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愛されなかった娘

 青年は背に回していた弓矢を手に取り、照準を去りゆく中年男に向ける。

 すると、少女の目の色は変わった。青年に縋りつき、止めるように懇願する。


「ダメ。あれは、叔父、だから」


 苦しげな、絞り出すような声であった。


「どういう、ことなんだ? あいつは、誘拐犯なのだろう?」

「……」


 少女は否定しない。


「今、こいつで走ったら、追いつくが……?」


 少女は首を横に振る。中年男のもとに戻りたくもないようだった。


 誘拐犯であるし、叔父でもある。

 それだけの情報では、どういうことなのかわからない。


「まず、名を聞かせてもらおうか」

「……ハルトスの、アユ」

「ハルトスって、ああ。羊飼いの遊牧民か」


 アユという名の少女は、頷きもせずにじっと青年を見る。これが、彼女の肯定の意なのだ。


「なるほど……ハルトスか」


 言われてみたら、アユの着ている服は、標高の高い草原を遊牧するハルトスの厚いフェルトを使った装いであった。

 ハルトスが育てた羊毛は高級品として草原の民の間でも有名な話だった。


「俺は、ユルドゥス族のリュザール・エヴ・ファルクゥ」

「ユルドゥス……調停者の、一族?」

「そうだ。侵略者でないことは、わかるな?」


 アユはじっと、リュザールを見る。怖がっている様子はなかった。


 ひとまず、リュザールはホッとする。

 彼は顔つきがきつく、侵略者に間違われることがあった。

 黒髪の多い一族の中に、一人だけ金の髪を持っているのも、理由の一つだろう。

 これは、母親からの遺伝だ。そんな事情を、他の者は知る由もない。

 そのため、侵略者であると勘違いされ、怖がられることは一度や二度ではなかったのだ。


「俺は、俺達は、遊牧民を害さない、調停者だ。だから、安心しろ」


 調停者は、草原で起きた争いの場に現れる一族だ。両者の間に割って入り、争いを仲裁する。

 もしも、戦いを止めない場合は、両成敗という処置を取ることもある。

 調停者の一族であるユルドゥスはそれを可能とするほどの、絶対的な武力を持っているのだ。


 ここで遠くから、一本ひともとの黒い鷲が飛んできた。

 青年リュザールは手を伸ばす。

 鷲は、リュザールの半身ほどの大きな個体である。

 嘴には、燃えた布を銜えていた。


 重たいであろう鷲を、リュザールは難なく腕に止める。


「……全焼に、生存者なしか」


 リュザールは鷲を放ち、現場がどのような状況であるか調べさせていたのだ。

 結果は、悲惨なものである。

 侵略者は撤退し、遊牧民達は殺され、家畜の一匹も残っていないと。


「あれが、お前の……ハルトスか?」


 すぐに、アユは首を振った。


「だったら、叔父の一族か?」


 アユはもう一度、首を振る。


「都へ行く途中に、私達をもてなしてくれた、名も知らない、遊牧の人達」


 都――山岳地帯で活動する遊牧民には、あまり縁がない場所である。


「お前、叔父と都に行こうとしていたのか?」


 アユはじっと、リュザールを見る。質問に対し、肯定しているのだろう。

 彼女の瞳はどこまでも深く、青い。見たことのない海は、このような色をしているのかと、リュザールは思う。


 アユは目を逸らさない。

 リュザールはハッと我に返り、次なる疑問を投げかけた。


「なぜ、あんな軽装で都に行こうとしていたんだ? 都に行くのは、商人か――」


 ここで、リュザールは言葉を呑み込む。

 遊牧民が都に行く時は、品物を売り買いしに行く時だけだ。それ以外の目的では、行かない。

 都へ買い出しに行くようには見えなかった。

 普通、大事に扱っている少女を、見捨てたり頭を掴んで地面に額を押し付けたりと雑な扱いはしない。

 それに、アユは先ほどから何か引っかかるような物言いをする。


「人身売買か?」


 リュザールがポツリと呟いた言葉を、アユは否定しなかった。

 都では、金に困った侵略者が、攫った遊牧民を金持ちに売り払うことは珍しくない。


「お前の叔父は、侵略者なのか?」

「違う。仕事は、金貸し」

「金貸し……」


 まれに、遊牧民の中には変わったことを生業なりわいとしている者がいる。アユの叔父も、その中の一人なのだろう。

