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諦めない心

 アユはリュザールの母アズラの提案に対し、じっと顔を見つめる。

 それは、羊飼いの一族ハルトスの同意を示す視線である。


「おい、お前、そんな安請け合いして大丈夫なのかよ!?」


 ここで、リュザールの両親が不思議そうな表情となる。アユの視線の意味に気付いていないからだ。


「リュザール、彼女は同意したのか?」

「まだ、何も言葉を発していませんが?」

「あ、こいつ、ハルトスの民は、喉を大事にしているから、あまり喋らないらしい。同意する時は、相手の目を見るだけなんだ」

「ああ、なるほど」

「理解しました」


 アズラはアユの目の前に片膝を突き、じっと顔を覗き込む。


「即決していたとは。いい度胸です。気に入りました」

「お、おい!」


 アユには何か勝てる要素があるのか。念のために聞いてみる。

 草原での食糧調達といったら、狩猟しかない。

 馬に跨り、弓矢や鷲を使って野生動物を狩るのだ。


「お前、こう見えて、狩猟の名人なのか?」

「狩猟は、したことがない」

「はあ!?」


 アユの細腕で弓が引けるようには見えなかったが、案の定だった。


「え、じゃあ、肉の調達はどうしていたんだ?」

絨毯キリムと、交換で」

「我が息子リュザールよ、ハルトスの絨毯は高級品ですよ」

「あ、そうか」


 同じ遊牧民でも、暮らしは違うのだ。


「馬は? 一人で乗れるのか?」

驢馬ロバだったら、乗れる」

「驢馬!!」


 驚きのあまり、リュザールは「驢馬」と叫ぶことしかできなかった。


 そんなことを話している間に、アズラは食材調達のための準備を整えていた。

 アユの目の前に大判の布を広げ、一つ一つ並べていく。


「革袋、短剣、手袋、弓と矢、手巾……と、こんなものですか」


 弓はアユの首にかけ、矢は花嫁衣装のベルトに吊るす。


「ユルドゥスの花嫁衣装には、矢筒を吊るせる仕掛けがあるのですよ」


 アズラは自慢げに語っていた。アユは無表情で聞いている。


「では、行きましょう」

「本気なのか!?」

「もちろん。彼女アユの目は、本気です」


 リュザールはアユを見る。

 しっかりと立ち、まっすぐな目を向けていた。

 出会った時の、虚ろな目ではない。

 流されず、自分の意思を持って行うようだ。


「お前、もしも失敗したら、三兄……イミカンと結婚する気なのか?」


 リュザールの問いかけに、アユはきっぱりと答えた。


「できなかった時のことは、考えない」


 そう言って、出入り口のほうへと向かった。リュザールもあとを追う。

 外に一歩出たアユは、ピタリと立ち止まった。


「わっ!」


 その背中に、リュザールはぶつかってしまう。


「おい、お前、いったい――」


 どうしたのか。その問いに対する答えは、すぐ目の前に広がっていた。


 ユルドゥスの者達が、出入り口に集まって聞き耳を立てていたのだ。


「な……何をしているんだ!!」


 リュザールが怒鳴ると、集まっていた者達は散り散りとなる。

 調停者という、外部からの接触を最低限にしているように見えるユルドゥスであるが、実際はそんなことなどない。

 皆、好奇心旺盛で、明るい者が多いのだ。


「まったく……」


 リュザールはぼやきながら、家屋の裏手に繋いでいる驢馬のもとへと連れて行った。

 そこには、昼寝をしている驢馬がいた。


「こいつ、三兄の驢馬。見てのとおり、大人しいがぐうたらだ」


 驢馬も羊や山羊と同じように放牧される。だが、この驢馬はいくら牧用犬が吠えても動かないという豪胆の持ち主なのだ。

 飼い主であるイミカンによく似ていると、噂になっている驢馬であった。

 イミカンもまた、両親や兄弟がいくら怒っても、働こうとしない。


「今、ここにいる驢馬はこいつだけだ。動くかわからないけれ――」


 どれだけ引っ張っても、言うことをきかない驢馬である。使えるのかどうか。わからないと言おうとした刹那、リュザールは言葉を切る。

 驚くべきことに、アユがちょっと耳元で何かを話しかけただけで、驢馬はすっと立ち上がったのだ。

 気のせいかもしれないが、顔付きもいつもよりキリリとしている。


「は? お前、今、こいつになんて言ったんだ?」

「お手伝いを、してほしいと」


 返事をするように、驢馬はヒーハー! と鳴いた。


「すげえ。ってか、鳴き声初めて聞いたし」


 アズラが驢馬用の鞍を持ってくる。装着はアユが行った。

 どうやら、アユは本当に驢馬と共に出かけるらしい。

 アユは慣れた様子で驢馬に跨り、リュザールを振り返って言った。


「行ってくる」

「あ――いや、待て。俺も行く」


 アズラには手を出さないことを約束し、リュザールは馬に跨ってあとを追った。


 ◇◇◇


 どこまでも広がる広大な草原を、驢馬はのんびりと進んで行く。

 リュザールの頭上を、鷲がくるくると旋回していた。

 今から狩猟をすると勘違いしたのだろう。

 腕を上げ、鷲に指示を出す。好きにしてもいいと。さすれば、鷲はリュザールの腕に下りてきた。


「重たいんだよ、お前……」


 ずっしりと重い鷲に肉を与え、空に放した。

 黒鷲はアユとリュザールが進む方向とは逆に飛んで行った。


 遠くで、兎がぴょこんと跳ねた。

 リュザールは教えてやる。


「おい、あそこに兎がいる」

「兎……」


 兎は年に三回、平均して四羽くらいの子を産む。

 野生の鹿や野鳥などは夏の狩猟を禁じられていたが、多産の兎はいつでも狩っていいことになっていた。


 アユも兎を捉えたようだ。

 兎との距離は七米突メートルほど。幸い、兎は気付いていない。


「狙うなら今だが――ん?」


 その背後に、兎を狩ろうとしている狐がやってくる。

 二体の獲物が目の前に現れるという、絶好の好機だった。

 リュザールだったら、すぐに鷲を飛ばして狐を狩らせ、兎は矢で撃つ。

 しかし、アユは違った。ぼんやりと、弱肉強食の世界を眺めるばかりであった。

 無理もない。彼女は、羊飼いだったのだ。

 そうこうしているうちに、狐の狩りが始まった。

 狐は兎を追い、兎は体を弾ませて逃げる。結果――兎は巣穴へと潜り込み、狐の狩りは失敗に終わった。


「おい、見たか? 食材調達は、難しいんだよ」


 アユの視線は、まっすぐ草原にある。その横顔は、諦めの色はいっさい浮かんでいなかった。


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