乳製品作りは大変
アユはアズラと共に洗濯物を干したが、一息つく間もない。
今度は、セナとケナンが搾ってきてくれた家畜の乳を加工しなければならないのだ。
「仕事は、自分ができる範囲で構わないので。わからないことがあったら、聞きに来てくださいね」
「うん、ありがとう」
アズラと別れたあと、乳製品作りを行うために腕まくりした。
乳製品ごとに、使う乳は決まっている。
ヨーグルトやバターは牛乳。チーズは羊か山羊の乳を使う。
まずは牛乳でヨーグルトを作る。大鍋に入れて、沸騰させるまで加熱した。
沸騰したらしばし冷ます。最後に、ふた匙のヨーグルトを種菌として入れて混ぜ、鍋を駱駝の毛を織って作った布でぐるぐる巻きにして包むのだ。涼しい場所に一日置いたら、ヨーグルトの完成となる。
続いて作るのは、ペイニルと呼ばれる山羊の白チーズ。
鍋に山羊の乳を弱火で沸騰させないように加熱する。
鍋の縁がふつふつしてきたら、鍋を火から下し二度漉した。そのあと、檸檬を絞る。
これに、凝固剤を入れて、かき混ぜた。
凝固剤はアズラが作った物を譲ってもらったのだ。
アユは凝固剤の入った壺を持ち上げ、ため息を一つ落とす。
ふいに、幼いころの記憶が甦ったのだ。
凝固剤は驚くべき物で作られる。真実を知ったのは、アユが六歳くらいだったか。
誕生日に父親から、子山羊をもらった。世話をするようにと言われ、大事に育てていた子山羊だったが突然いなくなった。
狼にでも襲われてしまったのか。そう思っていたが、犯人は父親だった。
アユは残酷な光景を目にする。
父親が家屋の裏で子山羊の腹を大きなナイフで裂き、腹の中を探っていた。そして、血まみれの手で取り出したのは、胃である。
止めてと叫んで駆け寄ったアユに、父は言った。これで、チーズの凝固剤を作るのだと。
いつも食べているチーズに、子山羊の胃がかかせないと聞いた幼いアユは衝撃を受けた。
父親は乳離れしていない子山羊から胃を取るために、アユに世話を頼んでいたのだ。
悲しくて、苦しくて、泣き叫んでしまった辛い思い出である。
草原の民なら誰でも経験することだった。
そんなわけで、凝固剤は母乳のみで育った子山羊か子羊の胃を使って作られる。
作り方はそこまで難しくない。
まず、乾燥させた胃を、ヨーグルトを絞った液に漬けこむ。これに、小麦粒と葡萄を二粒入れて、半年経ったらチーズの凝固剤が完成するのだ。
ちなみに、子羊よりも子山羊の胃のほうが効果は高い。
幼いころの記憶を思い出しながら、アユはチーズを作り続ける。
凝固剤を入れ、混ぜているうちにだんだんもったりしてきた。
三十分ほどで固形物と水分が分離するので、煮沸消毒した布で漉す。
真っ白い固形物となったほうがチーズだ。
保存性を高めるため、塩を混ぜる。これを再度布に包み、重しを乗せて水抜きをするのだ。
その後、三日ほどで食べられるようになる。
アユは額の汗を拭い、一仕事終えたと息を吐いた。
ただ、乳製品作りはここで終わりではない。
作ったあとに残るものがある限り、続くのだ。
日差しが強くなってきたのでアユは朝巻いていた天井の布を、棒を使ってもとに戻す。
外からは、子どもたちが楽しそうにはしゃぐ声が聞こえていた。
そんな声を聞きながら、次なる作業へと取りかかる。
チーズと分離した水は、乳清と呼ばれている。これからも、乳製品が作れるのだ。
乳清からは、二種類の乳製品が作れる。
一つ目はハルと呼ばれるもの。乳清を煮詰め、水分を飛ばす。塩で味を付け、茶褐色になったら完成。これは、調味料となる。
二つ目はノルと呼ばれるもの。これは、乳清を加熱し、表面に浮かんだ黄色味のあるものを掬い取って水分を切ったあと塩を振り、革袋に詰めて保管する保存食だ。
ノル作りで余った乳清は、パン作りに使う。
乳清は栄養豊富で、美容と健康にもいいと言われている。
せっせと乳清入りのパン生地を作り、集落の共同かまどで焼いた。
パンが焼きあがるころには、すっかり陽が傾いていた。
籠の中に山盛りにパンを乗せていたら、誰かがやってくる。
「あ、アユちゃんだ」
「ケリア義姉さん、こんばんは」
アユと同じくパンを焼きにきたのは、義姉のケリアである。
彼女は、トウモロコシパンを今から焼くようだ。
鉄板にパンを並べ、火の中に入れる。
「よしっと」
ひと仕事終えたケリアは、アユに話しかける。
「アユちゃん、今日は何をしたの?」
「ヨーグルトと白チーズを作って、ノルとハルを作って」
「それから、そのパン?」
想像以上の頑張りだったからか、ケリアは目を見開いて驚いていた。
「すごいわね~~。私なんか、不器用だから一日に一種類の乳製品しか作れないの」
「コツがあって」
乳製品の作り方を教えているうちに、トウモロコシパンが焼きあがったようだ。
「うふふ。アユちゃん、ありがとう。今度試してみるわ」
「いいえ」
「あ、そうだ。夕食、うちで食べない? 今日、一人でしょう?」
「いいの?」
「いいの!」
そのまま行けるか聞かれたが、洗濯物を取り込んでいないことを思いだす。
「もう、湿気ているかも」
「大丈夫よ。この辺は、乾燥しているから。じゃあ、洗濯物を入れたあと、うちに来てちょうだい」
「わかった」
アユは急いで家に戻り、洗濯物を取り込む。
ケリアの言っていたとおり、まだ湿気ていなかった。
取り込んだ洗濯物を畳んで、木箱に詰める。
手ぶらでは行けないので、先ほど焼いたパンを土産として持って行くことにした。
次話より不定期更新となります。どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m