アユと絨毯
嵐は去った。ようやく、リュザールは一息吐ける。
大きな事件はなかったが、日差しが強くてくたくたなのだ。
アユが紅茶を用意してくれる。砂糖と牛乳をたっぷり入れて飲んだ。
「リュザール、お仕事、どうだった?」
「まあ、いつも通りだな」
時期がよかったのか。
狼に出遭うこともなく、侵略者の一族に襲われることもなく、何事もなく終わった。
隊商の護衛はユルドゥスの得意先で、絨毯商だった。
リュザールが結婚したと聞くと、立ち寄った街でごちそうをふるまってくれた。
普段は入れない高級店に連れて行かれ、子羊の丸焼きに、ナスのひき肉詰め、肉団子のスープに、魚のトマト煮込みなどをお腹いっぱい食べた。
どの料理も美味しかったが、どうしてもアユの料理と比べてしまう。
リュザールには、アユの料理のほうが美味しく感じてしまったのだ。
そう思っていたが、物事を比べて評価するのは失礼なことだと気づく。
言い換えると、アユの料理のほうが、リュザールにとって好みだったのだ。
隊商の商人に、アユとはどこで出会ったのかと聞かれる。
適当に、買い付けの時に出会って親族に許可をもらい、結婚することになったと説明しておいた。
アユの個人的な情報は、他言しないほうがいいと思ったのだ。
深く聞かれないために、今度は商人達に話を聞き返す。
今年の仕入れ状況はどうだったのかと。
ここで、意外な情報を聞くことになった。
上質な織物を生産することで有名な遊牧民が、来年の仕入れの一部を断ってきたらしい。
なんでも、一族イチの織り手である娘が、何者かに攫われてしまったと。
その娘の織物は豪族に人気で、高額で取引されていたようだ。来年の入荷がないので、皆落胆しているようだ。
収入がガタ落ちしてしまうとも。その娘の絨毯を売るついでに、他の絨毯も買ってもらうことが多かったのだとか。
商人はその遊牧民の名を告げなかった。リュザールも、聞かない。
互いに、深入りしないようにしている。
しかし、リュザールは考える。
もしも、その遊牧民がハルトスならば、村一番の織り手とはアユのことではないのかと。
仮に、アユの居場所が露見してしまったら、何を言ってくるかわからない。
けれど、織物で有名な遊牧民はハルトスだけではない。
きっと、考えすぎなのだと思うことにした。
「リュザール、それで、織物がどうしたの?」
「あ、いや、そう! 他の遊牧民の織物が買い取りできない代わりに、ケリア義姉の絨毯を買い取りたいっていう話になって」
「そう」
リュザールの二番目の兄の妻ケリアは料理の才能はないが、絨毯作りは上手い。
ユルドゥスの中でも、一、二の腕前なのだ。
「ケリア義姉が受けるかどうかわからないけれど、まあ、商談の機会を得て、帰ってきたというわけだ」
「そっか」
ここで、ずっと握りしめていた土産の存在を思い出す。
商人にそそのかされて、買ってしまったのだ。
いつもならば、このような衝動的な買い物はしない。
しかし、慣れない村にアユを一人で残してきたという後ろめたさもあいまって、購入してしまった。
「あ~、これ、やる」
「ん?」
それは、中東桔梗の赤い花を模した木製の胸飾りである。
桔梗は初夏の花で、花言葉は「感謝」。薔薇に似た華やかな花で、女性にも人気が高い。
そんな商人の売り文句に釣られてしまったのだ。
包みを開いたアユは、目を丸くする。
「これを、私に?」
「お前以外、誰がいるんだよ」
そう返した瞬間、アユの目が宝石のようにキラリと輝く。
アユは大きな瞳が零れてしまいそうなほど、じっと胸飾りを凝視していた。
「あ、いや、そんなに高価なものじゃなくって……」
「嬉しい」
「え?」
「こういうの、はじめて。とっても綺麗だし、いつまでも見ていられる。ありがとう」
「だったら、いいけれど」
思いがけず、喜んでもらえたようだ。
「その辺にある羊毛で、肩かけかなんか作れよ。夏は、日差しが強いから、一枚か二枚は必要だろう?」
「うん、わかった。あ、羊毛といえば、来年売りに出す絨毯はどうする?」
遊牧民の女性は、半年以上かけて一枚の絨毯を作る。それは、一年の暮らしを支える大きな収入源となるのだ。
柄や色など年ごとに流行があり、妻は夫とどうするか話し合うのだ。
「流行は気にするな。その代わり、今まで作ったことがない意匠で作れ」
「どうして? 高値が付かなくても、いいの?」
「いい」
あまり、アユの絨毯を目立たせたくはない。
それに、得意な柄でバレてしまうことも避けたかった。
だから、アユには今までにない新しい柄で作るように提案した。
「だったら、この桔梗の花の柄にする」
「桔梗か。いいかもしれない」
「明日、染色に使う草木を集めに、放牧についていってもいい?」
「ああ、好きにしろ」
絨毯作りは、糸にした羊毛を染めることから始める。春から初夏にかけての、瑞々しい植物を使うのだ。
今の時季だと少し遅いくらいだが、草木は十分に生い茂っている。
「毒蛇には気をつけろよ」
「大丈夫。慣れているから」
心配なので付いて行きたかったが、リュザールにはリュザールの仕事がある。
アユのことは、放牧を任せている兄弟に託すしかなかった。