表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/117

アユの絨毯

 昨日の残りのスープで朝食を済ませる。

 空っぽの胃に、ジャガイモを潰して煮込んだスープは優しく沁み込んだ。


 治療代と入院費を支払おうとしたが、医者は受け取らなかった。


「いや、怪我を治したのは、君ら夫婦の不思議な力だし」

「しかし、昨晩傷口を縫っていなかったら、さらに出血していたかもしれない」

「そうだけどさ、二日酔いで、縫い目もぐちゃぐちゃだっただろうから」

「おい、どんな縫い方をしたんだ」

「まあ、治ったからいいじゃないか」


 代金を受け取る気はないようなので、リュザールはアユと共に診療所の掃除を行うことにした。

 歩いただけで埃の塊が舞い上がる部屋を、夫婦は無表情で綺麗にしていく。


「いや~、助かるよ。ここ、ほとんど患者もいないし」

「そうなんだな」

「俺がよそ者だから、信用がないんだよね」


 医者がここにやってきたのは三年前。それまでは、旅をして各地を巡っていたらしい。


「なんで医者が旅をしているんだよ」

「まあ、いろいろあって」


 遠い目をしながら、医者は語る。


「偶然立ち寄ったこの地で、ここに住んでいた医者を看取ったんだ」


 今際の際に、ここを継ぐように頼まれたらしい。断る理由もなかった医者は、その話を受けたのだとか。


「毎日商人が出入りして、市場も活発で、解放的な町だと思っていたんだけれど」


 実際に住んで気づく。この地に住む人々は、よそ者を歓迎せずに閉鎖的な考えを持っていることに。


「いや~、驚いたよ。旅人としてやって来た時は食堂のおばちゃんも、宿屋のお爺さんも親切だったのに、いざここに住むとなったら、無視されるわ、きつく当たられるわで」


 それは宗教の違いだったり、今までの均衡が崩れることを恐れていたり。理由は多々あったのだろう。


「酷い話で、病気になったら、遠く離れた隣の村まで患者を連れて行くっていうんだ。本当、よく分からない話なんだけどね」


 補修をする余裕がない診療所はボロボロ。患者が来ないので、汚れていても問題はない。

 だから、医者も酒浸りな日々を送っていたのかもしれない。


「診療所も人が住んでいるのかいないのか、分からないから、外から来た人も近寄らないしね。だから、君らが頼ってここに来てくれた時は、嬉しかったよ。自分の役目を、できることを、思い出すことができた。しかしまあ、これから先、患者が来ることもないだろうけれど」


 リュザールは自らの腕の傷跡を見る。ぱっくりと開いていた傷口は、まっすぐ一本の傷跡が残るばかりだ。曲がったり、波打ったりしていない。

 傷跡を治したのはアユの願った奇跡であったが、傷口を元通りになるよう縫ってくれたのはこの医者だ。きっと、腕はよいのだろう。

 こんな所で燻ぶらせるには、もったいな人材である。


「だったら、俺達と一緒に来ないか?」

「え?」


 医者をユルドゥスに招くことは、長年の悲願としていた。歴代の族長が何度も交渉していたが、今まで一度も叶わなかったらしい。

 それだけ医者の数は少なく、貴重な存在なのだ。


「遊牧生活をしているから、楽な環境ではないが──」


 きっと、医者の存在は望まれ、尊敬されるだろう。


「どうしようかな。光栄なお誘いだけど、故人の願いを反故にできないし」

「まあ、無理にとは言わない。少し、出かけてくる。その間に、考えておいてくれないか?」

「う~~ん、そうだね。わかった」


 その後、商人一家がやってくる。白イタチのカラマルは、子ども達が面倒を見てくれていたようだ。

 上等な羊肉を貰ったようで、お腹がぷっくり膨れていた。


「意識が戻ったようで、安心しました」

「心配かけたな」

「いえ……。私達こそ、命を助けていただいて……なんとお礼を言っていいものか」

「気にするな」


 ここで、商人一家と別れる。


「じゃあ、絨毯ができたら連絡するから」

「はい! 楽しみにしています」


 市場の絨毯商を通じて、取引を行う約束を交わした。


「さて、俺達も行くか!」


 アユはリュザール見上げ、首を傾げながら質問する。


「どこに?」

「市場だ」


 ◇◇◇


 港から大都市までの中間地点であるこの町には、様々な商品が並んでいる。

 魚、果物、野菜、香辛料と、新鮮な食べ物が並んでいた。雑貨も豊富で、各地の伝統工芸なども並ぶ。


 その中で、リュザールは商人と知り合いだという絨毯商の店を覗くことにした。


「ったく、どこにあるんだ?」


 市場の店は百以上ある。人も多く、視界に映るほんのわずかな商品を見て判断しなければならない。


「あ、見つけた」


 目敏いアユが絨毯商の店を発見する。リュザールの手を握り、誘導してくれる。

 手袋越しだったが、リュザールは内心ドギマギしてしまった。


「リュザール、あれ、絨毯のお店──どうしたの?」

「いや、いきなり手を握るから、驚いて」

「あ」


 アユは無意識だったようで、手に視線を落として頬を赤く染めている。


「ごめんなさい。嫌だった?」

「嫌ではない」

「そう、よかった」


 ホッとしたように微笑むアユは可憐だった。いつの間にこのように笑えるようになったのかと、リュザールは不思議に思う。

 出逢ったころは、面を被ったように表情は何も変わらなかったのだ。


「リュザール?」

「ああ、悪い。行こう」


 絨毯商の店は市場の中でも雑然としていた。狭い中で大きな絨毯を何枚も展示しなければならないので、仕方がない話だろうが。


 台の上に広げられている絨毯は、素晴らしいものであった。

 羊毛を使った物で、毛足は長く見ただけで手触りがいいことが分かる。目の詰まった織り目は丁寧な作りであった。

 何よりも素晴らしいのは、燃えるような夕陽に似た赤を使った羊の角模様である。

 羊の角は豊穣と武勇を示し、絨毯の織り目からは勇ましさが感じられた。

 リュザールはひと目見て、この絨毯を気に入った。これが家にあったら、どんなにいいものか。

 しかし、目利きではないリュザールにも、この絨毯の価値が分かってしまう。

 おそらく名工と呼ばれる職人が作る、世界に二つとない最高級品であると。


「お客様、そちらの商品がお気に召しましたか? お目が高い!」


 絨毯商が揉み手で近寄って来る。

 値段を聞いたが、到底手の届く品ではない。

 商人は続いて商品の説明をしようとしたが、アユが袖を引くのでその場から離れた。


「おい、どうしたんだ?」


 アユの顔色が悪い。リュザールの服を掴んだまま、離さなかった。


「アユ?」

「あれ、私の、絨毯……」

「え?」

「嫁入り、道具、だったもの」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