リュザールは思う
護衛の仕事に行った際、リュザールは妻アユについていろいろ聞かれた。
商人の中には、ユルドゥスの者と関係を築きたがる者がいる。
調停者という立場は長年変わることなく、強い精霊の加護のもとで暮らしており、草原の民の中でも、確固たる立場にあるのだ。
ユルドゥスの者は、金払いが良く、気質も穏やか。商売相手として申し分ない相手なのだ。
そんな相手に娘を嫁がせたら、安心できる。
ユルドゥスの男が何よりも妻を大事にすることは、有名な話であった。
そのため、どんな女性が好みなのか、探りを入れているのだろう。
結婚式の日に、精霊石の交換を行う儀式にも興味があるようだ。
詳しいことは話せないと言えば、アユの加護を聞きたがる。
別に後ろめたいことだと思っていないリュザールは、アユに精霊の加護がないことを告げた。
すると、商人達は驚く。
リュザールは花嫁に精霊石を捧げ、花嫁はリュザールに精霊石を捧げなかった。
ありえないことだと、口々に言われてしまった。
どうしてそんなことをしたのかと問われたが、そんなことなどリュザールにもわからない。
本能の赴くまま、アユに精霊石を捧げた。
それは、外の者にとって、愚かな行為に見えたようだ。
だが、リュザールの中に後悔はない。
草原の風は今までと変わることなく、リュザールの頬を撫でている。
精霊は、精霊石などなくても常にリュザールの傍に在り、見守ってくれているのだ。
リュザールの行為は、間違っていなかったのだと実感する。
アユの額にある精霊石は、アユの危機をリュザールに教えてくれた。
アユは果敢にも、ケナンを、家畜を、助けようとしていたのだ。
随分と、勇気ある行動だったように思える。
だが、二度と同じ行為は繰り返して欲しくない。それは彼女自身が一番わかっているだろう。
頬を土で汚し、不安そうに見上げていたアユが、リュザールと目が合った瞬間に安堵の表情を浮かべる。
その瞬間、リュザールはアユのことを、何があっても守らなければならないと思ったのだ。
この、温かく、切ないような気持ちはなんと表せばいいものか。
それはまだわからないけれど、彼女のことと同じくらい大事にしたいと思った。
◇◇◇
アユは、折ってしまった木を持って帰りたいと言い出す。
「私達を守ってくれた物だから、大事にしたい」
木を素材として、何か作りたいと言うのだ。
「だったら、家屋の中心を支える柱にしよう。この太さなら、十分だろうし」
「いいの?」
「ああ。今ある柱は、劣化しかけているし、ちょうどいいだろう」
暇を見つけて加工すればいい。
ユルドゥスの男達は、家屋の骨組みは自分で作る。リュザールも、幼いころから男衆の家屋作りに参加し、作り方を習っていたのだ。
折れた木は、そのまま馬で引きながら持って帰ることにする。
セナとケナンは乳しぼりをするため、先に走って帰って行った。
「よし、アユ、帰るぞ」
「ちょっと待って」
「どうした、どこか怪我をしているのか?」
「ううん、大きな怪我はしていない」
「じゃあ、何だよ」
アユは明後日の方向を向いていたが、そちらへリュザールが回り込むと観念したようだ。
「腰が抜けて、立ち上がれないの」
「なんだ。そんなことだったのか」
リュザールはすぐさまアユを抱き上げ、馬に乗せた。
「わっ!」
次に、自らも騎乗する。
「よく、掴まっておけよ」
「わ、わかった」
アユは驚くほど軽かった。花嫁のベールの下から伸びる手も、驚くほど細い。
これでよく、羊を助けようと思ったものだと感心してしまった。
母アズラほど筋骨隆々にならなくてもいいが、もっとたくさん食べさせて太らせなければいけない。
確固たる使命感が、リュザールの中に生まれる。
集落の入り口には、アズラが腰に手をあてて待ち構えていた。
「なんだ、あれ」
「お義母さん」
「いや、わかるが」
怖い顔をして立っているので、威圧感があったのだ。
まるで、誰も通さないように言われている門番のようにも見える。
リュザールは馬から降りて、アユを乗せたままの状態で手綱を引く。
「母上、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、我が息子リュザールが青い顔をして飛び出したと聞いたので、何事かと思っていたのです」
「ああ、ちょっと問題が起きて」
「具体的には?」
「アユとケナンもろとも、家畜と一緒に崖に落ちかけて……。でも、皆、無事だったから」
「そう、でしたか。大変でしたね」
「まあ」
詳しい話は聞かずに、アズラは道を通してくれた。
「我が息子リュザールの嫁アユ、大丈夫ですか?」
「平気。リュザールが、助けてくれたから」
「そうですか。よかったです」
アズラは、やはりアユはリュザールに嫁がせて正解だったと呟く。
「三兄だったら、それは大変だ。で、終わりそうだな」
「まったくですよ」
馬は家畜用の柵に放す。アユはまだフラフラとしていたので、腕を貸してあげた。
アズラとは家の前で別れる。
「我が息子以下略の嫁アユ。今日は、仕事は休みでいいです。私がやっておくので」
「え、でも」
「いいと言っているのです。従いなさい」
「アユ、怖いから言う通りにしておけ」
「わかった」
アズラはリュザールをキッと睨み、アユには背中を優しく撫でる。そして、早足で帰って行った。
「よし、朝食を食おう」
「うん」
アユは放牧に行く前に、朝食の準備をしていたようだ。
鶏肉と短いパスタのスープに、、白いんげん豆のサラダに、トマトと甘辛唐辛子の炒り卵、それから昨日焼いたらしいパンも籠に載せられていた。どれも美味しそうだ。
まずは、食前の言葉を言い合う。
「その料理があなたの健康にいいように」
「その料理があなたの健康にいいように」
いつもの挨拶が交わせることを、リュザールは幸せに思った。