市場にて
昼食を終えたあとは、市場で買い物を行う。
「好きな物を買ってやるから、すぐに言えよ」
「ありがとう」
そう宣言したものの、アユが素直に物を欲しがるとは思えない。歩きながらも、様子を観察していなければとリュザールは思う。
一歩踏み出したのと同時に、アユはリュザールの上着を引いた。
「ん、なんだ?」
「あれ」
アユが指したのは、ロクムを売る菓子店だった。
「あれが、欲しいのか?」
「前に、イーイトが食べたがっていたから」
「あ!」
そういえば、以前買ってくる約束をしていたのに、忘れていたことがあった。その時の会話を、アユは覚えていたのだろう。
「リュザール、ロクムって、どんなお菓子なの?」
「ああ、あれはモチモチした生地の中に、ナッツが入った菓子だ。って、実際に食べたほうが分かりやすいかもな」
店先には、赤や黄色、緑など色鮮やかな色合いのロクムが並んでいる。リュザールは店員に断って、味見をさせてもらった。
「ほら」
手のひらに置かれたピスタチオのロクムを、アユは不思議そうに眺めている。
「食べてみろよ」
「お代は?」
「試食だからいいんだよ」
「そうなんだ」
高原では、試しに食べて買うかどうか判断する、ということはしないようだ。
商品を運ぶ商人も大変な思いをしているので、選択は買うしかないの一択なのだろう。
ロクムを食べたアユは、頬を緩ませていた。
「どうだ?」
「甘くて、美味しくって、食感が面白い」
子ども達が大好きな理由を、理解したようだ。
「リュザール、エリンの分も買って」
「分かっているよ」
ヘーゼルナッツ味、ピスタチオ味、桜桃味、胡桃味を購入する。
「では、こちらをお二つ、だね?」
「あ、もう一つ追加してくれ」
「まいど」
紙に包まれたロクムを三つ買い、一つはアユにあげた。
「これは?」
「お前の分だ」
「ありがとう、リュザール」
アユはロクムの入った包みを胸に抱き、笑顔で礼を言った。
その後、貴金属屋の前を通ってみたが、アユは一瞥もせずに歩いていた。
美しいランプが並べられた店も、ビーズを使った可愛らしい小物が並ぶ店も、興味がないようである。
無理矢理与えても意味がない。アユが欲しいと思う物を買ってあげたいのだ。
このまま何も買わずに市場を通過してしまうと思っていたが、予想もしていない品にアユが興味を示した。
「リュザール、見て、鉄串がある!」
アユはリュザールの服の袖を引き、店先へと近づいた。
「わっ、すごい。持ち手が、カラマルとカラマル!」
持ち手が烏賊と烏賊とはどういう意味なのか。売り場を覗き込んでみた。
その店は調理用具を売る店で、短剣やナイフなどの刃物も扱っている。その中に鉄串があったようだ。
カラマルとカラマルと言った言葉の謎はすぐに解明される。
烏賊の形を模した持ち手の鉄串と、白イタチを模した持ち手の鉄串が売っていたのだ。
アユは腰からさげた袋の中のカラマルを取り出し、リュザールに見せる。
カラマルは鼻風船ぷうぷうと膨らませながら、眠っていた。
「そっくりでしょう?」
「ああ、まあな」
リュザールはカラマルの額を指先で突いたが、目を覚ますことはなかった。
「じゃあ、この鉄串を買って帰るか?」
「いいの?」
「欲しいんだろう?」
アユは頬を染め、コクリと頷いた。
「じゃあ……カラマルの分を含めて三つ……念のために四本買っておくか」
「ありがとう」
アユは目を潤ませながら、喜んでいた。
その後、アユに荷物を入れるフェルト製の肩かけ鞄を買い与える。すると、アユはいそいそと買った商品を入れていた。最後にカラマルも詰め込む。息ができるように、鞄の隙間から鼻先を出してやるのも忘れない。
他に、魚介や果物、野菜を購入し、医者の家に戻ることにした。
「あ、おかえりなさい」
「ただいま」
医者に笑顔で迎えられる。手には摘んだ薬草を入れた籠を持っていた。
「患者が来ているのか?」
「来るわけないよ。こんな建物が傾いた診療所に」
医者の言葉を受けて、リュザールは改めて診療所を仰ぎ見る。扉は開いたままで、閉じたら開かずの扉になるようだ。窓のガラスにはヒビが入っている。建物全体はありえないほどに傾いていた。
一見して、人が住んでいるようには見えない。
「アユ、お前、よくここに俺を連れてきてくれたな」
「藁にも縋るような状況だったから」
夫婦の会話を聞いた医者は、大笑いしていた。
「本当に、奥さんはすごいよ。二日酔いの医者に、治療をするように凄んできたから」
それからチラリと、切なそうに扉を見る。
「あれも、奥さんが蹴りを入れて開け閉めしていたから、閉まらなくなって」
「ごめんなさい」
「いや、いいよ。もう、ここから出て行くから」
ということは、ユルドゥスに来てくれるということなのか。
期待の眼差しを、リュザールとアユは医者に向けた。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。なんちゃって」
「いいのか?」
「ここで酒ばかり飲んで気を紛らわせているより、必要としてくれる人達の役に立ちたいからね」
「ありがとう。ユルドゥスは、医者を歓迎する」
「嬉しいよ。本当に」
リュザールは医者と熱い握手を交わした。