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アユと新しい朝

 近くでパチパチ、パチパチと火が燃える音がする。

 周囲が僅かに明るくなっている。

 空に広がる夜闇を、地平線から広がる太陽の光が押し上げていた。

 草原は陽の色に染まり、夜が終わろうとしている。

 朝――アユは目覚めた。

 体に、毛布がかけられていることに気付く。

 ユルドゥスの青年、リュザールがかけてくれたのだろう。

 本人は座ったまま火の前に胡坐を組み、座ったまま眠っていた。眉間には皺が寄っており、寝顔は穏やかではない。

 一晩中、火の番をしていたのだろう。焚火の火は、絶やさずに燃えている。

 アユはリュザールの前に片膝を突き、胸に手を当てる。

 これは、羊飼いが感謝を示す時にする恰好だ。

 アユは眠るリュザールを、まじまじと見る。

 金の髪は、羊が大好きな干し草のよう。日に焼けた褐色の肌は精悍な雰囲気をかもしだし、体はガッシリしていて戦う男のものだ。

 アユと共に育った、ハルトスの遊牧民の男達とはまるで違う。

 年頃は二十歳はいっていないように見える。眠っていると、起きている時よりも幼く見えた。

 最初は叔父同様、彼が侵略者に見えたので、怖かった。

 金の髪に、褐色の肌は、侵略者の証である。

 しかしリュザールは違った。

 調停者――ユルドゥスの者だった。

 かの一族は、人を拒まない。

 そのため、侵略者の血が入っていても、不思議ではなかった。


 リュザールは一見してぶっきらぼうな青年に見える。しかし、こうしてワケアリのアユを見捨てずに連れて行くことから、かなりの善人であることがわかる。


 そして、彼はアユに言った。


 ――役に立つか、立たないかは、連れて行くと判断した俺が決める。お前が勝手に自分で決めることじゃない。それに、最初から決めつけるな。役に立たないじゃないんだよ。諦めずに、やるんだ!


 その言葉は何もかも諦め、生きる意味すら失っていたアユに活力を与えた。

 この先、どうなるかわからない。

 しかし、リュザールに認められるように、懸命に頑張るしかなかった。

 羊飼いであったアユに何ができるのか。

 これから、考えようと思う。


 ぼんやりしているうちに、周囲がずいぶんと明るくなった。

 アユは立ち上がり、背伸びをする。まずは、池で顔を洗った。

 水は冷たく、一瞬にして目が覚める。

 さて、何をしようか。

 そんなことを考えていると、腹が空腹を訴えていた。


 ここで、何が作れるのか。アユは辺りを見渡す。

 野生のオリーブの樹があるけれど、実は生っていない。

 池を覗き込んだが、魚は泳いでいても釣り具がないので捕まえられない。

 池の中を泳ぐ魚を睨んでいたら、その前を拳大の蛙がスイスイと泳いでいく。

 アユは躊躇うことなく、蛙を掴んだ。

 それは、食用蛙だったのだ。

 ジタバタと暴れる蛙にとどめを刺そうと腰ベルトを探ったが、ナイフは叔父に没収されていたことを思い出す。

 柄と鞘が鹿の角で作られたお気に入りのナイフだったのに、自害をするだろうからと奪われたのだ。


 リュザールにナイフを借りよう。

 焚火の近くに、大振りのナイフが置いてあった。

 そう思い、アユは立ち上がって焚火のほうへと戻る。

 リュザールのナイフに手を伸ばそうとした瞬間、甲高い鳥の鳴き声が聞こえた。

 朝日が昇ったばかりの空を滑空するのは――黒く美しい、リュザールの黒鷲である。


 飛んできた鷲は優雅に着地し、リュザールの傍に何かを落とす。

 それは、アユの拳四つ分ほどの立派な兎だった。

 黒鷲のほうを見ると、どうだと胸を張っているように見えた。

 兎はリュザールの傍に落としたまま、食べようとしない。

 もしかしたら、主人のために獲ってきたのか。だとしたら、かなり賢い鷲である。

 そんな黒鷲の視線は、アユの持つ蛙にあった。手の中でジタバタと暴れる蛙を、物欲しそうに見つめている。


「食べる?」


 返事などするわけないが、話しかけてみた。

 すると、黒鷲は低い声で「ピイ」と鳴いた。


 黒鷲はリュザールの上半身と同じくらいの大鷲である。迫力があった。

 しかし、近くで見ると目がクリッとしていて、愛嬌があるように見えた。


 鷲はハルトスの遊牧にやって来る行商も飼っていた。

 賢くて、従順で、素晴らしい人生の相棒であると自慢げに話していたことを思い出す。

 怖い顔をしているが、怖くはないとも。


 アユは勇気を振り絞り、蛙を差し出した。

 さすれば、黒鷲はそっと嘴で蛙を銜える。アユが手を離すと、即座に地面に蛙を叩きつけて、頸動脈を引き千切った。一瞬で、蛙を仕留める。

 あとはゆっくり食べたいと思ったからか、近くにあるオリーブの樹に飛んで行った。

 アユはドキドキと高鳴る胸を押える。

 初めての鷲への給餌は、成功だったようだ。


「う……ん」


 眉間の皺をさらに深めるリュザールを見て、ハッとなる。こうしている場合ではない。朝食の準備をしなければならなかった。


 黒鷲が仕留めた兎と、リュザールのナイフを手に取り、池の畔へと移動する。

 髪を結んでいた紐で片脚を縛り、オリーブの樹の枝に兎を吊り下げた。

 首を切って、血抜きを始める。同時に、足先から兎の毛皮を剥いでいった。

 まだ、体温が残っている。そのため、スルスルと剥けた。

 毛皮が取れたら、中のはらわたを抜く。

 手早く解体を完了させた。

 続いて、草原で薬草を探す。さらさらと揺れる草むらの中、アユはすぐに探していたものを発見した。

 臭み消しと抗菌効果のある、ローズマリーだ。肉料理にぴったりの薬草である。

 ローズマリーを池の水で洗い、千切って兎の肉に揉み込んだ。

 肉をしばらく休ませている間に、珈琲を淹れる。

 角砂糖と粉末珈琲を入れた水を沸騰させ、カップに注ぐ。リュザールは猫舌だというので、冷ましておくのだ。

 鍋を洗い、今度は兎の肉を焼く。

 ジュワッと音が鳴り、香ばしい匂いが漂ってきた。

 肉が焼き上がったころに、リュザールはくしゃみをして目覚める。



「――ん?」


 珈琲と兎の香草焼き。

 完成していた朝食を見たリュザールは、目を瞬かせる。


 目が合ったアユは、小さな声で言った。


「おはよう」


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