モテる男は辛い
「エシラ・コークス、お前、なんでうちにいるんだよ!」
「なんでって、リュザール様が結婚すると聞いたから来たのよ」
「はあ!?」
詳しく話を聞いてみると、とんでもない事実が明らかとなる。
なんと、断っていたエシラとの結婚話を、酔った父メーレが勝手に進めていたらしい。
そのため、リュザールはエシラと婚約関係にあるにもかかわらず、アユと結婚したことになっていたようだ。
「お前、なんでそんなことをしたんだよ」
「だって、わたくしは幼いころからリュザール様と結婚するものだと言い聞かされていたから、それ以外の男性との結婚を、まったく考えていなかったの」
「はあ? お前、口では俺との結婚を嫌がっていたじゃないか」
「それは、リュザール様がまったく優しくないからで、別に、本当に嫌だったわけじゃないわ」
「なんだよ、それ!」
エシラの考えていることは、昔から理解不能だったのだ。
機嫌がいいと思っていたら怒りだし、怒っていたと思っていたら上機嫌になる。
生涯、彼女のころころ変わる機嫌に付き合うことを考えていたら、ゾッとしてしまう。
だから、リュザールは結婚の話を断ったのだ。
「もしかして、わたくしが嫌だと言わなかったら、結婚していたの?」
「いいや、断っていた。俺達は、元より相性が悪かったんだよ」
エシラは涙を浮かべていたが、はっきり言っておかないと、また同じように押しかけてくるかもしれない。
リュザールは包み隠すことなく、気持ちを伝えた。
「別に、お前の人となりは嫌いじゃなかったよ」
「ほ、本当?」
「女として、惹かれるところはまったくなかったが」
「そ、そういうの、言わなくてもよくない?」
エシラの涙はすぐさま引っ込み、怒りの形相となる。
「ねえ、アユ! あなた、こんな人と結婚して、苦労するわよ?」
「なぜ?」
「だって、口が悪いわ」
「リュザールは、素直なだけ。私は、人の気持ちを察することができないから、助かる」
「で、でも、傷つかない?」
「別に」
リュザールはアユの、こういう飾らないところが好ましいと思う。
エシラのように嵐のような感情の起伏はないが、草原を漂う優しい風のような気性を持つ彼女といると落ち着くのだ。
「なんだか、リュザール様の花嫁にしておくには、もったいない気がするわ」
そんなことを言いながら、エシラはアユの頬を突きだす。
アユは怒らず、されるがままになっていた。
「お、おい、エシラ・コークス。アユの頬を突くな」
「この子のほっぺ、張りがあって、すべすべで、ぷにぷにしているの」
「どういう経緯で、それを発見したんだよ!」
「勝負をした時。アユに負けて、悔しくなってほっぺを摘まんだの」
「おい、待て。お前、なんの勝負をしたんだ?」
「リュザール様の花嫁の座を賭けた勝負だけど」
リュザールは両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちる。
「お前ら、何をやっているんだよ……」
「だって、この結婚に納得いかなかったから」
「納得いかないって、大精霊が認めた結婚が、覆るわけがないだろうが」
深い、深いため息を吐き、リュザールはアユのほうを見る。
「アユ、お前も、なんで勝負なんか受けたんだよ」
「遊牧民の教えの中に、『雨を待つより、雨の降る地へ行け』という教えがある。欲しい物があったら、ぼんやりしていては手に入らない。だから、私は勝負をして、勝った」
そうだったと、リュザールは思い出す。
遊牧民の古き言葉の中に、『猛き者が遊牧し、弱き者が耕す』というものがある。
安寧を手にする街暮らしの者と違い、遊牧は自然に身を任せ、毎日が冒険という過酷な環境の中で暮らしてきた。
遊牧をして暮らす者は精神的にも、体力的にも強かなのだ。
裕福な商人の娘であり、使用人に囲まれて暮らすエシラが、アユに勝てるはずがない。
それと同時に、エシラは遊牧民の生活にはついてこられないことにも気づく。
とは言っても、持ち前の根性でついてくるだろうが、それが二年、三年と続くとも思えなかった。
リュザールは改めて思う。
自らの花嫁選びは間違いなかったのだと。
「まったく、しようもないことをしやがって」
「でも、スッキリしたわ。完全に、わたくしの負けよ」
「そんなに、徹底的に負けたんだな」
「ええ。まさか、駆けっこで勝負するなんて、想定外だったけれど」
「駆けっこ……だと?」
リュザールの妻の座は、駆けっこで決めた。
なんとも、単純な勝負である。
「まあ、勝負の内容はどうでもいい。エシラ・コークス、お前、アユの頬を突くのを止めろ」
「リュザール様も、アユをぷにぷにする?」
「は?」
エシラを見たあと、アユのほうに視線を移す。
嫌がる気配はなく、じっとリュザールを見ていた。
これは、しても問題はないという意味だろう。
「さあ、どうぞ、リュザール様」
「な、なんでお前が勧めるんだよ。アユは俺の妻だ。頬をぷにぷにするか否かは、俺が決める!」
「それもそうね」
エシラはそう言って、すっと立ち上がる。
そのまま出て行くと思っていたが、振り返って指先で何かを弾いた。
キラキラ光るそれは、弧を描くようにしてリュザールのもとへと飛んでくる。
手のひらの中に飛び込んできたのは、一枚の金貨だった。
金は、結婚を祝福するものである。
「リュザール様、お幸せに」
「お、おう」
エシラが出て行ったあと、アユと二人きりになって急に静かになる。
そんな中、アユはリュザールに話しかけてきた。
「リュザール」
「なんだ?」
「ほっぺた、ぷにぷにする?」
「今はいい」
「そう」
再度静かになったが、再びアユはリュザールに話しかけた。
「リュザール」
「なんだよ」
「おかえりなさい」
そう言われ、家に帰ってきたことを実感した。
護衛の仕事で張りつめていた心は、じんわりと解れていく。
リュザールは、言葉を返す。
「ただいま」