巫女の風呂(ハマム)
風の大精霊の巫女ニライと別れる。
白イタチのカラマルは、アユの持つ革袋の中に入れておく。意外と落ち着くのか、大人しくしているよう。
続いてリュザールが案内したのは、集落の中でひときわ大きな家屋である。
ここは、水の大精霊の巫女デリンと炎の大精霊の巫女イルデーテの二人が作りだす風呂。
内部は布で区切られていて、まずは蒸し風呂で汗を出し、続いて大理石の板の上で垢すりを行う。最後に、オリーブの石鹸で体を洗うのだ。
以上がユルドゥスでの風呂の流れである。
体の調子が悪い時は巫女が按摩をしてくれる、至れり尽くせりな場所だ。
水の巫女と炎の巫女のおかげで、ユルドゥスの者達は毎日風呂に入れるようになっていた。
「……すごい!」
アユは感激しきっていた。
彼女の育ったハルトスでは、夏季は湖などに浸かって毎日沐浴するが、冬はそういうわけにはいかない。毎日湯を沸かすことも贅沢で、全身綺麗にできるのは一週間に一回程度だったらしい。
「ここを使うには、一週間に一度、巫女に貢物を持って行かなければならない」
最初にまず行く時は、高価な品を用意することになっている。
「例えば、モザイクガラスの灯火器とか、磁気の皿とか。それ以降は、パンとか菓子とかで構わない」
「そう」
アユは巫女に献上する品を持っていないからか、シュンとなった。リュザールは彼女の目の前に、丸いターコイズがあしらわれている銀の腕輪を差し出す。
それは一年前に都に行った時に買った品で、気に入って毎日身に着けていた物であった。
「これをやるから、巫女に献上しろ」
アユは首を左右に振り、受け取ろうとしない。
「いいから、受け取れよ」
「いい。巫女への献上品は、自分でどうにかする」
「それまで、湖で体を洗うのか?」
「……そう」
「この辺は、蛇も多いのに?」
暑い日は、木から降りて蛇も水浴びしていることをアユに告げた。
蛇が湖をスイスイ泳ぐ姿は、夏の風物詩でもある。
「蛇がいたら、捕まえておやつにする」
「毒蛇でもか?」
「……」
「先に言っておくが、この辺は毒蛇が多い」
アユは悔しそうに、唇を噛みしめている。
リュザールはアユの手首を掴むと、手のひらに腕輪を置いた。
「これは別に、いつでも買える物だ。また、欲しかったら買いなおせばいい」
「でも」
「だったら、出世払いにしてやるよ。いいから、受け取れ」
ここまで言ったら、アユは拒絶せずに腕輪を受け取ってくれた。
そして彼女は片膝を突いて、胸に手を当てる仕草を取る。
「なんだ、それ?」
「最大級の、感謝の意」
「そっか」
リュザールもアユと目線が同じになるよう片膝を突き、淡く微笑みながら言った。
「どういたしまして」
すると、アユの顔がじわじわ赤くなる。
「おい、どうしたんだ?」
「男の人と、同じ目線に、なったことがないから?」
「なんで疑問形なんだよ」
アユの頭をポンと叩き、腕を引いて立ち上がらせる。
男性と同じ目線になったことがないということは、常に女性側が腰の低い状態で接していたということだろう。
羊飼いのハルトスは酷い男尊女卑のようで、アユは時折召使いのようなへりくだった態度を取る。
それを目の当たりにするたびに、リュザールは歯がゆい気持ちになった。
彼女のことは何があっても守らなければ。
強く、思うようになった。
◇◇◇
水の大精霊の巫女と炎の大精霊の巫女は働きに出ているので、風呂にはいない。
夕方また、挨拶に行くことにした。
「あ、いた!!」
突然背後から大きな声が聞こえ、リュザールとアユを振り返る。
走って二人のいるほうへとやってきたのは、緑色の民族衣装に身を包んだ、三十代半ばくらいの中肉中背の女性。髪は、服と同じ緑の布で覆っている。
目はらんらんと輝き、好奇心旺盛な女性であることが一目でわかった。
彼女はリュザールの二番目の兄、ヌムガの妻ケリアだった。
「あれが、トウモロコシのパンを作った――」
料理が下手な義姉である。
「さっき、お義母様からあなたの結婚を聞いて」
もう、集落全体に情報が行き渡っているらしい。
ケリアはリュザールの後ろに隠れるように佇んでいたアユを発見し、顔を覗き込む。
「あら、綺麗なお嫁さんね! 初めまして、私、リュザールの義姉のケリア」
「はじめまして。私は――」
「アユちゃんでしょう?」
「おい、自己紹介くらいさせてやれよ……」
ケリアは大変せっかちで、大雑把な性格でもある。
若い時はたいそうな美人で、引く手数多だったらしい。今は子どもを産み、日々弓の腕を磨いているので、体は全体的にがっしりしている。
「アユちゃん、今日は大忙しだからね。まずは、明日の身支度の用意をしましょう。その花嫁衣裳も砂を被っているから、一回洗わなきゃいけないのよね」
ケリアは早口で、今日一日の段取りを話す。
「リュザール、あなたはお義父さんの羊を一体解体しておきなさい。雌の、不妊の羊。家屋の裏手に繋いでいるから」
「わかった」
子どもが産めなくなった雌羊は、たいそう美味なのだ。息子の結婚式のために、父メーレが奮発するらしい。
「あの、私も解体を?」
「アユちゃん、あなたはいいの。羊の解体は、男の仕事だから。じゃ、リュザール、あとはよろしく!」
「お、おう」
ケリアはアユの手を引き、嵐のように去っていった。