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アユの絨毯 その二

 あの絨毯は、アユが作ったものだったようだ。しかも、嫁入り道具だったという。


「きちんと見ていないから、分からないけれど……たぶん、私が作った絨毯だと、思う。もう一度見たら、確信できるけれど」

「見に行くか?」


 アユは強く、リュザールの服の袖を握る。きっと、見なかった振りはできないのだろう。

 リュザールはアユの手を握り、再び絨毯商の店に近づいた。


「少し、この絨毯を見せてくれ」

「もちろんです! 中古品ですが、とても状態もよく、織り目も柄も美しいです。どうぞ、触ってみてください」


 アユはそっと、絨毯に触れる。その瞳に映る切ない色は、故郷への切ない想いか。


「こちらの織物が、なんというかご存じですか?」


 商人の問いかけに、アユがボソリと答えた。


「ハル」

「そうです! あの少数遊牧民のハルトスが作った絨毯なんですよ!」


 毛足の長い織物を、『ハル』と呼ぶらしい。

 対して毛足の短い織物は、リュザールも良く知るように『キリム』と呼ぶのだ。


「ハルトスは高原に住む遊牧民で、非常に寒い場所で生活しているのです。そのため、厳しい冬を越えるためにこのようなふかふかな絨毯を作るのです」


 ハルは他の遊牧民は作らないので希少性がある上に、美しい色合いと柄も高く評価されているようだ。


「ハルトスの織物の中でも、この職人が織った品は人気が高く、高値が付けられているのです。が、こちらは中古品で少々汚れているので値引きしますよ」


 それでも、安易に手が届く金額ではない。嫁入り道具ならば、取り戻してあげたいが……。リュザールは眉間に皺を寄せ、絨毯を見下ろしている。

 一方、アユは複雑そうな表情を浮かべていた。


「あの、これの、取り置きとか……」

「いい。こんな物、必要ない」


 交渉を持ちかけようとしたが、アユはきっぱりと断る。


「お前な、こんな物って、すごく、良くできているじゃないか。特にこの赤、絨毯で見たことがない。綺麗だ」

「でも、いい。似たような物は、作れる」


 嫁入り道具として作ったこの絨毯は特別なものだろう。それに、一生懸命作った物なのにどうでもいいわけがない。


「奥さん、似た物が作れるって、すごいですねえ。これ、相当な腕を持つ職人の作品なんですよ。たとえば、この緋色、どの植物を使っているか不明で、出すことが困難だと言われているんです」


 職人に同じような色の絨毯を作るよう注文したことがあったようだが、三年かけても作ることができず、諦めたという話を聞く。


 やはり、噂になっていたハルトス一の織り手は、アユのことだったのだろう。


「この精緻せいちで美しく、大胆な模様、力強い織り目、鮮やかな色彩、どれを取っても、素晴らしいのです。ここに、ハルトスの古い言葉で書いてあるのですが──」


 織物の端には、織った者の名前を刺繍する。


「ハルトスのアユ、と書いてあります。ハルトスには腕の良い織り手が数名いるとのことですが、そうではなく、すべてアユが作った物であるとハルトスに出入りしている商人が言ってました」


 ハルトスでは、あくまで別人の織物として売っているらしい。なぜ、いくつも名義があるのかは、謎であるという。


「通常ならば、半年から一年かけて作る絨毯ですが、アユは神がかりな速さで織ると評判でして。ただ、買い手も多く、価格は高騰しています。人気が高いのも、アユの作品だけです。絨毯商の中では、有名な職人の一人なんですよ。しかし……」


 商人は表情を曇らせ、ここだけの話だと言って語り始める。


「この絨毯を織ったハルトスの織り手アユは、現在行方不明になっているようです。おそらく、誘拐だろうと」


 アユの目が、零れそうなくらい見開かれた。


「何やら、突然いなくなったようで、行方を捜しているようです」


 遊牧民の中には『誘拐婚』といって、器量がいいと噂になった娘を勝手に連れ去り、妻にする風習が残るところもある。しかし、ハルトスの周辺を遊牧する者達などいない。


「話によれば、織物作りをさせようと、誘拐したのではないかという話も出ていて……」

「違う!!」


 アユが叫んだ。眦からは、ぽたぽたと涙が零れている。

 リュザールは商人に会釈をして、即座にこの場から連れ出した。


 アユが泣いているので、通行人の視線を集めてしまう。

 リュザールは途中からアユを抱き上げて、市場から脱出した。誰もない路地に入り込み、アユを下す。


 アユはまだ、涙を流している。リュザールは服の袖で、涙を拭ってやった。


「わ、私、誘拐、なんて、されて、いない。う、売りに、連れ出された……のに」


 かける言葉が見つからない。どうしたら泣き止むかも、分からなかった。

 ここでふと、思い出す。あれは八歳くらいの話だったか。父や兄に勝てなくて泣いていた時、イミカンが励ましてくれたことを。

 彼は「兄さんや父さんに勝てなくても大丈夫。生きてはいける」、自らが証人であると言っていた。当時のリュザールにとって、励ましでもなんでもない言葉だった。

 イミカンのせいで余計に涙を流してしまう結果となる。

 そんな中、イミカンはリュザールの体をぎゅっと抱きしめた。優しく背中を撫でられているうちに、不思議と落ち着いたのだ。

 同じことを、アユにも行った。泣きじゃくるアユをそっと抱きしめ、背中を撫でてやる。


「う……うう……!」


 アユは子どものように、声をあげて泣いていた。


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