染物に大事なもの
その後も、アユはどんどん植物を採取していった。
厳しい環境の中にある山岳の草原と違い、この辺りの草原は種類豊富な植物がのびのびと茂っていた。
少し離れた場所に、よく知る花を発見しリュザールと共に移動する。
「おい、それはなんだ?」
「これはカモミール。花も葉も茎も、全部使える」
「花は黄色く染まるのか?」
「そのままだと、薄い黄色。粉末のアルム石を入れたら、鮮やかな黄色に染まる。鉄を入れたらくすんだ緑。アルム石と鉄を使ったら、濃い緑」
「ん? どういうことだ? 染めるのに使う材料は、植物だけではないと?」
「そう」
媒染剤と呼ばれるアルム石や鉄は染める布と使う植物、共に相性がよい。
布に植物の色を固定させる着色剤として、また鮮やかな色に染める発色剤として、染物を行う手助けをしてくれる。
「媒染剤、リュザールの家にある?」
「わかんない。母上に聞いたら、分かるかもな」
「そう」
「しかし、アルム石は聞いたことがないな」
リュザールは街に買い物を頼まれることがあり、染物に使う材料を頼まれることがあったようだ。
鉄は買ってくることもあるが、アルム石という品を頼まれたことは今までなかったらしい。
「う~~ん、そっか」
「鉄も、頼むのは父上で、母上が使っているとは聞いたことがないし」
「そう。もしかしたら、媒染剤を使っていないのかもしれない」
ここは、豊富に草花が生えている。ハルトスが住んでいる場所よりも、緑豊かな場所だ。
豊富な植物を使い、繰り返し染色したら色濃く染まるのかもしれない。
染物事情は地域によって違うと聞く。ハルトスとユルドゥスの作り方は、違うのかもしれない。
「媒染剤を使い始めたのは、そもそも、植物が少なかったからって聞いたことがある」
「なるほどな。媒染剤を使っていたのは、素材が限られていた故の工夫だと」
「たぶん」
ちなみに、鉄は何に使っているのかと聞くと、武器や馬具を作っているらしい。
「鉄は貴重だから、大量に入手することは難しいかもしれないが」
「ううん、たくさんはいらない。小さい、古い鉄でいいの。錆びているようなやつ」
「そんなので、媒染剤が作れるのか?」
「そう」
鉄の媒染剤の作り方は簡単だ。
錆びた鉄の欠片を、酢を入れた瓶に沈めて数日放置しておくだけ。
普通の鉄は酢に溶けないが、錆びた鉄は溶けるようになる。
「だから、錆びた鉄が必要なんだな。しかし、よくそんなもので染色が固定されるって気づいたな」
リュザールは不思議そうな表情を浮かべながらも、三兄のところにだったら、錆びたナイフがあるかもしれないと呟く。
突然出てきたイミカンの話題に、アユは笑ってしまった。
「笑いごとじゃないからな」
イミカンは楽器以外の物に頓着せず、よくナイフや武器を錆びた状態にしてしまい、アズラに怒られているのを見たことがあるようだ。
「なくても、平気。これだけいっぱいあったら、濃い色は出せるから」
「だったらいいけどよ」
アユはそのあとも、植物を摘み続ける。リュザールも手伝ったが、午前中ずっと続けていたら手先が緑色に染まってしまった。
「爪の中まで緑色だ。さすが、染料になる植物だな」
「手袋、していなかったんだ」
「窮屈なの、嫌いなんだよ」
「ふうん」
太陽の位置が高くなってきたので、作業を打ち切る。
「まだ、足りないか?」
「ううん、とりあえず、これくらいで大丈夫」
アユは短い時間で、大きな袋二つ分植物を集めた。今までにない成果に、自然と顔がほころぶ。
木蔭に移動し、持ってきていた軽食を食べることにした。
リュザール特製、肉挟みパンを食べる。
その前に、火を熾して紅茶を淹れることにした。
今日は特別に、水ではなく牛乳を使って淹れる。砂糖をたっぷり入れて、紅茶専用杯に注いだ。
「その料理があなたの健康にいいように」
アユがそう言うと、リュザールも同じ言葉を返す。
サワサワと草が揺れる音を聞きながら、パンにかぶりついた。
中に塗ったバターがパンにしみ込んでいて、肉や野菜、チーズの味を引き立てている。
とても、美味しいパンだった。
ごくんと呑み込んだあと、リュザールがじっと見つめていることに気づいた。
初めて作った料理だと言っていたので、食べた人の反応が気になるのかもしれない。
アユはリュザールのほうを見て言った。
「これ、美味しい。あ、あと」
パンを置いて、リュザールの手の甲にそっと触れる。
「美味しい料理を作ったその手が、健やかであるように」
リュザールはハッとなり、驚いた表情となる。
そのような反応を返されると、変なことを言ったのではと恥ずかしくなった。
アユはそっと指先を引こうとしたが、リュザールはその手を掴んで言った。
「その料理があなたの健康にいいように」
瞬間、アユは泣きたくなった。
料理を作るということは、料理を食べるということは、ただの作業ではない。家族の健康を想い、また、想われるものであると。
ずっと、忘れていたことであった。
「ありがとう」
アユはポツリと呟き、パンを掴んで食べる。
最初の一口は、ちょっとだけしょっぱい気がした。