妻の座を
アズラの嫁という言葉がいつもよりも強調されている気がした。
「そこに、座ってください」
「うん」
エシラが正座だったので、アユもそれに倣う。
「朝……いや、夜と言っていいかもしれません。あなたのところに、この暴走娘が来ましたね?」
「来た」
「何をしましたか?」
「銀の胸飾りを、見せてもらった」
そう答えると、アズラは目を吊り上げさせてエシラを睨む。
「この話は聞いていませんが?」
「ど、どうでもいいことでしょう?」
「洗いざらい、全部話せと言いましたよね?」
「だ、だって、この子が──」
「アユのせいにしない!」
どうやら一度、裏で事情を聴いていたようだ。アユにも話を聞いて、辻褄合わせをしたいらしい。
「まったく、勝手に押しかけて、私物の自慢をするなんて」
「お義母さん、自慢じゃない。私が銀を見たことがなかったから、見せてくれた。とっても、綺麗だった」
「……」
「……」
アズラはごっほんと咳払いする。
「とにかく、この娘は非常識なことをしましたね?」
「それは、まあ」
寝ているような時間に訪問するのは、非常識でしかない。その点はアユも認める。
「実はもう一人、非常識な輩がいまして」
いったい誰なのか。
アズラは先ほどよりも表情が険しくなる。
「それは──我が夫メーレです」
「お義父さんが、なんで?」
リュザールはエシラとの間にあった婚約を、彼女の父であり草原の大商人であるドル・ラ・コークスのもとへ赴いて直接断っていたらしい。
「大商人ドル・ラ・コークスと、我が息子リュザールとの間で、大商人の娘エシラとの婚約は破談となりました。しかし──」
父親から婚約破棄を聞いたエシラは、納得できなかった。
この結婚は、ユルドゥスの発展にも繋がる。悪い話ではないと訴えたのだ。
「大商人ドル・ラ・コークスも、娘が可愛かったのでしょう。すぐに、我が夫メーレを呼び寄せ、それはそれは豪勢な宴を開いたそうです」
良い酒を振舞われ、メーレは酷い酩酊状態となった。
そんな中で、エシラの父は再度リュザールとの結婚話を持ち出したのである。
「狡猾な大商人ドル・ラ・コークスは、ユルドゥスの発展については口にせず、我が息子リュザールと、大商人の娘エシラは互いに素直になれず、顔を合わせるたびに反発しあっているだけで、本当は深く愛し合っているのだと唆し──」
ドル・ラ・コークスは情に訴える作戦に出たのだ。
酒も入って普段以上に感情的になっていたメーレは、二人の結婚をその場で承諾してしまった。
誓約書も交わしていたらしい。大商人ドル・ラ・コークスは用意周到だった。
「夫メーレは覚えていなかったようです。しかし、我が家の隠し宝庫の中に、しっかり息子を売り飛ばす内容の誓約書が入っていました」
悪いのは誰か。
結婚を断られたのに、諦められなかったエシラか。
それとも、不用心に酒を飲み、息子の結婚話を勝手に進めた父メーレか。
「決めかねたので、両成敗としておきました」
そんなわけで、リュザールを巡る結婚話は、いささか拗れていた。
「私は、夫メーレが決めていた通り、我が息子リュザールの結婚は本人に任せるつもりでした。だから、この結婚に異議はありません。しかし、この娘はどうにも納得していないようで」
「だって、あなたが来なかったら、リュザール様はわたくしと結婚する予定だったのに」
「まだ言いますか! 我が息子リュザールは、何があろうと大商人の娘エシラと結婚するつもりはなかったのですよ!」
「……」
だんだんと涙目になっていくエシラを見ていると、アユは気の毒になる。
しかし、アユを妻にと選んだのはリュザールだ。そして、この結婚は大精霊に認められた。
今更、覆すことはできない。
「さあ、悪いことをしたと、我が息子リュザールの嫁アユに謝りなさい」
「……」
「さあ!」
「……」
エシラは唇をぎゅっと噛みしめ、黙り込む。
アズラはアユに謝罪させるために連れてきたようだが、まったくその気はないようだ。
「そもそも、あなたはリュザール様の嫁に選ばれるほど、素晴らしい祝福を得ているの?」
「……」
アユは目を伏せ、膝の上に拳を作る。祝福については、突かれたくないことであった。
「え、どうしたの? なんの祝福を得ているのか、聞いただけじゃない」
「……」
「アズラ様、彼女は、どういった祝福をお持ちで?」
「それは──」
アズラは言いよどむが、祝福がないことは悪いことではない。そう思ったのか、はっきりアユには祝福がないと述べた。
「祝福がないですって? だったら、リュザール様の額には、精霊石がないってこと?」
「それは、そうだけど」
「それであなただけ、リュザール様の精霊石を額に宿していると?」
「……」
エシラはありえないと、糾弾した。
「なんで、リュザール様はあなたみたいな人を選んだのかしら? もしかして、色仕掛けでもしたの? リュザール様が、小娘に騙されたと?」
「止めて。リュザールは悪く言わないで」
アユについていろいろ言うのは許せるが、リュザールを悪く言うことだけは許せなかった。
初めて、アユはエシラを睨みつけ、反抗的な態度に出る。
「な、何よ。同情だか、色仕掛けだか知らないけれど、卑怯な手を使って結婚まで持ちかけたのね」
アズラが何か言おうとしたが、それよりも早くアユが喋りかけた。
「だったら、私と勝負をする?」
「え?」
「リュザールの妻の座を賭けての、勝負を」
一度、納得してもらわないと、この先も同じようなことが起きる可能性があった。
難癖付けられるのも困るので、アユは提案する。
「勝負って、あなた、負けたらここから出て行くの?」
アユはじっとエシラを見る。了承するという意味だ。
それに待ったをかけたのは、アズラである。
「何を言っているのですか! そんなこと、認められません」
「でも、エシラは私達の結婚に納得していない。私が彼女に勝たなきゃ、きっと、後腐れが残る」
「ですが──」
「勝負、しましょう」
エシラがアユの勝負に乗った。
「もしも、わたくしが負けたら、リュザール様のことは忘れるわ」
二人の女性は睨み合う。
アズラは溜息を落とし、呆れた様子でアユに言った。
「あなた達はいったい、なんの勝負をするというのです?」
「それは──」
駆けっこ。
アユはごくごくシンプルな勝負を持ちかけた。