がわかっているような気がする。
警戒が必要だと、リュザールは思った。
港町には中心に市場が開かれ、海から上がった新鮮な魚が並んでいる。
「魚屋が多いな。保存面を考えたら、肉のほうがよかったか?」
「ううん、大丈夫。魚も保存できるよ」
塩漬けにオイル漬け、干物に燻製と、肉同様に保存方法はたくさんある。
草原で暮らしていると、魚介類は滅多に手に入らない。
そのため、アユは爛々とした目で魚市場を眺めていた。
「楽しそうだな」
「山岳地帯で暮らすハルトスでは、海の魚は高級品だったから」
安価で売られている魚を前に、胸のドキドキが止まらない状態らしい。
「私が商人だったら、たくさん魚の保存食を作ってハルトスで大儲けする!」
アユの野望に、リュザールは笑ってしまう。
そんな冗談を言えるようになったのだと、しみじみ思った。
出会ったころは魂が抜けているのかと思うほど、生気に欠けていた。
心配で、ユルドゥスに連れてきてしまうほどに。
けれど今は、生き生きとしている。何よりも、嬉しいことであった。
まず、買い物をする前に、アユが作った乳製品を売った。
この辺りでは乳製品が貴重なようで、想定以上に高く売れた。
「もっとたくさん作っていたら、よかったね」
「いや、このくらいがちょうどいい。ありがとうな」
頬を撫でながら言うと、アユは目を伏せ恥ずかしそうにしていた。
周囲に誰もいなかったら抱きしめていた。それくらいの、可愛らしい反応だった。
今は妻にデレデレしている場合ではない。
気分を入れ替え、買い物を開始する。
「よし! じゃあ、商売ができるほど、魚を買うぞ。それで、一緒に保存食を作ろう」
「うん!」
手を差し出すと、嬉しそうに握ってくる。
リュザールはアユと共に、魚の買い付けを始めた。
「新鮮な魚は黒目が澄んでいて、体の線がスッとしていて、色つやがいい」
目が落ち窪んでいたり、白目が濁っていたり、体に張りがなかったり、表面にぬめりがない魚は新鮮ではない。
リュザールはアユに話しながら、歩いていく。
「リュザール、あれは?」
「新鮮な魚だ」
一つ一つ吟味し、良い魚だけを選んで買った。他に、貝も買う。
生活必需品も買い足し、セナとケナンが待つ放牧地に戻った。