狼祓いの舞
満天の星空のもと、草原に冷たい風が吹く。
真夏とはいえ、夜は冷え込む。
リュザールは焚き火に薪を追加する。煙が立ち上り、暗闇の中に火の粉が雪のように舞った。
羊飼いの兄弟と交代し、家畜を見守る。
焚き火が燃える音と、風になびく草原の音、虫の鳴き声がするだけの静かな夜だった。
そんな中、リュザールは物思いにふける。
アユの親族がアユを探している。その話を絨毯商から聞いた時、リュザールはゾッとしていた。
もしも見つかってしまったら、大変なことになる。
あってはならないことであった。
出会った当初、アユは感情が薄く表情も乏しい少女だった。
しかしそれは、ハルトスでの過酷な扱いによって、何もかも諦めている状態だったからだ。
日の出前から夕暮れまで休みなく働き、食事は男衆が食べ残した物が当たり前。
姉妹には織物作りを押し付けられ、兄弟からは計算や物書きをやるよう命じられる。
宴会は男のみ、女は使用人のような扱いを受ける。それが、ハルトスの普通だった。
もう二度と、アユの表情が曇るようなことがあってはならない。
リュザールは命に代えても、アユを守ることを草原の精霊に誓う。
夜間放牧にアユを連れて行くことは英断だった。
だが、水質が原因で草木染めが上手くいかないアユを見ていたら、元気づけてやりたいと思ってしまったのだ。
以前、夜間放牧について楽しそうに話すアユを覚えていたための判断である。
もしも、夜間放牧の最中にハルトスの家族に見つかってしまったら──と、ここまで考えてリュザールは頭を振った。
悪いことは考えるべきではない。口に出すことも以ての外。すべて、本当のことになってしまう。
草原に伝わる、精霊の教えの一つだ。
セナとケナンが休憩から戻り、リュザールと家畜番を交代する。
月の鳴杖を持ち、立ち上がったところでケナンより質問を受けた。
「リュザールさん、『狼祓いの舞』は踊れる?」
「あ~~……」
狼祓いの舞とは、ユルドゥスに伝わる月の鳴杖を使った儀式の一つだ。
舞を精霊に献上し、狼から家畜を守る。
リュザールは成人の儀のさいに、結婚式の舞と共に習った。
「やっぱり、難しい?」
「いや、結婚式の舞ほどではない」
いくつも型がある結婚式の舞とは違い、狼祓いの舞の動きは単純だ。
「狼祓いの舞、見てみたい!」
暗闇の中でも、ケナンの瞳がキラキラしていることがわかった。
いつも弟を嗜めるセナも、今日は何も言わない。おそらく、ケナンと同じで狼祓いの舞を見たいのだろう。
正直、恥ずかしい。それに、何年もしていないので、うろ覚えでもある。
ただ、幼少期のリュザールも狼祓いの舞を父に見せてくれとせがんだことがあったのだ。
ただただ、恰好よかったことを覚えている。
セナとケナンに舞を見せてくれるような家族はいない。後見人をすると決めたリュザールしか頼める相手はいないのだ。
リュザールは腹を括って、見せてやることにした。
「じゃあ、一回だけ」
「やった!」
ケナンは跳びはねて喜び、セナは淡い笑みを浮かべている。
兄弟の明るい表情を見ていたら、断らなくてよかったと思った。
「先に言っておくが、そんなにすごいもんでもないからな」
パチパチと薪が燃える中、リュザールは久々に狼祓いの舞を踊る。
まず、裸足になって草原に立つ。
真夏の植物は太陽の日差しに負けないよう、固く強く育っていた。恐々足踏みしていると、葉で肌を切ってしまう。それに、精霊も舞を受け取ってくれない。
恥ずかしがらず、堂々とすること。それが、狼祓いの舞なのだ。
息を大きく吸い込んで──はく。準備は整った。
瞳に星を散らしている羊飼いの少年達を見ていたら緊張するので、なるべく視界に入れないようにする。
まず、草原に月の鳴杖の底を打ち付け、鈴を鳴らした。
シャン、シャン、シャン。
鈴の音を響かせることによって、この場を浄化させる作用がある。
焚火の中の薪が、パチンと爆ぜたのを合図にリュザールは舞う。
身の丈よりも長い月の鳴杖をくるりと回し、地面に先端を打つ。
さすれば、狼は人の気配を嫌い逃げていく。
シャン、シャン、シャン。
音が鳴るたびに、風が強くなった。
まるで草原の精霊達が、リュザールの舞に応えてくれているかのよう。
跳び上がって地面を強く踏み、頭上で大きく月の鳴杖を鳴らす。
狼の首を刈る動きをしたら、狼祓いの舞は終わる。
最後に、シャン、シャン、シャンと鈴の音を鳴らし、月の鳴杖を地面に置いた。
ふうと息をはいたら、セナとケナンが拍手をした。
「すごい! すごい!」
「カッコよかった」
どうやら、満足してもらえたようだ。ホッと、安堵する。
いつの間にか強い風は収まり、静かな草原となった。
一仕事終えたリュザールは、アユの待つ簡易家屋を建てた湖のほとりに戻る。
アユは家屋の中にあった絨毯を草原に広げ、ユルドゥスの織物について勉強していたようだ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
絨毯の上には先日アユが染めた羊毛が置かれ、色合いを確認しているようだった。
「私が染めた羊毛、ぜんぶ、ユルドゥスの色だった。嬉しい」
「そうか」
笑顔で話すアユを、リュザールは頬を緩ませながら見つめていた。
自分の判断は間違っていなかった、と思いながら。