取引
せっかくの縁だからと、商人一家はリュザールとアユをもてなす。
乾燥果物から栗のシロップ漬けと、都で買い付けた食べ物をふるまってくれた。
「これは売り物なんだろう? 大事にしないと」
「そうですが、お気になさらずに。私は形ある品物よりも、目には見えないものを大事にしなさいと親に習いました」
「目には、見えない物……?」
「はい。人との縁や、家族との愛、それから、自然に感謝する心。この広い草原の中で、このように誰かと会うことは滅多にありません。しかも、あなた方はユルドゥスの御方だ」
なんでも、商人の祖父母は遊牧民だったようで、かつてユルドゥスに助けてもらった過去があったらしい。
「侵略者の一族に襲われて、財産はすべて奪われてしまい、絶望の中にいたそうです。そんな中、ユルドゥスの勇敢な戦士たちが、助けてくれたようで」
なんとか生き残った者達は、ユルドゥスの支援を受けつつ、自立の道を目指す。
「その結果、うちは商売を始めるようになったのですよ」
日避けとして建てた天幕のてっぺんにある屋号にもなっている葡萄の旗は、一族の繁栄を願って使うようになったと商人は語っていた。
「きっと、その時のご恩をお返しするために、今日、あなた方と出会ったのかなと」
「なるほどな」
善行は巡り巡って、人と人を助け合う。
皆が皆、そういう生き方ができたらいいのにと、商人は夢見るように話していた。
「まあ、綺麗ごとばかり言っている場合ではないのですが……。商売が上手くいかないと、暮らしていけないので」
今季の失敗は、買い付けを逃したことだったらしい。
「いつも織物を買っている遊牧民が、来季の買い付けは難しいと言われたんです」
「へえ……」
「その時の取引の際、毎年織物の小物を買い付けていたのですが、それすらないと言われまして」
商人曰く、その一族にいた一番の織り手がいなくなり、困窮状態にあると。
アユは首を傾げながら問いかける。
「たった一人の織り手がいなくなっただけで、困るものなの?」
「ええ。そこの一族の織り手は、年に数枚織る手早さと、誰にも真似できない精緻な模様、美しい色合い、丁寧な織り目が素晴らしく、買い手が数多だったと聞きます」
絨毯一枚の売り値で、一年は暮らしていけるほどだったらしい。
「面白いことに、その織り手はいくつも名前を使っていたのです。織り目や作風を見れば、同一人物のものであるとわかるのに──あ、いえ、なんでもありません」
「?」
「すみません、独り言です」
とにかく、その織り手の作品を入手できなかったので、買い付け全体がうまくいかなかったようだ。
「一刻も早く、新しい取引先を見つけたいものですが、なかなかこれといった織り手に出会えなくて……」
とりあえず、今回買い付けた商品が売れたら、遊牧民の集落を巡って良い絨毯の織り手がいないか探すようだ。
「おい、アユ。お前、織物一枚だったら、どれくらいで作れる?」
「う~ん、大きさや柄によるけれど、単純な図案で、机かけくらいの大きさだったら一か月くらい」
「奥様も、かなり早いですね」
アユの義姉達は、これくらいできて当然だと言っていた。これは、ハルトスでの常識なのだろう。
「絨毯は、冬までに完成させることは可能か?」
「秋までには、できるかと」
「お前、どうしてそんな芸当ができるんだ? それが、一族の中では当たり前だったのか?」
「たぶん」
早朝は食事の支度に家畜の世話、洗濯物に乳製品作りとてんやわんやだった。
織物ができる時間は限られている。そのため、アユは丁寧かつ手早く織る技術を習得するはめになってしまった。
「なるほどな」
リュザールは顎に手を当て、何かを考えているかのように見えた。
「よし。決めた。アユ、お前の絨毯は、この人達に買ってもらおう」
「え、でも、商品の見本がないし」
「さっき、休憩時間に白い石に図案を彫っていただろう? あれを見せてやれ」
「わかった」
アユは鞄の中から、花模様を彫った石を取り出して商人に見せた。
「これは──」
「中東桔梗」
これだけでは伝わりにくいので、絨毯の全体図を地面にナイフの切っ先で書いてみた。
「ここが花模様。こっちが、蔦模様……それで、花の色は赤」
「赤、ですか?」
「これと同じ」
アユはポケットに入れていた中東桔梗の胸飾りを見せる。
「この赤を、再現なさると?」
「そう」
「この図案で、秋までに?」
商人は何度も、石に彫った花と図案を見比べていた。
「きっと、今までにない、素晴らしい絨毯ができるかと」
「もしも、取引してくれるのならば、妻が作ったことは伏せてもらいたい」
「それは、なぜですか? このような美しい絨毯を短期間で作れるとしたら、多くの富を手にすることも可能かと」
「いや、そういうのはいらないんだ。俺は、最低限暮らしていけるだけの収入があればいい。平和で、穏やかな生活ができたら、それ以上望むことはない」
リュザールから「そうだろう?」と問われ、アユは頷く。
今までは仕事に追われる毎日であったが、これからは生の喜びを感じながら暮らしたい。
アユのささやかな望みである。
リュザールも同じ志を持っていると知って、嬉しくなった。
「あなた方は私達と同じ、見えない物を大事になさっているようですね」
「まあ、そうだな」
「わかりました。奥様については、他言しません」
秋になったら、街で落ち合うことを約束した。