番外編 冬営地へ移動する夫婦
冬営地での暮らしは、一年の中でももっとも厳しい。
雪が降り積もる中を、生活していかなければならないのだ。
ユルドゥスが冬営地として毎年訪れているのは、高い山が北風を遮る土地。
そこは雪があまり積もらず、真冬でも牧草が生い茂っている。
もちろん、それだけでは足りないので、商人から乾草を購入し与えていた。
リュザールにとってはいつもの冬営地での生活だが、アユにとっては初めてである。
「冬営地は寒いからな。上着を用意しておけ」
そう言って、リュザールは鞣していた毛皮で外套を作るように言っておいた。
一ヵ月後──冬営地への移動が始まる。
あろうことか、今年は移動の初日から雪が降る事態となった。
出発の朝、リュザールは最終確認をする。
「アユ、外套の準備はできているな?」
「うん」
「見せてくれ」
アユは織物で作った袋の中から、モコモコとボリュームのある毛皮付きの外套を取り出した。
「これは、雪が深い時のやつ」
裏表、毛皮を生地に張り付けた温かそうな外套である。それを、リュザールの前に広げて見せた。
もう一枚、アユは外套を取り出す。
「これは、狩り用の外套。動きやすいように、薄手の毛皮で作ってある」
首元に上着の毛を縫い付けており、中は胸の辺りだけ毛皮を張り付けた外套であった。
「これは、外出用。鷲を模した刺繍を刺してみた」
三枚目の外套は外出用と言うだけあって、洗練された意匠である。
袖と裾に毛皮が縫い付けてあって、防寒力も十分ありそうだ。
「これは帽子、耳当て、襟巻」
「へえ、すごいな。店で売れそうなほど、いい出来だ」
褒めると、アユは嬉しそうに目を細める。
外套を手に取り、リュザールは礼を言った。
「アユ、ありがとう」
「うん」
アユが頑張って外套を作ってくれたことは、心から感謝する。
しかし、気になる点があったので質問してみた。
「なあ、アユ」
「何?」
「ちなみに、お前の外套は、どこにある?」
「私のはない、けど」
「は!?」
リュザールは、目が点となる。
作る暇がなかったのかと問いかけたが、アユは首を横に振る。
「別に、外套を着なければいけないほど、寒くない」
「いやいやいや、寒いに決まっているだろうが!」
「山岳地帯の冬に比べたら、春みたいなもの」
「いやいやいや……いや、そうなのか?」
「そう」
ちなみに、草原の秋は山岳地帯での真夏の暖かさと同じだとアユは言う。
「この前、厚手の生地を買っただろう? あれで、新しい服を作らなかったのか?」
「私の服を作るより、リュザールの服を作るほうが、楽しかった」
アユは頬を染め、嬉しそうに言うので、リュザールは何も言えなくなる。
「いや、でも、せっかく生地を買ったのに。お前も、喜んでいたじゃないか」
「うん。嬉しかった。だから、たまに生地を広げて、見ている」
見るな。服を作れ!
なんてことは、言えない。
反省すべきは、夫婦の外套を一枚ずつと指示しなかったリュザールのほうだ。
「アユ、とりあえず、これを着て移動しろ」
リュザールが差し出したのは、もっとも毛皮が使用された一着である。
「これは、リュザールのなのに。私は平気だから」
「お前が平気でも、俺の心が辛いんだ。お願いだから、着てくれ」
頭を下げて頼み込むと、アユはコクリと頷いてくれた。
なんとかわかってもらえたので、ホッとする。
◇◇◇
冬営地への移動が始まった。
リュザールは馬に跨り、アユは驢馬ジャンに跨る。
羊と山羊を率いるのは、セナとケナンの仕事だ。
ユルドゥスの大移動が始まる。
簡易家屋を使って一夜を過ごす毎日は、なかなか過酷だ。
今年は風が強い上に雪交じりなので、余計に過酷だった。
成人男性でも、あまりの寒さに音を上げる。
そんな中で、アユは一人ケロリとしていた。
夜の見回りを終えて戻ってきたリュザールを、アユは簡易家屋の中で迎えた。
「リュザール、寒かったでしょう、大丈夫?」
「お前、本当に寒さが平気なんだな」
「うん、平気」
家屋の中にいても寒い。そんな訴えをする女子供や老人に、追加の薪を配って歩いていたのだ。
皆、顔色を青くさせ、震えていた。
一方で、アユは顔色も悪くなく、寒がる様子もなかった。
「ショウガ入りの紅茶を作ったから、飲んで」
「ああ」
猫舌のリュザールは、アツアツの紅茶を飲むことができない。そのため、ぬるくなったものを飲む。あとからジワジワ温かくなるのはわかっていたが、即効性のあるものではない。
体は芯から冷えていたのだ。
そんなリュザールに、アユは着ていた外套を脱いで肩からかけてくれた。
アユの温かさが、身に染みる。
「いいのか?」
「うん、平気」
外套の下のアユは、薄い寝間着だった。
「お前、寒いから何か着ろよ」
「平気」
「平気じゃないだろが」
寝間着一枚になっても、寒そうには見えない。けれど、リュザールが気になるのだ。
「いいから着ろよ」
「大丈夫」
言っても聞かないので、リュザールはアユの手を引いて腕の中に引き寄せる。
ぴったりと密着し、リュザールはアユで暖を取った。
「あっ──!」
「言うことを聞かないから、こうなるんだからな。氷みたいだろう?」
「うん。リュザール、すごく冷えてる」
何を思ったのか、アユはリュザールを抱きしめた。
体温が高いアユの温もりを、直に感じる。
リュザールの頬が熱くなったのは、アユが温かいせいだけではないだろう。
「子どもみたいに、ポカポカだな」
「このまま、温めてあげる」
アユが直に温めてくれるなんて、この上なく贅沢なことだ。
顔から火が出ているのかと思うほど恥ずかしかったけれど、離れたくはならない。
「本当に、寒くないんだな?」
「平気」
「俺、冷たいだろう?」
「山岳地帯の冬よりは、ずっと暖かい」
「そうか」
だったら、このままでいよう。
アユの言葉に甘えて、リュザールはアユで暖を取った。
リュザール十九年の人生の中で、もっとも温まる方法を知った日の話である。