ユルドゥスのアユ
牧草を求めて、夕方から夜にかけて移動する。
やはり、夜間放牧は家畜にとっていいものなのだろう。先日、アユが放牧に同行したときより、羊や山羊に元気があった。
暑い日中よりも、涼しい夜間のほうが活動しやすいのだろう。
それは、人も同じようで、セナやケナンも負担が少ないようだ。
今日も兄弟は元気に駆け回り、山羊と羊に元気よく指示を送っている。
リュザールとアユはそんなセナとケナンを温かく見守っていた。
夜間放牧は、目に見えて成果を出している。
家畜は瞬く間にむくむくと肉を付け、毛並みもよくなっていった。
変化はそれだけではない。
「すごい! すごいよ! 交尾も、去年以上にたくさんしてる!」
「ケナン、それ、報告しなくてもいいから」
セナはケナンの首根っこを引っ張り、家畜の群れのほうへと戻っていく。
リュザールはなぜか、明後日の方向を見ていた。
「リュザール、交尾たくさんしているって」
「聞いていた」
「よかったね」
「まあ」
来年はたくさん子どもが産まれるかもしれない。期待が高まる。
◇◇◇
アユは放牧地近くにあった湖の水で、草木染めを行う。
今回は山に近い高原に位置している。もしかしたら、染まる色も違ってくるかもしれない。
羊毛を入れ、アカネの根を入れて煮込む。
ぐつぐつと煮立つ隣で、アユは織物を行う。リュザールに無理をするなと言われているので、ゆっくり丁寧に織ることにしている。
すると、今まで作った物よりも、ずっと愛着が湧いてきた。売りに出すものなのであっても仕方がないが、織り目の一つ一つに想いを込めるということは今までしていなかったことだ。
完成した織物は、今までアユが作った物と違う雰囲気となる。
ここで、鍋の羊毛の確認をした。
木の棒を使い、鍋から出してみる。灯火器を当て、色合いの確認をしてみた。
灯りに照らされた羊毛は、少しだけ色あせたような赤だった。
「……」
ユルドゥスで染めた時よりも色は出ていたが、それでもハルトスの水で作った色は出ない。
「色、出ないか?」
放牧から戻ってきたリュザールが、羊毛とアカネを煮込んだ鍋を覗き込む。
「ユルドゥスの近くの湖よりは染まったと思う」
「そっか」
染まった羊毛を二本の棒に巻き付け、くるくると回して水分を絞った。
「リュザール、私──」
「ん、なんだ?」
「ユルドゥスの、織物を作りたい」
「どういう意味だ?」
「ハルトスにある水や素材を使って作っていた織物を作ることを目指すのではなく、ユルドゥスにある水と材料を使って織物を作りたいと思ったの」
だから、別にハルトスのアカネの赤を出さなくてもいい。ユルドゥスの水から作れる赤を使って、織物を織りたいとアユは思ったのだ。
「私は、ユルドゥスのアユだから」
リュザールは驚いた表情で、アユを見ている。
絨毯は収入に繋がるので、これはリュザールの許しが必要だった。
ハルトスの赤で作った織物は、他の地方の織物よりも高く売れると聞いた時は驚いた。そんなに価値がある品であるとは、思いもしなかったのだ。
ハルトスの中でもその赤を作ることができたのはアユだけだったので、現在織り手は不在ということになる。
もちろん、アユが織物を作ることによって、リュザールが財産を得ることになったら嬉しい。しかしながら、彼はそれを望んでいないと言った。
だったら、アユはハルトス独自の織物ではなく、ユルドゥス独自の織物を織りたいと思ったのだ。
「リュザール、ダメ?」
「いや、ダメじゃない。しかし、織物の赤は、お前のこだわりだと思っていたから」
「それは、ハルトスにいた時の話。今は、違うって気づいた」
模様や織り方も、ユルドゥスのものを知りたい。
リュザールの義姉であるケリアは、素晴らしい織物を織ると聞いていたので弟子入りしたいとも思っている。
リュザールはアユの隣に座り込み、しばし黙り込む。
アユは彼の袖をぎゅっと握り、顔を見つめた。
リュザールはアユと目を合わせないままで、話し始める。
「……実を言えば、ずっと、ハルトスの赤は出さないほうがいいって、思っていたんだ」
「それは、どうして?」
「お前の行方が、織物から付きそうだと思って」
「行方?」
「確かな話ではないが……」
リュザールは言いよどみながらも、アユに自らの考えを伝えた。
「お前の親族は、行方を探していると思う」
都で売るはずだったアユは、命乞いに使われた。
そして、得るはずだった金は手に入らなかったのだ。
さらに、皆で作っていたと思っていた織物は、アユ一人で作った物だったことが判明し、売りに出したことを惜しんでいるのではと推測しているようだ。
「家族が、私を、探している?」
「そうだ。絨毯商もそれっぽい話をしていただろう?」
「……」
あの時はショックを受けていたので、記憶が曖昧となっていたのだ。
ハルトスに帰ることは、まったく考えていない。
もしも、家族が手を差し伸べても、アユは絶対に手を取らないだろう。
「だったらなんで、夜間放牧に誘ってくれたの?」
「それは……お前の元気がなかったから」
その場しのぎの判断だったと、反省の意を示す。
「この辺の水質では、ハルトスの赤は作れないだろうって、思っていた。硬い水は、この辺で育った羊が登れないような、高く急峻な場所に湧いていると聞いたことがあったんだ。けれど、元気になったお前を見ていたら、なかなか言いだせなくて」
「……」
「こうして、決意したあとに言うことになって、申し訳ないとおも──」
アユはリュザールを抱きしめる。
こみ上げる感情は、喜びであった。
リュザールはアユのためを想って、夜間放牧に連れてきてくれた。
こんなにも、アユのことを考えてくれる人は他にいない。
それが、嬉しくてたまらなかったのだ。
「リュザール、ありがとう」
そっと耳元で囁く。想いに応えるように、リュザールはアユを抱き返してくれた。