花嫁になるために
アユは無事、リュザールの母アズラに花嫁として認められた。
「無事に、我が息子リュザールの花嫁が決まって安堵しました。いろんな娘を勧めたのですよ。中には、結婚にかなり乗り気な娘もいて、どれだけ心を痛めたか」
「受け入れるのも、断るのも自由だって、最初にそっちが言ったんだろう?」
「そうですけれど、まさか、こんなにも結婚相手選びに慎重だとは、思わなかったのです」
リュザールは昔から物分かりの良い子供だったらしい。花嫁も、きっとすぐに決まるだろうと、アズラは考えていたのだとか。
「花嫁は生涯に一人だけだ。慎重にもなるだろう。父上みたいに再婚する物好きは稀だ」
「あなたは、その、物好きのおかげで産まれたのですからね」
「そうだけど」
持参物と返礼を交わさない都の者達は、一夫多妻で暮らしている。
生涯一人の妻しかもたないユルドゥスの男達にとっては、信じられないような話であるが。
「他の遊牧民は伴侶と死別した場合、返礼品を用意できる者は再婚する。しかし、ユルドゥスは、それができないようになっている。と、いうのも――」
リュザールはチラリと、アズラのほうを見た。アズラもコクリと頷く。
アズラは頭に被っていた帽子を脱いで、前髪を上げる。
額を見たアユは、ハッと息を呑んでいた。
額に、小指の爪ほどの大きさで円形の宝石がはめ込まれていたからだ。
「――と、このように、夫婦となった者は精霊石を交換します。そして、巫女を交えた儀式で、このように額に埋め込むのです」
夫婦は互いに祝福の力を分け与え、さらなる力を得る。
「精霊石は頭蓋骨にまで埋め込まれ、死んでも外れないようになっているのです」
しかし、リュザールの父メーレの精霊石は、前妻が死した瞬間に額からポロリと外れたのだ。
メーレの額の精霊石はそのまま残っている。彼は、額に二つの精霊石を付けているのだ。
その結果、メーレは歴代最強の大きな力を持つ族長となった。
「このような事態は初めてで、巫女は新しい妻を娶れという精霊の導きだと読み取ったようです」
そして、メーレは前妻の死後にアズラと出会い、結婚した。
以降、ユルドゥスは更なる発展をし、大きくなっていった。
「このままだと、草原の民の均衡が崩れる。そんなところまで、ユルドゥスの規模は拡大していた。父上もこれ以上の発展は望んでいない。だから、俺の結婚は重要ではなかったんだ」
そして、リュザールは祝福と持参品のないアユを選んだ。
この先どうなるかわからないが、可能な限り彼女のことは守ろうと思っている。そう、リュザールは告げた。
「精霊石の話が出たついでに、ユルドゥスの結婚について説明いたします」
「外から来た奴らが口をそろえて言うんだが、うちの結婚は変わっている」
ユルドゥスの結婚は、遊牧民のものと異なる文化がある。
まず、調停者たるユルドゥスの結婚は、夫婦となるための契約だ。
互いの精霊石を交換し、将来を誓い合う。
「たまに、精霊が伴侶を認めない場合、精霊石が額に付かないことがある。そういう者は、ユルドゥスの集落に入れないことが多いが」
さすがの精霊も結婚式の日までに、花嫁渾身の猫被りを見抜けないようだ。
「もしも、精霊がお前を花嫁と認めなかったら、この結婚はなくなる」
アユはじっとリュザールを見る。すでに、覚悟はできているのだろう。
「まあ、その場合も、心配するな。俺が……どうにかする」
「我が息子リュザール、あなたが彼女の婿探しをするのですか?」
「え?」
「どうにかするとは、婿探しのことでは――ないようですね」
「俺がここに連れてきたんだ。面倒は最後まで見る」
とにかく、アユの身柄はリュザールが預かっている状態なので、安心するように言っておいた。
「それで、結婚が精霊に認められた先なんだが、夫婦となった二人は一年もの間互いに精霊を伴侶とするんだ」
それはどういうことなのか。そう言わんばかりに、アユは小首を傾げていた。
無理もない。精霊石の交換に続き、この決まりはユルドゥス独自のものであった。
「結婚して一年は、家に精霊がいるものと想定し、食事や挨拶を交わす」
「実体のない、精霊と?」
「そうだ」
食事は毎食三人分作り、一日の終わりは精霊に一日の報告をする。
もちろん、精霊は目に見える存在ではない。
だが、一年もの間、ユルドゥスの者達は精霊とともに生活をするのだ。
「精霊のために用意した食事は、巫女にもって行く。毎日だ」
その間、本来の夫婦がなすべき営みはできない。
「本来の夫婦がなすべき営み?」
アユはピンときていないようで、リュザールにそれはなんだと質問する。
「そ、それは……」
「わかりやすく言ったら、子作りですね」
「ああ、なるほど」
アズラの説明で、アユは理解できたようだ。
「初夜は一年後です。ユルドゥスの夫婦は、皆守っています。その日々を過ごす中で精霊への信仰心をさらに高め、夫婦の絆も作り上げるのです」
ただと、アズラは言葉を付け足す。
「まあ、人目を盗んで手を握ったり、口付けしたりする程度なら構わないでしょう。もちろん、家の中では禁止ですが」
そんな掟破りともいえる助言に、リュザールは目を剥く。
「母上、もしかして、その、父上とそういうことをしていたのか!?」
「両親のそういう話を聞きたいですか?」
「き、聞きたくない!」
母子のやりとりを見たアユは、わずかに表情を綻ばせている。
「我が息子リュザール、あなたのせいで、笑われたではありませんか」
「いや、違う。今のは母上のせいだ」
「責任転嫁ですか。まあ、とにかく、上手くやりなさいということを言いたかったのです」
一年間の精霊との婚姻はあるものの、多少のことは見逃してくれるようだ。