いつもとは違う感情
簡易家屋は、眠るためだけに建てるもので、大人二人が眠れるくらいの大きさしかない。
この距離で眠れるのか。アユは寝転がってみる。
すぐ隣にリュザールが横になることを考えたら、照れてしまった。
夜間放牧に出かけてから、アユはソワソワドキドキしていた。
ハルトスにいた時も夜間放牧は楽しかったが、今回はその時以上だと思う。
それは、リュザールが一緒だからだろう。
しばらく経って、リュザールは水浴びから戻ってくる。
簡易家屋の入り口で、呆然としているように見えた。
ぽたりと、小麦色の髪から水が滴る。どうやら綺麗に拭いていないようだ。
アユはふっと微笑み、リュザールの手を引いて座らせる。
背中のほうへ回り込み、大判の布で髪を拭いてあげた。
「五歳の弟も、こうして髪が濡れたままで歩き回っていた」
「五歳児と同じ扱いかよ」
「そう」
髪を濡らしたまま過ごすと、風邪を引いてしまう。だから、しっかりと拭いてあげた。
「……おい」
「何?」
「……体が、当たっている」
「あ、ごめんなさい」
一生懸命になるあまり、リュザールの背中にぴったりと密着する体勢になっていたようだ。
よくよく見たら、リュザールの耳は真っ赤になっている。
こんな風にくっついただけで照れるなど、なんて純情な男性なのかとアユは思う。
ふと、このまま背中に抱き着いたら怒るだろうかと、そんなことさえ考えてしまった。
「髪、乾いた」
「ああ、ありがとう」
あとは眠るだけ。
暗くなって眠る夜とは違い、夜間放牧期間は昼間に眠る。
気温も上がってきていたが、湖で体を冷やしたあとなので少し肌寒いくらいだ。
リュザールがごろりと横たわり、アユも続く。
「草原の精霊達よ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「それからアユも、おやすみ」
「おやすみ」
言葉を交わしたあと、リュザールは再びアユに背中を向ける。
真っ赤になった耳は元に戻っていなかった。
こうして、近くで眠ることが恥ずかしいのか。聞きたかったが、怒られるだろうと思って止めておいた。
しだいに、頭上で眠っているカラマルのぴいぴいという寝息が聞こえた。
それを聞いているうちに、アユも微睡む。
移動で疲れていたこともあって、ぐっすり眠ってしまった。
夕方、家畜達の鳴き声で目を覚ます。柵の中から解放し、近くの湖で水を飲ませているのだろう。
陽が傾き、気温は下がっていく。リュザールは肌寒さを感じたからか、アユを抱きしめて眠っていた。いつものことである。
この状態を脱出するには、体を大きく捻る必要があった。
しかし今日は、アユの腿の上にリュザールの足があって動かせない。完全な拘束状態だった。
こうなったら、声をかけて起こすしかない。
「リュザール、起きて」
「うう……ん」
「リュザール、今から仕事の時間だから」
「あさ?」
「そう、朝」
リュザールはうっすら目を開く。夏の生命力にあふれる濃緑に似た瞳が、アユを覗き込んだ。
「な、何?」
じっと見つめてくるので、アユはたじろぐ。
何を思ったのか、リュザールはアユの額に顔を近づけ、精霊石を避けて口付けをした。
そのあと、再びぎゅっと抱きしめられる。
アユは肌が粟立ち、全身の力が抜けて、意識もぼうっとなる。
が、山羊の鳴き声を聞いて我に返った。
「リュザール、起きて!!」
それは羊飼いの大声だった。一発で、リュザールの意識は覚醒する。
「うわっ! って、うわ!!」
リュザールはアユの声に驚き、アユを抱きしめる自らに驚いていたようだ。
やはり、あの口付けは無意識の行動だったか。
熱湯に浸かったように顔を赤くさせるアユに、リュザールは謝った。
「俺、なっ、何を」
「いつもだから」
「え?」
「リュザール、毎日夜明けにはこうして、私で暖を取っている」
「そ、そうだったのか?」
「嘘は言わない」
「だ、だよな」
リュザールは消え入りそうな声で謝った。
「別に、嫌なわけじゃないから」
「あ、そっか」
アユの報告にリュザールは安堵するのと同時に、顔を赤くさせる。アユも、恥ずかしいことを言った気がして照れてしまった。
「たぶん、リュザールは、自分の精霊石を求めているんだと思う。いつも、触っている」
「一緒に生まれたから、片割れのような物なのかもしれない」
だから、アユは気にするなと重ねて言った。
夕暮れ時まで眠っていた夫婦と違い、セナとケナンはすでに働いている。
搾りたての羊乳を持ってきてくれた。
これと羊肉で、スープを作る。
コトコト煮込んでいる間、織物を作る羊毛を選んだ。明るいうちに色合いを確認しておかないと、夜になったら判別がつかなくなる。
夜間放牧先で作るのは、絨毯のように大きなものではなく、机に置くような小さなものだ。
小さな織機を使い、膝の上で織っていく。
一仕事終えたセナとケナンが、食事をしにやってきた。
「アユさん、夕食は何?」
「羊肉のスープ」
「やった!」
喜んでいたケナンであったが、乳白色のスープを見て真顔になった。
「これって、羊の乳のスープ?」
「そうだけど」
「羊肉を羊の乳で煮込むなんて、残酷な!」
子どもの思いもよらない発想に、アユは笑ってしまった。