新しい命
巫女の家屋の中へと案内される。
内部の壁や床には、風、水、炎の大精霊を象った精緻な絨毯が敷かれていた。
中心部には、祭壇のようなものもある。
色とりどりのガラスの欠片を張り付けて作った丸い灯火器が置かれ、部屋の中をより神秘的に見せている。
ここには三名の巫女と、侵略行為によって親を亡くした十名の孤児が暮らしているのだ。
現在、皆おのおの働きに出ている。炎の大精霊の巫女イルデーテは祈祷の時間で、水の大精霊の巫女デリンは、元気のない家畜を診ている。子どもたちは、放牧にでかけた。
その中の二人は、リュザールの持つ家畜の世話をしている。
風の大精霊の巫女ニライはにっこりと微笑みかけ、二人に座るよう促した。
「結婚おめでとう、族長メーレの息子リュザール」
「まあ、なりゆきで」
「結婚とは、そういうものなのよ」
彼女自身は大精霊の妻で実質的には独身であるものの、何組もの結婚の儀を取り仕切っている。また何人もの孤児を育て上げた、母でもあるのだ。
「実は、あなたの結婚も、大精霊様の予言に出ていたの。だから、族長の妻アズラに花嫁衣裳を用意していたほうがいいと、助言していたのよね」
「は?」
母アズラはそんなこと一言も話していなかった。
「いや、なんでまず俺に言わないんだ?」
「だって、ユルドゥスの結婚は本人だけのものではないでしょう?」
「そうだけど」
「それに、人生を左右するような大精霊様の予言は、本人に言わないようにしているの」
今回のように、おめでたいことは助言として軽く話す場合もある。しかし、基本的に伝えることはない。
「なぜなんだ?」
「何もかも、大精霊様の予言に頼ってしまうからよ」
たとえ相手が死する運命だとしても、言うことはない。
「それを言おうが言うまいが、結果は変わらない。却って周囲を不安にさせたり、本人を情緒不安定にしたりするでしょう?」
「まあ、それはそうかもしれない」
「だから私達は、見て見ぬふりをするの」
「それも、大変だな」
「大精霊様の妻の役目よ」
そして、今朝方も大精霊の予言があったらしい。
「そう。それで、あなた達に聞きたいのだけれど」
「ああ」
「返事によっては、結婚に賛成できなくなってしまうわ」
「は!?」
精霊だけでなく、巫女も結婚が双方に相応しいものであるか視る。たいてい、反対されることはないが、稀に巫女から結婚に待ったがかかる場合があるのだ。
「どうしようもない問題だから、予言を言わせてもらうけれど――」
巫女ニライは真剣な表情となり、大精霊の予言を口にする。
話を聞くリュザールとアユは、居住まいを正した。
「族長メーレの息子リュザールは、新しい命を授かるだろう――と、いう言葉をいただいたわ」
「……は?」
「新しい命」
ニライはそう言って、アユの腹部を見つめる。
新しい命というのは、即ちリュザールの花嫁となったアユに新しい命を授かったと言いたいのだろう。
「まさか、ユルドゥスのしきたりを知らなかったとは言わないわよね? 夫婦となった二人は、一年間精霊の夫、妻となり、こ……子作りをするのは、そのあとからなのよ? 新婚夫婦には、辛い一年かもしれないけれど、みんな、これを乗り越えているの。私だって、精霊様に用意された食事を食べて、頑張っているのよ」
「ちょ、ちょっと待て」
拳を握って力説するニライに、リュザールは待ったをかけた。
「一応言っておくけれど、ユルドゥスに連れてくる前だから大丈夫とか、そういうことも許されていないからね!」
「そうじゃなくて」
「何よ?」
「子作りなんて、していない」
「だったら、新しい命とは?」
リュザールとニライは、同時にアユを見た。
もしかしたらという嫌な予感が脳裏を過ったが、それを察したアユはすぐに否定した。
「妊娠なんて、ありえない」
「そ、そうだよな」
リュザールは安堵する。嘘を言う娘ではないので、本当なのだろう。
「で、でも、大精霊様の予言が外れるなんて……」
「なんなんだよ、新しい命って。家畜の出産の時期ではないし」
家畜の出産は冬に集中している。
十一月の羊と驢馬を筆頭に、一月から牛、山羊、駱駝、馬と続く。
初夏に子どもを産むことは、草原では絶対にない。
「う~~ん、何かしら?」
「リュザールの腰ベルトから、鳴き声が聞こえる」
「ん?」
「え?」
腰ベルトの鳴き声とアユに指摘され、リュザールはハッとなる。
「あ!」
朝、イタチの子どもを捕まえたことを思い出した。
革袋から取り出し、ニライに見せる。
「新しい命は、このイタチだ。朝、鷲が狩ってきたんだ」
「あらあら、なんて元気な」
アユは逃げようとしていたイタチを、素早く捕獲した。
首元を摘まむように持ち上げている。
「これ、イタチじゃない」
アユがぼそりと言う。
「いや、イタチだろう?」
「あら本当。イタチじゃないわ」
「え!?」
これは、イタチが家畜化された白イタチと呼ばれるものらしい。
リュザールは今日初めて見たのだ。
「きっと、出荷途中に逃げ出したのね」
「しかしイタチを家畜化って、なんに使うんだよ」
「猟に使うのよ」
以前、アズラが話をしていたらしい。
白イタチは兎の穴に潜り込み、狩りの手伝いをしてくれるらしい。
「でも、どうやって仕込めばいいのか」
「あなたの母親が、きっと知っているわ」
「でも、呑気に躾ている暇なんかないし、ここで引き取ってくれるわけには――」
ここで、アユがリュザールの服の袖を引っ張る。
じっと、キラキラした目を向けていた。
「なんだよ?」
「白イタチ、飼いたい」
「ええ……でも、イタチだぞ?」
家畜となった白イタチは、そこまで体臭がひどいわけではない。
人にも慣れる。
「それに、大精霊の予言に出てきたものだから、大事にしたほうがいい」
珍しく、アユはよく喋る。どうしても、連れて帰りたいようだ。
「生活も、助けてくれる」
じたばたと暴れていた白イタチは、現在アユの膝の上に座っていた。
案外大人しい。
「白イタチは、とても可愛い。癒される」
黙っていると、アユのプレゼンテーションは続いていく。
それに加え、アユのキラキラの視線はまだ続いていた。
耐えきれなくなったリュザールは、白イタチを飼うことを渋々了承することになった。