番外編 エシラの仲良し大作戦?
イミカンは今日も楽器の演奏をしている──のではなく、一人ジャガイモの皮剥きをしていた。義母、アズラに命じられ、やっていたのだ。
最近は楽器を演奏せずとも、草原を守る精霊の機嫌は上々だ。そのため、イミカンは体力と精神力を激しく消耗する演奏をしなくてもいいのだ。
ジャガイモを剥いていると、不審な動きをする者がリュザールの家屋の近くに接近していた。
銀を磨いたような髪に、紅い目を持つ、勝気な雰囲気の美しい女性。
あれは、リュザールの元婚約者であるエシラだ。
いったい、彼女は何をしているのか。
家の周囲をウロウロと歩いていたが、中に入ろうとしない。
以前彼女はアユとリュザールの妻の座を賭け、負けている。
もしや、再びリュザールとアユの結婚に物申しにきたのか。だとしたら、このまま見逃すわけにはいかない。
最後のジャガイモを剥き終えたので、声をかけに行くことにした。
「あの子……いるのかしら? 人の気配は、ないみたいだけれど……」
エシラはブツブツと、独り言を呟いている。そんな彼女に、背後から声をかけた。
「リュザールなら、出かけているよ」
「きゃあ!!」
エシラは肩を大きく震わせ、予想以上の驚きを見せていた。振り返った表情は、怒りで染まっている。
「あ、あなた! リュザールの、ぐうたら兄!」
「そうだけれど」
ぐうたらだったことは確かなので、否定はしない。
「背後からいきなり声をかけるなんて、びっくりするじゃない!」
「悪かったね。それで、リュザールに何か用?」
「え、リュザール?」
エシラはきょとんという表情を見せていた。まるで、リュザールのことは頭になかったような反応だ。
「もしかして、アユさんに用があるの?」
「……」
アユの名前を出すと、エシラの頬は赤く染まっていく。
どうやら、今日はアユに会いに来たようだ。
「アユさんも、いないけれど」
エシラはすぐさま真顔になり、目を吊り上げながら言った。
「ちょっと、それを早く教えなさいよ!」
「ごめん」
エシラは表情がコロコロと変わる面白い娘だった。アユと真逆の存在ともいえる。
彼女につく精霊は、燃えたつ炎の化身。
烈火のような感情は、一度火が付いたらすぐさま燃え上がるのだろう。
エシラの感情の炎が燃え上がることはわかっていたが、ついつい質問をしてしまった。
「アユさんに、何か用事?」
エシラの頬は、再び真っ赤になる。
それは羞恥による照れのように見えた。おそらく、アユに喧嘩を売りにきたのではなく、好意的な用件で来たのだろう。
「アユさんは、洗濯に行った。もうすぐ、戻って──あ、来た」
アユが戻ってくると知るや否や、エシラは右往左往し、最終的にイミカンの背後に隠れる。
何かが恐ろしいのか、上着をぎゅっと掴んできた。
戻ってきたアユに「おかえり」と声をかけたら、笑顔でイミカンに言葉を返す。
「ただいま」
「義母上と、洗濯に行っていたのかい?」
「そう。三義兄は、お義母さんの頼んだジャガイモ剥き、終わった?」
「終わったよ」
「そっか。偉い」
「そうだろう?」
言いつけ通り手伝いを終えると、アユはイミカンを褒める。
あまり褒められた経験がないので、嬉しく思っていた。
「あれ、エシラ?」
「!」
ここで、アユはエシラの存在に気づいたようだ。
エシラはイミカンの服を掴んだまま、ビクリと震える。
イミカンは仕方がないと思い、二人の架け橋となることにした。
「エシラ嬢は、アユさんに会いに来てくれたようだよ」
「え、そうなの? 嬉しい!」
アユはイミカンの背後に回り込み、隠れていたエシラの手を取って言った。
「エシラ、久しぶり」
「え、ええ」
「今から、休憩しようと思っていたの。一緒に、お茶を飲もう?」
「お茶?」
「嫌?」
「い、嫌じゃ、ないけれど」
「だったら、どうぞ」
エシラはアユに引っ張られながら、家屋の中へと入っていった。
よかった、よかったと二人の様子を見守っていたが、背後より殺気を感じて振り返る。
アズラが怒気を漂わせながら、近づいてきていたのだ。
「我が義息子、イミカン!」
「義母上、どうかした?」
「どうかした、ではありません。なぜ、ジャガイモは水に浸けずに、そのままにしていたのですか!?」
「ああ、すまなかったね」
剥いたジャガイモは水に浸けておく。そう、教えられていたのだ。ぼんやりしていたので、忘れていた。
「次からは、忘れないよう精進するのですよ」
「了解」
「まあ、剥き方は、上手です。今後も、頑張るように」
アズラは厳しいだけの人のように見えて、飴と鞭の使い方を知っている。
手伝いをするようになってから、義母の新たな一面を知った。
演奏をしているだけでは、気づかなかったことである。
これらを知ることも、喜ばしく思っていた。
続いて、染物をしている鍋を見張っているように命じられる。
ぐつぐつと煮立つ鍋を、じっと覗き込んでいた。
噴き出そうになったら、水を入れる。それが、イミカンの役目である。
天に染物を煮込んだ煙が登る中、エシラがやってきた。
「……」
「やあ、エシラ嬢」
「どうも」
それから一分ほど、エシラは黙ったままだった。
イミカンは何用かと追及せずに、黙っておく。
しばらくぐつぐつと煮立つ鍋を、二人で見つめていた。
「……あの、ありがとう」
「何が?」
「さっき、アユに、私のことを、教えてくれて」
「ああ、それね」
あのあと、楽しい時間を過ごしたらしい。
また、エシラはしばらく沈黙する。どうやらまだ、話したいことがあるらしい。
イミカンは好きなようにさせておく。
再び時間をおいて、エシラは話し始めた。
「私、変な感じに自尊心が高くて、思い通りにいかないことがあったら怒ってばかりで、どうしようもないなって、自分で思っていたの」
その激しい気性は、精霊の影響があるのかもしれない。
ただ、エシラは意外と、自己分析ができていた。
「私、このままではいけないと思っていたの。でも、上手く感情を制御できなくて」
そんな中で、エシラはイミカンの変化を目の当たりにした。
「あなた、仕事を始めたのですって?」
「まあ、ね。子どものするようなことばかりだけれど」
「でも、今まで何もしていなかった人が新しく挑戦するなんて、すごいことだわ」
イミカンの頑張りを見たエシラも、変わろうと決心したらしい。
「だから私、アユに言ったわ。友達になってって」
「それで、アユさんはなんて返してきたの?」
「嬉しい、って言っていた」
「そう」
どうやら、エシラとアユは無事友達同士になれたようだ。
「だから、さっきのありがとうは、変わるきっかけをくれてのありがとうも、含まれていたの」
「だったら、どういたしましてと、返そうかな」
そこからあとは、ぐつぐつと鍋の煮え立つ音がするばかり。
静かな時が流れていたが、気まずさはない。
エシラの荒ぶる精霊は、今まで見たことがないほど落ち着いていた。
どうかこれからも、穏やかであってくれとイミカンは願う。
これが、エシラとイミカンが初めて会話を交わした日の話であった。
それから三年後に二人が結婚することになるとは、この時は知る由もない。
人生とは、何が起こるのか分からないものだ。
だから、楽しいのである。
イミカンはそう、考えていた。




