突然の訪問者
アユは目を擦り、ゆっくりと起き上がった。
すると、目の前に黒い鷲の羽根がぐぐっと突き付けられる。
「ねえ、これ、リュザール様の鷲の羽根よね?」
「……たぶん」
「多分って何よ! ユルドゥスで黒い鷲を持っているのは、リュザール様だけなんだからね」
「そうなんだ」
「常識よ!」
女性と話をしているうちに、アユの意識はだんだんとはっきりしてくる。
灯火器に照らされる女性は、珍しい髪の色をしていた。
「研いだばかりの、鉄の色……」
「何が!?」
「あなたの、髪」
「これは鉄色ではなくて、銀よ!」
「銀?」
「そう。失礼な人ね!」
「銀、見たことないから」
「あら、そうなの?」
女性はもぞもぞと動くと、アユの目の前に何か突き出してくる。
「これが、銀よ!」
「これが、銀」
「そう」
ザクロの花を模した、美しい細工であった。研いだばかりの鉄よりも綺麗で、繊細に見える。女性の髪色と銀は、よく似ていた。
綺麗だとも思う。
ここで、女性と初めて目が合った。
ガーネットのような瞳は切れ長で、猫の目のように吊り上がっている。勝気な美人だ。
年頃はリュザールと同じくらいか。
すらりと背が高く、燃えるような熱い眼差しでアユを見降ろしていた。
瞳に浮かんでいる表情は烈火のごとく。その正体は、怒りだろう。
「あなたは、リュザールの、知り合い?」
「知り合いもなにも、わたくしはリュザール様の婚約者よ」
「婚約者?」
「あなたは何者なの? リュザール様の家がなくなっていて、ここに黒鷲の羽根が刺さっていたことに驚いたんだけど」
ユルドゥスでは、鷲の羽根を表札代わりにするらしい。そのため、ここがリュザールの家だと気づいたのだとか。
「婚約者……あなたは、リュザールと、結婚の約束を?」
「そうよ」
そういえば、以前リュザールの結婚についての話を父メーレとしていた。
エシラ・ル・コークス。十六歳の、炎の大精霊に愛される娘である、と。
年上だと思っていたが、アユと同じ年だった。
リュザールとアユの結婚話を聞きつけて、やって来たのだろう。
「あなたは、コークス家のエシラ?」
「そうよ。あなたは──リュザール様の家にいるってことは、まさか……!」
「私は、リュザールの妻」
「なんですって!?」
エシラはアユの肩を掴み、じっと睨みつける。
「嘘を言ったらダメよ。リュザール様の妻が、まだこの世に存在するはずがないわ」
「でも、リュザールは私を選んだ」
「嘘よ!」
どうすれば信じてもらえるのか。アユは朝から困り果てる。
『キッ!』
騒ぎで、カラマルが目覚めたようだ。食事を要求するため、アユのもとへと近寄って来る。
「そ、それ、イタチじゃない!」
「イタチじゃない。白イタチ。イタチを、家畜化させたもの」
「同じよ!」
同じではない。野生のイタチと違って体臭はほぼないし、人によく懐いている。
「ちょっと、近寄らせないで! イタチに噛まれると、病気になるって聞いたことがあるわ。それに、肉食で人間に噛みつくこともあるって」
「だから、これは白イタチで」
「はやく追い出して!」
「あなたが、出て行ったら?」
「どうして!?」
「だって……」
ここはアユとリュザールの家だ。部外者であるエシラが部外者であることは明らかである。
「結婚についての話は、リュザールのお父さんとお母さんに聞きに行って」
「それも、そうね」
あっさりと引き下がる。
エシラはなかなか掴みどころの難しい女性だった。
エシラが出て行くと、アユはふうと息を吐く。
そして、近くでキイキイ鳴いているカラマルに、餌を与えた。
外から太陽の光が差し込む。夜は明け、朝となった。
朝食を作り、巫女に持って行く。
出てきた炎の大精霊の巫女イルデーテに、食事を手渡した。
「アユさん、昨日の差し入れ、とっても美味しかったです。小腹が空いていたので、みんな喜んでいましたわ」
「そう、よかった」
巫女達も差し入れであった葉巻型パンを食べたようだ。
「赤ちゃんは?」
「ええ、元気な男の子が産まれて」
母子ともに健康らしい。ハルトスでは、出産と同時に、母子共々命を落とすことも珍しくない。だから、心からホッとした。
「アユさんは、何かありました?」
「え?」
「少し、元気がないように思えて」
「それは──」
原因はエシラの訪問である。
彼女が正統な婚約者だと主張していた。
自分がいなければ、リュザールは彼女と結婚していたのだ。そのことを思うと、胸がぎゅっと苦しくなる。
イルデーテに話してみたら、心配ないと励ましてくれた。
「あなた方の結婚は、大精霊様が認めたものです。胸を張っていたらいいですよ。そうは言っても、気持ち的には落ち着かないでしょうけれど」
イルデーテはアユが作った朝食を掲げて言った。
「美味しい料理を作ったその手が、健やかであるように」
アユは複雑な表情のまま、言葉を返した。
「その料理があなたの健康にいいように」
◇◇◇
家に戻ると、アズラが胡坐をかいて座っていた。隣には、正座をしているエシラの姿がある。
「我が息子リュザールの嫁アユ、戻りましたか」