草原で朝食を
朝、珈琲の良い匂いでリュザールは目を覚ます。
火の番をしていたが、知らないうちに眠ってしまったようだ。
すぐ近くにアユがいて、目が合うと「おはよう」と言った。
少し照れたような、はにかみ顔だった。
一瞬言葉に詰まったものの、リュザールは言葉を返す。
「……おはよう」
だんだんと、リュザールも照れくさくなってくる。家族以外と、こうして朝を過ごすことは初めてだった。
まずは目を覚ますため、湖に顔を洗いに行った。
なんだかぼんやりしていて顔全体が熱いので、頭全体を湖に浸けたくなる。
髪を乾かすのが面倒なので、しなかったが。
湖の水は案外冷たかったので、しっかり目は覚めた。
腰ベルトに吊るす鞄から取り出したのは、缶に入った粉末ミント。これで、歯を磨く。
続いて、オリーブの石鹸を泡立てて顎に付け、顎にうっすら生えた髭をナイフで剃る。
これで、完全にすっきりとなった。
焚火のもとへ戻る。
そこにはオリーブの枝葉を重ねて皿にしたものに、焼いた肉が置かれていた。表面にはほどよい焼き色が付いていて、美味しそうだ。
傍らには、珈琲が置かれている。
猫舌だと言っていたのを覚えていたからか、湯気は上がっていない。
「すごいなというか、肉、どうしたんだ?」
「鷲が」
「ああ、あいつか」
毎朝ではないが、リュザールの黒鷲は気まぐれに兎を狩ってくる日がある。
「でもあいつ、餌をやらないと、渡さなかっただろう?」
「蛙と、交換した」
「は!?」
アユは湖で蛙を捕まえ、黒鷲と交換したと言う。
「あいつ、お前との交換に応じたのか?」
リュザールの顔を、アユはじっと見つめた。
「信じらんねえ」
リュザールの黒鷲は一族の持つ鷲の中でもひときわ大きく、男でさえ恐れる者もいた。
しかし、アユは黒鷲を恐れず、取引を行ったようだ。
驚くべきことであるが、そんなことはさておいて。
朝食を食べることにした。
まずは、珈琲を一口。
「――え!?」
いつも飲んでいるものより濃厚で、ほどよい苦味と甘さがある。
今まで飲んでいたどの珈琲よりも、美味しかったのだ。
「おい、これ、砂糖以外に何か入れたのか?」
「何も」
淹れ方次第でこうも変わるのかと驚く。
「お前、これで店を開けるぞ」
そう言ったら、アユはほのかに微笑んだ。
リュザールはサッと顔を逸らし、珈琲を飲む。
「メシにするぞ」
リュザールは鞄の中から、ムスル・エキメイ――トウモロコシのパンを取り出して、アユに手渡す。
「ありがとう」
「今日は移動するから、よく食っておけ」
馬に乗っているだけであるが、案外疲れる。
トウモロコシは栄養豊富で、疲れている時の免疫力低下を防止する効果もある。
買い出しに出る時は、兄嫁が毎回焼いて持たせてくれるのだ。
「正直あんま、美味くもねえけどな」
トウモロコシのパンはボソボソしていて食感が悪く、ごくんと飲み込むのにも力がいる。そんな感じのパンだ。
「いや、まあ、これは、義姉さんが料理下手だからと言うか――」
二番目の兄の嫁は、独身であるリュザールを心配し、夕食に呼んでくれたり、こうして買い出しに行くと言ったらパンを焼いてくれたりする。
しかし……不味い……否、美味しくないのだ。
兄嫁の料理には、リュザールを心配する想いが込められている。
不味いなどと、口が裂けても言えるわけがない。
鞄の中からオリーブオイルと、ベヤズ・ペイニールという朝食用の山羊の白チーズを取り出した。
トウモロコシのパンは、オリーブオイルに浸すとパサパサ感がマシになる。チーズは口直しに食べるのだ。
アユはオリーブオイル、白チーズ、トウモロコシのパンをすべて自身のもとへと引き寄せる。
いったい何をするのか。
リュザールはアユの行動を見守った。
アユは鍋にオリーブオイルを敷いて熱している間に、トウモロコシのパンと白チーズを薄く切り分けていく。
鍋が温まったら、まずトウモロコシのパンを焼いた。
ジュウジュウと音をたて、トウモロコシの香ばしい匂いが漂う。
パンの両面に焼き色が付いたら、白チーズを上に置いた。
オリーブの葉枝を鍋の蓋のように被せ、鍋を火から下ろしてしばし待つ。
数十秒後――オリーブの葉枝をどかすと、パンの上に載せたチーズの匂いがふわりと香ってきた。
上から、ローズマリーを散らしたら完成だ。
熱いので、皿代わりにした葉の上に載せて、リュザールへ差し出す。
トウモロコシのパンは、ひと手間加えられて驚くべき変貌を遂げていた。
リュザールはナイフでパンを一口大に切り、ふうふうと冷ましてから食べる。
「――むっ!?」
モソモソのパンはカリカリになっており、温めたことによってトウモロコシの甘味が引き立つ。
上に載せたチーズはなめらかで少々しょっぱいが、甘いパンとの相性は抜群だ。
夢中になって食べていたら、アユが兎の肉とチーズを載せたパンを差し出してくる。
ほどよく冷めたそれを無言で受け取り、一口で食べた。
「んん!?」
歯ごたえのある肉を噛むと、肉汁がじゅわっと溢れる。この辺にいる兎肉は少々野性味が強いが、チーズの風味が打ち消してくれていた。
「なんだこれ……すごく美味い!」
美味しいから、アユにも食べるように言う。
トウモロコシのパンは、アユの工夫で絶品のごちそうとなった。