一日の終わり
アユはあまり料理を食べていないのではと心配していたが、しっかりと食べている様子を見て安堵する。
彼女は痩せすぎている。
ふくよかなニライくらいとは言わないが、しっかり食べて肉を付けてほしかった。
酒は慣れていないようで、チビチビと飲んでいた。
あまり強くないのか、アユの頬はだんだん赤くなっていっている。
目つきもとろんとしてきていた。
「眠いのか?」
「ううん、平気」
花嫁は花婿よりも朝早く起き、身支度を行っていたと聞く。眠いに違いない。
そう思って、途中からアユにミント入りのレモネードを飲むよう勧めた。
「あ、そうだ」
リュザールは巫女の近くで料理を食べていた灰色の髪の兄弟を指さす。
「あそこにいるのが、俺の家畜の世話をしている兄弟で──」
兄セナ、十三歳。腰までの髪を一つに結び、胸の前から垂らしている見目麗しい少年だ。
隣に座るのが、弟ケナン、八歳。髪は短く刈られ、パクパクと料理を食べているやんちゃな少年だ。
彼らもまた、アユと同じように不幸な境遇の中、ユルドゥスに保護された遊牧民なのだ。
リュザールは兄弟を呼び寄せ、アユを紹介する。
「彼女が、妻の、アユだ」
なんとなく、名前を呼ぶのは気恥ずかしい。しかし、しっかり紹介しなければと思って、はっきりとアユの名を呼ぶ。
「僕は、羊飼いのセナ。こっちは弟の……」
「ケナン!」
セナは人見知りをする。いまだに、リュザールと目を合わせようとしない。
一方で、ケナンは人懐っこい。
「リュザール様の花嫁様、『すげえいい女』だね」
「お前、どこでそんな言葉を覚えてくるんだよ」
「さっき、おじさん達が家屋の裏で言ってた」
すげえいい女と言われたアユは、無表情でいた。幸いにも、気にしていないようだった。
リュザールは眉間に寄った皺を指先で伸ばす。
子どもはすぐ大人の言葉を真似する。注意してほしいと思った。
「それで、家畜の世話はこいつらがするから」
「乳しぼりは?」
「乳しぼりもだ」
「毛刈りは?」
「毛刈りもだ」
家畜の放牧には行かなくてもいい。そう言うと、アユは目を丸くした。
「俺はこいつらに、給金を与えている。だから、安心して任せておけ」
「そう、だったんだ」
アユは家事や絨毯作りに加え、家畜の世話もするつもりだったようだ。
「どれだけ働くつもりだったんだよ」
「それが、普通だったから」
「ここでは普通じゃないからな」
念のため、釘を刺しておく。
兄弟が休みの日には、リュザールが家畜の世話を行う。
女達は、家を守ることが一番の仕事なのだ。
「そういうことだから、頼んだぞ」
「わかった」
アユは兄弟とも、握手を交わす。
同じ遊牧民と知ったからか、アユは親しみのこもった目で兄弟を見ていた。
上手くやっていけるか心配していたが、兄弟とアユの相性は悪くなさそうだった。
こうして、結婚式と披露宴は無事に終わった。
◇◇◇
燦燦と大地を照らしていた太陽は、地平線へと沈んでいく。
空には満天の星がキラキラと瞬いていた。
夜になっても、宴は続く。
皆、酒に酔い、いつも以上に陽気になっていた。どんちゃん騒ぎは収まりそうにない。
アズラは目線でリュザールに下がるように指示を出す。
新郎新婦は最後まで宴に付き合う必要はない。
精霊と初夜を迎えるために風呂に入って、体を清めなければならないのだ。
熱めに温められた湯に浸かり、一日の疲れを落とした。
湯の中で思う。今日はあっという間だった。
良い、結婚式だったと思う。
明日から、精霊を交えた新婚生活が始まるのだ。
いったいどんな毎日となるのか。想像つかない。
しかし、アユと一緒ならば、困難があっても乗り越えられそうな気がした。
彼女は強かだ。
同じくらい、強くならなければとリュザールは思った。
少し、湯がぬるくなってきたか。
そろそろ上がろうかと思っていたら、風呂場の外にいる水の大精霊の巫女デリンより声がかかった。
「リュザール! 長風呂だけど、湯あたりして倒れているんじゃないだろうね?」
「ああ、大丈夫だ!」
どうやら、心配をかけてしまったようだ。風呂から上がり、大判の布で体を拭きながら謝罪する。
「悪い、遅くなって」
「何をしていたんだい」
「考え事をしていたんだよ」
「そういうことに、しといてやるよ」
「他に、風呂場で何をするんだよ」
その問いかけに対しての、答えはなかった。
家屋に戻ると、誰もいなかった。アユは風呂に行ったようだ。
部屋の中には、三人分の布団が敷かれている。
リュザールと精霊とアユの分だ。
これから一年間、このようにして眠るのだ。
アユを待つ間歯を磨き、小さな灯火器の灯りを頼りにナイフの手入れをする。
一時間後、アユが戻ってきた。
全身をすっぽりと覆う布を被っていた。
布の下は寝間着なのだろう。灯りを消すまで、取るつもりはないようだ。
アユは一つだけ灯っていた灯火器の炎を、息をふっと吹きかけて消す。
家屋の中は、まっくらになった。
精霊との初夜と言っても、特別することはない。
ただ、朝までぐっすり眠るだけだ。
しかし、アユがいるということは慣れないことで、どうにも落ち着かない。
真っ暗闇の中で姿は見えないものの、彼女の香りがするので十分存在感がある。
疲れているので、横になったら眠れるだろう。
そう思って、布団に寝転がる。
「精霊様、おやすみなさい」
リュザールがそう言うと、アユも同じ言葉を繰り返す。
それから、アユにも一日の終わりの言葉をかけた。
「おやすみ…………アユ」
「おやすみなさい、リュザール」
大変な一日は、このようにして幕を閉じたのだった。