結婚式の準備は大変
アユは作業用の花嫁衣裳に着替えるように言われる。紺のローブだ。
髪は左右に編み込み、くるりと丸めて団子状にする。
しばし、結婚式の儀式で踊る舞いを、リュザールの叔母であるケリアから習う。
なかなか足運びが難しく、手に持つ棒も重たい。
時間がないというので、一時間ほどで終わった。
当日上手くできるかは、運しだいだとアユは思った。
続いて、結婚式の料理を作るらしい。
大家族が暮らせるほどのメーレの家屋には、女達が集まっていた。リュザールが解体した羊の調理を始めている。
アユも一歩家屋に入ると、羊の腸が入った桶をアズラに手渡された。
「外に水の入った壺がありますので、それで洗ってください」
アユはアズラをじっと見て、承知した意を示す。
そんなアユに、アズラは微笑みを返していた。
アユはナイフで腸を開き、外でせっせと洗う。
最初は冷たい水で。次に、ぬるま湯。最後にまた、冷たい水で洗う。
ある程度綺麗になったら、今度は塩で揉んでぬめりを落とすのだ。
他国では、これに香辛料で味付けした豚肉を入れて腸詰めを作る。
草原では、豚を食べない。
なぜかといったら、豚の飼育は小屋が必要になるからだ。豚は、羊や山羊のように飼いならすこともできず、遊牧することに向かないため普段は食べない。
そのため、腸詰めを食べる文化はないのだ。
そもそも、腸詰めは手間がかかる。
取り出した腸をすべて食べるわけではない。腸詰めに使うのは、四層あるうちの粘膜下層と呼ばれる透明な部位である。それは、特別な加工をして作るのだ。
忙しい日々を過ごす遊牧民に、腸詰めを作る時間はない。
腸を洗い終わった頃、アズラがやって来てアユに問いかけた。
「ココレッチの作り方は知っていますか?」
アユはじっと、アズラを見上げる。
「結構。優秀なことです」
その視線を肯定と受け取り、アズラはアユにココレッチ作りを任せた。
材料は家屋の外に用意されていた。
ココレッチとは、長い棒に香辛料で味付けした腸を巻き付けて焼いた料理である。
まず、香辛料を振って下味をつける。
続いて、棒の内側に大腸、外側に小腸を巻き付けたあと火で炙る。
焦げないようにじっくり、じっくりと焼いていく。
額に汗が浮かぶが、ここを離れるわけにはいかない。
一瞬の油断が、腸の表面に苦い焦げを作ってしまうのだ。
じっくり一時間、腸を焼いた。その結果、こんがりとしたほどよい焼き色がついている。
あとは食べる前に腸を刻み、野菜と炒めてパンに挟んで食べるのだ。
もちろん、酒のつまみとしてそのまま腸だけ食べても美味しい。
上手くできたので、アユはふうと息を吐いて額の汗を拭う。
一品完成したからといって、アユに休む暇などなかった。
続けてアユが作るのは、米入り肉団子のヨーグルト煮。
茹でた米を羊のひき肉、すりおろしたジャガイモ、香辛料などと混ぜて団子状にする。それを一度揚げ、ヨーグルトソースで煮込んだら完成だ。
皆、休むことなく結婚式の料理を作り続けている。
ふと気づけば、太陽と地平線が重なっていた。
暑かった昼間とは違い、草原の夜は冷える。
陽が沈んだあとは、アズラに風呂まで連れて行かれた。
「結婚式前の花嫁は、巫女に体を磨いてもらいます」
アズラも入ると思いきや、アユ一人で中に入るように言われた。
内部は蒸し蒸ししていて薄暗く、最低限の灯火器が置かれるばかりだ。
香油が焚かれているようで、花のような甘い匂いがたちこめている。
「こんばんは。あなたがアユですのね?」
「おやおや、とっても綺麗な花嫁だ」
風呂の内部にいたのは、炎の大精霊の巫女イルデーテと、水の大精霊の巫女デリンである。
初対面だったので、互いに自己紹介をしたあと深々と頭を下げた。
「ではさっそく、お体を清めましょう。明日は精霊様をお呼びして儀式を行うので、念入りに洗わせていただきます」
アユはイルデーテに服を脱がされる。
「──あっ」
「安心なさって。みんな、服を脱いだら同じ姿ですから」
羞恥に耐えている間に、デリンがアユの背中から湯をかける。
その後、火鉢に焼石が入ったものが中心に置かれている布の区切りへ連れてこられた。
イルデーテが焼石に湯をかけると、水蒸気がぶわりと立ち上った。一気に、蒸されるような感覚となる。
ここで、体の中の汚れを汗と一緒に出すようだ。
そのあとは、長方形のヘソ石と呼ばれる台に寝そべるように言われた。
アユは恥ずかしくてたまらなかったが、観念して横たわる。
デリンとイルデーテが、アカスリで全身を磨いてくれた。
そのあと、オリーブの石鹸で髪と体を洗い、湯を何度も流す。
仕上げにダマスクローズのオイルを全身に塗り込んだら完了だ。
薔薇の強く濃厚な香りがアユの全身を包み込んでいる。
「うふふ。まるで、豪奢な薔薇のよう。あなたの赤髪と、薔薇の香りはぴったりだと思っていたの。これは、集落の女性には合わないと思っていたのですけれど」
「いい香りだけれど……虫が寄ってきそう」
アユの言葉に、デリンが同意を示す。
「そうだねえ。こんな艶やかな花には、余計な虫が寄ってきそうだ」
気を付けるように言われた。
薄布の寝間着を纏い、厚い布を頭から被って外にでる。すると、どこからともなく、弦楽器の音色が聞こえた。
誰かが、すぐ近くで演奏を始めたようだ。
切ないような、胸をぎゅっと締め付ける綺麗な旋律だった。
風呂場の裏手にいるようで、アユは覗き込む。
するとそこにいたのは――珈琲色の長い髪を前にゆるく結んだ青年だった。
色気のある垂れ目に、すっと通った鼻筋と整った顔立ちをしており、弧を描いた口元は楽しげだった。
見たこともないほどの美しい青年を前に、アユは草原の精霊が実体化したものかと見入る。
青年はアユの存在に気づいたようで、演奏を止めた。
「──おや、驚いた。月に恋する歌を奏でていたら、本物の月がやってきた。月の化身よ、名を聞いても?」
「…………アユ」
「なんという!」
アユは美しい満月の夜に生まれた娘である。
それを祝し、父親は月という意味があるアユと名付けたのだ。
「月の化身、アユ。なんと美しい! 今宵は、私と──」
「ここで何をやっているんだい、この虫野郎が!!」
青年の頭を渾身の力で叩いたのは、水の大精霊の巫女デリンであった。