 その中でも金貸しは、侵略者との繋がりが強い。彼らは時に、侵略者の思想に染まり、悪いことを悪いと思わず、暴力的な行為を働くことがあった。

 だとしたら、アユが連れ去られた理由は容易く想像が付く。


「すまん。推測させてもらうが、お前の両親が叔父に借金をしていて、それが返せなくなって、借金のかたに、お前を無理矢理連れ去った。これで、合っているか?」


 アユは否定せず、リュザールの顔を見つめていた。即ち、正解ということである。


「なんだよ、それ……」


 奇しくも、不幸な少女を、リュザールは助けてしまったのだ。


「お前、これからどうする? ハルトスの、遊牧地はわかるか?」


 アユは山が並ぶ方向を指差した。


「歩いて行けるか?」


 その問いには、首を横に振る。


「徒歩ではいけないのか? アレだったら、この馬で送ってやるが」


 アユは首を振り続ける。


「もしかして、帰れないってことか?」


 問いかけに、アユは首を振らずにリュザールの顔を見る。


「なぜ、帰れない?」

「母が、双子を産んだ。これ以上食い扶持が増えたら、暮らしていけない」


 借金をしていた理由も判明する。

 アユは大家族の中で暮らしていて、母親が二人の子どもを産んだ。それは喜ばしいできごとであったが、別の問題が生じる。

 裕福でない一家は、家族全員を養う財を有していなかったのだ。


「なるほど。だから、家族は連れ去られるお前を助けなかったと。それで、これからお前はどうする?」

「ここで」

「ここ?」


 以降、アユは何も喋らなくなった。

 視線はいまだ煙をあげる草原のほうを見ていた。


「もしかして、ここに残るつもりなのか?」


 問いかけに反応を示したものの、アユは首を振らない。ただただじっと、リュザールを見つめるばかりだ。

 この草原の地には何も残っていない。

 家畜も、家も、人も、すべてなくなってしまった。

 今、リュザールの鷲が調べてきたばかりだ。


「ここに残って、何をするんだ?」

「精霊に、祈りを」

「祈りって、ここで精霊に何を祈るつもりだ?」

「亡くした魂と、大地と……来世で、私を愛してくれるように、と」


 精霊の愛とは、祝福のことだ。

 祝福を受けた子どもは、奇跡の力を持って生まれる。その言葉のように、手のひらに精霊石を握って産まれるのだ。

 リュザールも、菱型のエメラルドのような石を握って生まれた。それは、今も肌身離さず持ち歩いている。

 リュザールは風の大精霊の祝福を授かっていた。そのため、呪いを唱えると、どこからともなく、風を起こすことができる。


 アユが言った「来世で愛してくれるように」というのは、今世では愛されていないということになる。つまり、精霊から祝福を受けていないのだろう。

 彼女は奇跡の力を使えないようだ。


 草原に生きる者は、精霊から祝福を授かる。アユのように、何も持たないで生まれる者は稀なのだ。


「だから、その齢になっても、独身のままで実家にいたんだな」


 遊牧民の結婚は早い。十歳の時には結婚相手を決め、十三歳になったら結婚する。

 アユは幼い顔立ちで小柄だが、身体つきから十五は超えているように見えていた。


「お前、年はいくつだ?」

「十六」


 その年齢ならば、普通は既婚者だろう。

 顔立ちも、よくよく見たら悪くない。それどころか、汚れを落とし、身ぎれいにしたら美しい少女になるだろう。

 だったらなぜ、結婚していないのかという疑問は考えるまでもない。

 奇跡の力が使えないからだ。


 風を巻き上げ、火を熾し、水を湧き出し、大地から草木を芽吹かせる。

 精霊から生まれながらに授かる奇跡の力は、草原に住む人々の生活を助けるのだ。

 中でも、火の力を持つ少女は引く手あまたと言われ、結婚相手は選り取り見取りと言われている。

 それほどに、少女の持つ奇跡の力は、結婚において重要な要素だった。

 一方でアユは、それがない。

 そのため、この年になるまで結婚していなかったのだ。


「それで、嫁の貰い手がないお前は、死ぬまでここで祈り続けると?」


 問いかけに対し、アユはじっとリュザールを見つめるばかりであった。

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