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放牧に行こう

 放牧をする者は、誰もが杖を持つ。

 先端が丸く曲がっており、鈴が付けられている。これを、羊飼いの杖シェパーズ・クルークと呼んでいる。

 羊飼いの杖は、小高い丘を上がる時に突いて歩いたり、崖に落ちそうになった羊の首に引っ掛けて救ったり、鈴を鳴らして家畜に合図を送ったりする。

 羊飼いの杖に華美な装飾を施した物が、月の鳴杖だ。

 鈴の音は、家畜の道しるべにもなる。大事な仕事道具なのだ。


 アユはセナとケナンに、リュザールの家畜囲いまで案内してもらう。

 放牧している羊や山羊は、夜の間は丸太を積んで作った囲いの中にいる。

 セナが頭上に羊飼いの杖を掲げ、鈴を鳴らした。すると、眠っていた山羊や羊が目を覚まし、音のするほうへと注目する。


「シー・チュチ!」


 ケナンが元気よく合図を出す。これは、地面に座り込んでいた山羊や羊に、移動を促すかけ声だ。

 まず、セナが丘のほうへと走っていく。そのあと、ケナンが家畜囲いの出入り口を開いた。すると、山羊がどっと出てきたあと、羊が続く。

 基本、山羊と羊は一緒に放牧させる。

 というのも、羊は群居性が強く先を歩くものに従う習性がある。山羊は活発なので、どんどん先に進む。のんびりゆったり歩く羊は、山羊を追って素早く歩いてくれるのだ。


 家畜の群れは草原を横切り、一歩間違えばその先は崖という山すそを抜け、家畜が好む採食対象が広がる地へと到着した。

 ここに自生する家畜の好物は、ボズ・ヤプラムという葉の縁が灰色がかったものと、もう一つはヤプラム。

 山羊や羊はメエメエベエベエと鳴きながら、バリバリと葉を食べている。

 その間、アユは周辺で染色に使えそうな草花を探した。次々と摘んでいき、種類ごとに革袋に詰めていく。


 太陽が昇り始めたら家畜を連れて、いったん戻る。

 帰ったら、牛と山羊の乳搾りをして、それから朝食の時間となるのだ。


 久々に朝の放牧に出かけたので、アユのお腹は空腹を訴えていた。

 ここ最近、美味しいものをたくさん食べたので、胃が大きくなっているのかもしれない。

 お腹を摩りつつ、一本道の細い山すそを進んでいく。

 石を蹴ったら、崖のほうへと転がっていった。

 眼下に広がる崖の斜面は一見して緩やかではあるものの、下った先は流れの早い川だ。

 もしも、滑落してしまったら大変なことになる。

 慎重に、家畜を導かなければならない。

 そんなことを考えている折に、事件は起こった。


「あ~~っ!!」


 突然、ケナンが大声を上げる。何事かと思って振り返るが、背後に続く羊がアユの背中を額でぐいぐい押す。稜線伝いの一本道なので、立ち止まることさえ許されないのだ。

 アユは月の鳴杖を地面に置き、道に突き出るように生えていた太い木の枝に向かって大きく跳んだ。

 両手で枝を掴んだあと、足を振り子のように思いっきり動かして腕の力と共に上がる。見事、木の枝へ着地することに成功した。

 目を凝らし、ケナンのいる方向を見る。

 すると、崖に羊が落ちかけていたのだ。

 ケナンは羊飼いの杖で羊の首を引っかけ、なんとか落ちないようにしている。

 だが、羊を支えるには、ケナンの力だけでは足りない。

 このままでは、ケナンともども崖の下に落ちてしまう。


「ケナンーー!! 今すぐ、手を放して!!」


 アユの叫びに、ケナンは言葉を返す。


「ダメ! これは、リュザール様の、大事な財産、だから!!」

「ダメじゃない! 命のほうが、大事!!」


 そう訴えても、ケナンは聞かない。顔を真っ赤にさせて、羊を助けようとしていた。


 アユはすぐさま木から降りる。


「アユさん、どうしたの?」


 先を行くセナも、異変に気づいたようだ。


「大丈夫、先に進んでいて!」

「え、うん。わかった」


 ケナンが危ない目に遭っていると知ったら、セナを動揺させてしまう。この狭い道で、引きつれる者を失ったら、混乱状態になるのだ。


 アユは前進する羊の間を縫うように進んだ。

 進行を妨害するアユに、羊達はベエベエと不満の声を上げる。


「ごめん、通して!」


 羊の列の最後尾を抜け、やっとのことでケナンのもとへと駆け付けた。

 ケナンは顔を真っ赤にさせていた。涙を流していて、顔はぐちゃぐちゃだ。


「ケナン!」

「ア、アユさん~~!!」

「手、離して!」

「ううう……」

「もう!」


 ケナンは言うことを聞かない。きっと、羊を助けるまで手を離さないだろう。

 仕方がないので、アユも一緒になって引っ張る。


「くっ──はっ!!」


 アユは内心、月の鳴杖を置いてきてしまったことを悔いた。

 二カ所から引っ張れば、もしかしたら引き上げることができたのかもしれない。

 いち早く駆けつけることを優先してしまったのだ。


「ご、ごめんなさい……アユさん、ごめんなさい」

「ケナンのせいじゃない!」


 稀に、こうやって崖に足を滑らせて落ちる家畜はいる。

 羊飼いの杖で助けられる時もあるが、そうでない時もあった。

 その時は、運がなかったと諦めるしかない。


「ケナン、もう、無理。だから、手を離そう」

「で、でも」

「一緒に謝るから」

「ううっ……」


 せーので離すように話をしていたのに、まさかの事態となる。

 落ちかけていた羊が、突然動きだしたのだ。


「あ!」

「ひっ!」


 羊飼いの杖を掴んでいたアユとケナンの体は、あっさりと傾いていく。


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