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夜間放牧へ

 夜間放牧に出かけるアユに、イミカンが驢馬を贈ってくれた。

 いつの間に用意したのか、跨れるように新品の鞍もついている。


 リュザールとアユは、想定外の贈り物を前に、目を丸くしていた。


三義兄さんにい、いいの?」

「ああ、いいよ。結婚祝いも渡していなかったからね」


 イミカンは驢馬に親友という意味がある『ジャン』と名付け、可愛がっていたらしい。


「毎日、散歩に連れて行ってくれているだろう? すると、ジャンが君を目で追うようになって」


 エリンやイーイトと草原に出かける際、リュザールが目を吊り上げて何か動物を連れて行けと口を酸っぱくして言うのだ。

 草原には稀に狼がでるため、警戒が必要なのである。


「狼は夜行性だけどね」

 

 イミカンはちらりとリュザールを見ながら言う。


「知っているが、万が一のことがあるだろうが」

「リュザールは愛妻家なんだ」

「は? こんなの、普通だし」


 イミカンがリュザールの頭を撫でようとしたが、手で払っていた。

 相変わらず、兄弟のやりとりは面白い。


 驢馬は羊飼いにとってありがたい存在である。のんびりしているが、力持ちで気性は穏やか。

 放牧向きの動物なのだ。


「驢馬のジャンをくれて、ありがとう。大事にする」

「ああ、よろしくね」


 アユがジャンのほうを見ると、元気よく『ヒーハー』と鳴いていた。


「え、ジャンの鳴き声初めて聞いたかも」

「三兄も聞いたことなかったのかよ」

「へえ、そんな声だったんだね」


 そろそろ準備を再開させなければならない。アユが手綱を引くと、従順な様子でついてきた。


「え、従順な様子も、初めて見たよ」

「三兄、本当に驢馬と親友だったのか?」

「そう思っていたのは、こちらだけだったのかもしれない」


 がっくりと項垂れるイミカンの背を、リュザールは優しく撫でていた。


 ◇◇◇


 簡易家屋に、敷物、鍋、食料、着替え、月の鳴杖、毛布に組み立て式の織機と、さまざまな道具を荷車に積む。これを、驢馬のジャンが牽くのだ。


 今回の夜間放牧は約二十日間。ここから北上し、野山の裾をぐるりと回ってユルドゥスの夏営地に戻ってくる予定だ。


 アユはいつになく、わくわくとしている。今回はリュザールと一緒だからだ。


「アユ、準備できたか?」

「うん」


 出発する前に、義両親に挨拶に向かった。


「くれぐれも、狼には気を付けるように」

「それから、侵略者の一族にも、ですよ」


 リュザールとアユが向かうのは、大草原と呼ばれる場所だ。土地勘がない者ならば迷ってしまうために、侵略者の一族は近寄らない。しかし、相手は神出鬼没のため、油断は大敵である。


「可能であれば、兄達にも挨拶をしてこい」


 他の土地で夏営地を開いている一番上の兄ゴーズと、四番目の兄ヒタプは、それぞれ別の集落を引き連れている。機会があれば、結婚の挨拶を行うらしい。


「他に、作った絨毯を商人に届けたり、買い物をしたり、情報を仕入れたりと、いろいろ仕事はある」

「うん」


 もちろん、二人だけでは難しいので、セナとケナンも連れて行く。

 二人共、初めてのことだったので、ソワソワと落ち着かない様子を見せていた。


 陽が沈んだあと、一行は夜間放牧の旅に出る。


 ◇◇◇


 ガラガラ、ガラガラと、草原に荷車を牽く音が鳴り響く。驢馬のジャンはせっせと荷車を牽いて歩いている。一日中ぐうたらしていた驢馬とは思えない。力持ちのようで、難なく荷物を運んでいた。

 アユは月の鳴杖を持ち、ジャンの少し前を歩いている。

 リュザールも馬を引き、羊と山羊の動向を見守っていた。


 セナとケナンは、群れを先導している。


 穏やかな夜だった。

 穏やかな夜風が、草原を撫でる。


 ここで、遠くから狼の遠吠えが聞こえた。

 すぐに背後を振り返ったリュザールに、アユは言う。


「大丈夫。声は遠い。それに、狙っているような鳴き声じゃなかった」

「分かるのか?」

「なんとなくだけど」


 襲い来るまえの狼は、もっと飢えた鳴き声を発する。

 基本的に、狼は臆病だ。群れの中に人がいたら、近寄って来ない。

 危険な時は、狼が酷く飢えている時。


「それから、病気になっている時」

「病気だと?」

「そう。感染症の一つで、病気にかかった狼は、人を恐れなくなる」


 遊牧民と狼の戦いの歴史は果てしなく長い。うんざりするほどの年月を戦ってきた。

 その中でもっとも恐れているのは、狼に咬み殺されることではない。

 病気に感染した狼に咬まれることだ。


「狼の病気か……。それは、初めて聞く」

「ハルトス周辺では、たまにあった。咬まれた人は、絶対に死ぬ」


 臆病な狼が興奮状態で襲ってきた時は最大限の注意が必要だ。

 病気にかかった狼はなぜか水を怖がる。そのため、ハルトスでは『恐水病』と呼んでいた。


 そんなことを話しているうちに、羊や山羊の好む植物が広がる地帯へ到着した。周辺には木々が生い茂り、日中休ませるのに最適な場所でもある。

 今日はここで、放牧させることにした。 


 まずは、昼間羊と山羊を囲む柵を木の周りに建てる。

 リュザールとセナ、ケナンが協力して、地面に木を打つ。


 その間、アユは料理を行うことにした。

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