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草原は、真っ赤に燃える

 人は、何度も何度も争いを繰り返す。それが、愚かなことだと知っていても。


 今日も、草原で炎と煙が上がる。

 風に混ざるのは血の臭いと、絹を裂くような悲鳴と、誰かの深い嘆き。

 移動式の家屋は破壊され、一族が代々の宝としている貴金属は奪われる。

 男と年老いた者は殺し、女子どもは戦利品となる。

 家畜は一ヵ所に集め、自らの財産としていた。

 羊はべえべえと鳴きながら、迫り来る馬から逃げる。狼を追い払う勇敢な牧羊犬も、人の操る武器には敵わない。


 平和だった遊牧民の一族を襲ったのは、他国からやって来た侵略者だ。

 彼らは容赦なんかしない。


 ある中年の男は、迫りくる火から逃げるように少女を抱えて馬に跨り駆けていた。男は頭部に布を巻き、少女のほうは頭全体を覆う薄布を被って手で押さえるばかりである。


 彼らは、胸の前で襟を重ね合わせ腰部分に布を巻く民族衣装をまとっていた。

 白い糸で羊を模した幾何学模様が織り込まれている、華やかな布地だ。

 

 それは、羊飼いチョバンで生計を立てるハルトス独自の模様である。

 

 争いを避けるようにひっそりと暮らしている一族であるが、なぜか、ハルトスが暮らす山岳地帯ではなく草原を走っていた。


 中年の男は顔を歪ませながら叫んだ。


「クソッ――走れ、走れ、走れ、走れ!!」


 中年男は馬の腹を渾身の力で蹴り、草原を走らせる。

 同乗する少女は、絶望からか無表情となっている。何もかも、諦めているようだった。


 侵略者は追ってきていない。しかし、炎がすぐ背後から迫っていたのだ。

 乾いた草原の草木はよく燃える。

 牧草となる草を求めてこの地へとやって来たのに、侵略者に襲われ、家畜の食料となる牧草も燃えてしまった。まったくもって皮肉な話である。


 しかし、中年男は諦めていなかった。その執念が、功を奏した。


「はあ、はあ、はあ……や、やったぞ! に、逃げられた……!」


 中年男はついていた。

 侵略者の目を盗んで逃亡に成功し、炎の手から逃れることに成功したのだ。

 振り返った先で、地平線に沈む太陽のように炎がゆらゆらと上がっているのが見える。

 だが、その勢いも衰え、鎮火寸前に見えた。

 自らの運の良さに、震える。


 中年男はついていた。

 財産も、家畜も、家さえも失ってしまったが、少女は生きていた。

 少女さえいたら、この先もなんとか生きていける。

 彼女は希望の星であった。


「ああ、よかった。本当に、良かった」

「……」


 しかし、少女の目は、虚ろなままだ。

 と、ここで、前方より一騎の馬が近づいてくる。


「――な、なん、だと!?」


 浅黒い肌に金色の髪を持つ姿は、侵略者の一族の証である。

 相手はゆっくり、並み足で近づいてきた。


 その足取りはまるで、狩りで仔兎追い詰める狼のごとく。

 一歩、一歩と、余裕綽々で追い詰めるように接近している。


「お、おい。戻れ、戻るんだ!」


 中年男は手綱を操りながら馬に命じるが、微動だにしない。

 先ほどの全力疾走で、馬を潰してしまったようだ。どれだけ腹を蹴っても、鞭で尻を叩こうとも、動かなかった。


 そうこうしているうちに、侵略者の男が目の前にやってくる。


 男が跨る黒い馬は、見たことがないくらい大きかった。

 筋骨隆々で、鬣は絹のようにサラサラと靡き、毛並みは太陽の光に反射してピカピカと輝いている。


 跨る侵略者の男は、二十歳前後位に見える精悍せいかんな顔立ちの青年だ。

 金の髪を短く切り揃え、陽に焼けた褐色の肌は鍛えぬいた者の証のようだった。

 表情は、穏やかなものではない。

 翠玉のような瞳を持つ目は吊り上がっており、口元は歪んでいた。

 鍛えぬいた体躯に弓矢を背負い、腰には立派な剣を携えている。

 筒状の帽子を被り、腰部分をベルトで締めた上下繋がった詰襟の服にズボンを合わせる恰好は、遊牧民の服装ではない。

 一目で、侵略者の若い衆だということがわかった。

 ジロリと射貫くような視線を受けた中年男性は、少女共々馬から降りる。


 そしてすぐさま、平伏した。

 ぼんやりしていた少女の頭も、ぐっと押さえつけて額を地面につかせる。


「ど、どうか、命だけはお助けを!!」

「は?」


 侵略者の青年より、呆れたような声が返される。


「わたくしめの全財産を差し上げます。この娘を!」

「お前、何を言っているんだ?」

「この赤毛に、青い目は非常に珍しいでしょう! 価値のある娘です!」


 中年男は少女の頭を掴み、頭から被っていた薄布を強く引っ張る。

 侵略者の青年に少女の顔を見せた。


 まだ、幼さを残した顔立ちをしている。

 太陽のように温かみのある赤髪だと中年男は言っているが、灰を被ってよくわからない。

 腰までの長い髪は、結ばずに垂らしている。

 胸の前で布を重ねて着る民族衣装は、煤で薄汚れていた。

 肌も汚れ、美醜は判断できない。

 だが、青い目だけは、美しいままった。


 侵略者の青年と少女は、しばし見つめ合う。

 二人の間に流れる時は、止まったように見えた。


 それを機と思ったのか、中年男は馬に乗って腹を思いっきり蹴った。すると、今度こそ馬が走り出す。

 侵略者の青年と少女に背を向けた状態で、中年男は叫んだ。


「どうぞ、その娘はご自由に! 煮るなり焼くなりしてください!」


 走り去る中年男を、少女は一瞥もしない。ただただ虚ろな目で、地面を見下ろしていた。


「おい」

「……」

「おい!」


 少女はハッと、顔を上げる。

 青年は馬から降りて、去りゆく中年男と馬を指差した。


「お前の親父、妙な勘違いをしているが、いいのか?」


 その問いかけに、少女はゆるゆると首を横に振った。


「何が違うんだよ。あれは、俺に命乞いをしていたんだ。お前の身柄と交換に。まったく、なんと勘違いしたのやら。それにしても、自分の娘を差し出して自分は逃げるなんて、狂っている」


 話をする青年を、少女はじっと見上げるばかり。

 イマイチ、反応が薄かった。

 あまりにも見つめるので、青年は顔を背ける。

 目も合わせないまま、話しかけてきた。


「今から俺の馬で追えば、追いつくが?」


 少女を連れて中年男を追い駆け、誤解を解いてくれると言う。親切な青年であった。

 しかし、少女は首をゆっくりと振る。


「おい、なんなんだ? さっきから首を振ってばかりで。はっきり言え」

「父親、じゃない」

「ん?」


 少女は蚊の鳴くような、小さな声で囁く。

 青年は顔を顰め、姿勢を低くして耳を傾けた。


 少女は青年に近付き、耳元でそっと呟く。


「あの人は、父親じゃない」


 その一言で、勘の良い青年は気付く。


「まさかお前、誘拐されていたのか?」


 まさかの事実にぎょっとした青年が顔を正面に向けると、少女の唇と触れあいそうなほどに距離が近かった。

 青年は慌てて距離を取る。


「もう一度聞く。お前は、あの男に誘拐されていたんだな?」


 その問いかけに、少女は顔を伏せる。それは、肯定を意味しているようだ。

 父親ではない男と行動する少女がワケアリ・・・・なのは、明らかだった。

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