誓い
医者と共に、台所に移動する。
一見して何もないような所だったが、棚の中に食料を備蓄しているらしい。
「近所のおばちゃんが持ってきた野菜とかあった気がするけど……」
机の上に芽が出たジャガイモと、しなびたキャベツが置かれた。
他に、乾燥肉にムール貝のオイル漬けが出される。
「え~っと、これくらいかな」
「……」
ジャガイモは腐っているのもある。キャベツは論外だ。乾燥肉はすえた臭いがして怪しい。
唯一、ムール貝のオイル漬けは食べられそうだった。
「どう?」
「ほとんど生ゴミ」
「酷いね」
「酷いのはそっち。食材をダメにしたら、精霊様から罰が当たるのに」
「街の人間は精霊信仰なんかしていないから、問題ないね」
「そういう問題でもないけれど」
はあ、とアユは深くため息を吐く。
ジャガイモの中から食べられそうな物を選別していたら、急に医者がアユの手を掴んだ。
「あんた、もしかして、手のひら怪我してる?」
「なんで?」
アユは革手袋を嵌めていた。見えない場所なのになぜわかったのか。
「手のひらを庇うような動きをしているから」
「ああ、そういうこと」
朝、木の枝を握り、手のひらを裂いてしまった。
今日一日、さまざまなことがあったので、失念していたのだ。
「だったら、料理は作れないな」
医者は手を放さないどころか、手袋を外そうとする。
アユは驚いて、手を引き抜いた。
「何?」
「花嫁の、指甲花があるから、見せることはできない」
「何言っているの? 怪我しているのにそんな革手袋をしていたら、悪化するに決まっているじゃん」
「……」
医者の指摘するように、アユの手のひらの傷はズキズキと痛んでいた。
今の今まで痛みを意識していなかったのだ。
「治療を──」
医者が伸ばした手を、アユは避ける。
「精霊信仰の関係で、手を見せることができないって?」
「……そう」
「もしかしたら、雑菌が入って、手が腐り落ちてもいいの?」
そこまで言われてしまったら、アユも降参しなければならない。
これから先、毎日料理を作って、仕事をするには手を失うわけにはいかないのだ。
アユは医者と共に、診察室に移動する。
奥歯を噛みしめながら、革手袋を取った。
手のひらに巻いた手袋は、真っ赤に染まっていた。
実際に目の当たりにしてしまうと、痛みがさらにつよくなった気がする。
「うわ、これ、よく我慢していたね」
馬の手綱を握りしめている時に、傷口が開いてしまったのだろう。
その時は、リュザールを助けなければならないという気持ちが強かった。自身のことなど、二の次だったのだろう。
医者は手のひらの傷口を遠慮なく水で洗い、治療を施してくれる。
薬は沁みたが、我慢する他ない。包帯を巻かれてぎゅっと結ばれた瞬間、ホッと肩を撫で下した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
治療が終わった瞬間に、医者がぐうと腹を鳴らす。
「あ、夕食どうしよう。腹減ったな」
「料理の仕方を教えるから、あなたが作って」
「ええ~、面倒くさい」
「簡単だから」
台所へ移動し、調理開始となる。鍋に水を入れ、かまどに火を入れる。
「まず、ジャガイモの芽を取って、皮を剥いて……」
「これ、食べられるの?」
「芽を除いたら、大丈夫」
医者は渋々といった様子で、皮むきしていた。
「剥いたジャガイモは、細かく切って鍋に入れる」
「はあ、なんで俺がこんなことを」
アユは家の外に出て、裏庭に生えていた薬草を摘んでくる。これはどうやら、医者が植えていたもののようだった。
「それ、薬に使うやつなんだけど」
「香り付けにいいから」
摘んだ薬草を洗い、鍋に千切って入れた。
ジャガイモに火が通ったら、おたまで潰す。スープがトロトロの状態になったところで、ムール貝のオイル漬けを入れた。最後に、塩コショウで味を調える。
しばらく煮込んだら、ムール貝とジャガイモの薬草スープの完成だ。
「お、美味しそうかも……」
「でしょう?」
さっそく、医者はスープを注いで食べ始める。
「うん、美味い!!」
よほどお腹が空いていたのか、あっという間に皿を空にしていた。
「すごいな、これ。こんなに美味しいスープ、初めてだ。ムール貝の旨みがジャガイモに溶け込んでいて、深いコクがある。腐りかけたジャガイモから作ったとは思えない美味さだ!」
ずっと、まともな料理を食べていなかったのだろう。医者は目を輝かせながら、スープを食べている。
「って、あんたは食べないのか?」
「食欲が、なくて」
「一口でも、食べたほうがいい」
そう言われても、アユは首を横に振る。
「あの、精霊様の分と、夫の分を、もらってもいい?」
「ああ、もちろんだ。持って行ってやれ」
「ありがとう」
皿にスープを注ぎ、盆に並べて零さないようにゆっくり運んだ。
リュザールはまだ意識が戻っていないようだった。
窓から差し込んだ月光が、リュザールの寝顔を照らしている。
額に汗を掻き、顔色が真っ青だった。
手巾で汗を拭き取るが、どんどん汗は噴き出ている。
アユは小さな机に置いたスープを横目で見ながら、声をかけた。
「リュザール、起きて。スープを、作ったから」
きっと、スープを食べたら元気になる。そう思ってリュザールの名を呼んだが、反応はない。
ポンポンと軽く腹を叩いて、もう一度声をかけるが結果は同じ。
精霊石に触れたら何かわかるかと思ったが、何も流れ込んでこなかった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
アユはリュザールの腕にある包帯に触れ、異国に伝えられている誓いの言葉を呟く。
「──病める時も、健やかなる時も、困難な時も、幸せな時も、死が二人を分かつまで、愛し、慈しむことを、誓います」
その誓約を終えた瞬間、額の精霊石が熱を発する。
汗が浮かび、立っていることができずに地面に膝を突く。
眩暈と頭痛が一気に襲ってきた。
「はあ、はあ、はあ、はあ……うっ!!」
続いて、左腕に鋭い痛みが走った。慌てて服をめくる。
手首から肘まで、みみず腫れのように腫れていた。