番外編 イミカンと精霊の調べ
草原の平和を脅かす者を調停する一族、ユルドゥス。
その身に強い風の精霊の力を有し、侵略者の一族との諍いを収めてきた。
多くの命を救ってきた一方で、ユルドゥスの者達は多くの命を落とす。
精霊達がいくら警告をしても、ユルドゥスの戦士は耳を傾けない。
人を守るために力を使い、命を散らしていった。
武器を持ち、武力で平和をもたらすユルドゥスの者達は、常に気を立たせ荒ぶっていた。
このままではいけない。いつか、ユルドゥスは滅びてしまう。
そう思った大精霊は、ユルドゥスの子に特別な祝福を与える。
それは、精霊を見て、感じることができる存在だった。
イミカン・エヴ・ファルクゥ。
精霊は族長の三番目の子に、大きな力を与えた。
ただ、その力も無限に使えるわけではない。
その祝福を人が抱えるためには、大きな代償を必要とした。
◇◇◇
物心ついた時から、イミカンには精霊が見えた。
精霊とは自然現象が意識を持ち、具現化したもの。狼の姿をしていたり、大きく光るものだったり、人と同じ姿をしていたりと、それぞれだった。
そんな存在を人に言おうとしたら、精霊からの「言うな」という圧力を感じ、発熱して一日中寝込んでしまうのだ。
精霊について、人に話してはいけない。幼いイミカンは、早くも察していた。
ユルドゥスの集落は、大精霊に守られている。大きな緑色の風を漂わせ、周辺を覆っていた。
精霊は感情豊かだった。怒りを覚えた精霊は、大層荒ぶる。
その怒りは人にも影響を及ぼした。
精霊の怒りに導かれるように戦場へと向かった者は、たいてい傷を負って戻ってくる。
このままではいけない。そう思ったイミカンは、精霊を鎮めるために楽器の演奏を始めた。
楽器は、祖父が教えてくれた。ただの宴会芸だったが、覚えのいいイミカンはあっという間に覚える。
そして──彼は楽器を演奏し、精霊の怒りを鎮めた。
すると、脱力感を覚え、何もできなくなる。
これが、精霊の怒りを鎮める代償だった。
それから数年経ち、イミカンは精霊の気を鎮め続けた。
その結果、ほとんど仕事ができず、気力を回復させるために一日のほとんどを眠って過ごす。
下に弟が生まれたころには、すっかりぐうたらの烙印を押されてしまった。
それに関しては、何も思わなかった。実際、目に見える仕事はしていないからだ。
一方で、イミカンの家族も、彼がぐうたらなことをあまり気にしていない。
イミカンの演奏は精霊だけでなく、争いでささくれた者達の心を癒してくれる。
ユルドゥスには、侵略者の一族に滅ぼされた遊牧民が多く身を寄せていた。
そういう者達は、イミカンの演奏に励まされていたのだ。
一人くらいは、イミカンのような者がいてもいいのでは。皆、そう思っていたようだ。
一番下の弟、リュザールが誕生したことにより、イミカンを取り巻く環境は一気に変わる。
リュザールは父メーレが戦場より連れ帰り、妻として娶った女アズラとの間に生まれた。
精霊石を二つも有しているメーレの子なので、大きな力を持って生まれることはイミカンも想像できていた。
だが、リュザールはイミカンの想像以上に大きな精霊の祝福を持って生まれてきた。
嵐のような激しい気性を持った精霊は、楽器の演奏だけで気を鎮めることが難しくなる。
リュザールが泣いただけで、強い風が吹いた。
そのたびに、イミカンは歌と演奏を精霊に捧げ、力を鎮めていく。
そんなことを毎日繰り返していたら、今まで以上に眠る時間が増えてしまった。
ぐうたらだと思われようが、どうしようもない。
感情を外に出す気力さえ、残っていないのだ。
リュザールは大きくなると、自身を守る精霊との付き合いも覚えてきたようだ。
感情をよく操り、赤子の頃のように強い風を発生させることはなくなった。
イミカンの負担も、しだいに少なくなる。
けれど、リュザールが怒りを覚えた途端、精霊の力をすぐに暴走させる。
イミカンはリュザールに、何があっても怒りに身を任せず優しく在るよう言い聞かせた。
でないと、リュザールの精霊が怒りの感情に呼応して、大きな力を揮ってしまう。
それは、リュザール自身だけでなくユルドゥスをも滅ぼしかねない、大きな祝福だったのだ。
途中、リュザールと結婚したいと望む少女が現れた。
その少女とリュザールの精霊の相性は最悪で、二人はいつも言い合いをしていた。
他にも、リュザールに好意を抱く少女がいたが、大きすぎる精霊の存在が淡い恋を妨害していたようだ。
果たして、リュザールは結婚することができるのか。
イミカンは静かに見守ることしかできなかった。
時は流れ、リュザールは十九歳となる。
大きな精霊の力に驕ることのない、強く、心優しい立派な青年に育った。
そんなリュザールが、花嫁を連れ帰った。
風の吹かない森にある、静謐な湖のような少女だった。
彼女ほど欲がなく、穢れを知らない存在はいないだろう。
初めて出会った時、他人に興味を抱かないようにしているイミカンが強く惹かれてしまったほどだ。
アユという少女は、驚くほど不思議な存在だった。
まず、リュザールの精霊は彼女に片膝を突く。
大精霊は、常にアユを気にかけていた。
動物達は、敬愛の意を示している。
これほど、愛されている存在を知らない。
いったい、彼女は何者なのか。
おそらく、千年に一度生まれるという大巫女の血筋なのかもしれない。
アユはリュザールの荒ぶる精霊を、ただ一緒にいるだけで見事に鎮めている。
もう、リュザールは大丈夫だ。
アユと結婚することによって、リュザールは救われる。
彼女を守ることによって、リュザールは無理や無謀をせずに長く生きることになるだろう。
イミカンはやっと、安堵し、ゆっくり眠りにつくことができた。
◇◇◇
そんなわけで、ユルドゥスの集落は一人の男によって守られている。
アユが来てから、その負担は大幅に減った。
彼女がいるだけで、精霊は穏やかになるのだ。
動き回れるようになったイミカンは、仕事を手伝おうかとアズラに問いかけたら怪訝な表情で見られる。
イミカンが働くと言った。もしかしたら、病気なのかもしれない。
──我が愚息イミカン、きっと熱があるだろうから、家に帰って寝なさい。
アズラは真剣な表情で訴える。
こうして、イミカンの初めてのお手伝いは、不発に終わった。
こんな感じで、イミカンののんびりとした日常は続いて行く。
──これから何をしようか?
イミカンはワクワクする毎日を送っていた。