番外編 アズラの子作り教室 後編
リュザールはアユを連れて、アズラのもとへと向かった。
アズラは家屋の前で、槍を素振りしている。
ブオン、ブオンと、女性の腕から繰り出したとは思えない重たい音が鳴っていた。
「おや、来ましたか」
アユは籠に入れた焼きたてのパンを、アズラに手渡していた。
「お義母さん、これ、アチュマ」
アチュマは生地を捩じって作るリング状のパンで、ふわふわとした食感が特徴だ。
こんがりと焼け、香ばしい香りを漂わせている。
「ありがとうございます。今晩食べようと思っていた古いパンは、我が愚義息イミカンに持って行きましょう」
「三義兄には、持っていったから」
「そうですか」
だったら、明日、メーレに持たせよう。アズラは小さな声で呟いている。
気の毒に思ったのか、アユが待ったをかける。
「明日も、朝からパンを焼くから、お義母さんとお義父さんにも持ってくる。古いパンは、パン粉にしたらいい」
「二日連続でいただくなんて、悪いですよ」
「いいの。エリンにパンの作り方を教えるついでだから」
「そうですか。では、明日の夕食は、パン粉をつなぎに肉団子を作ることにします」
ここで、アユはホッとした表情を見せている。
アズラの男性陣への扱いは雑だ。特に、父メーレと三番目の兄イミカンには厳しい。
一方、アユはリュザールの家族だけでなく、親戚でも知り合いでも、誰であっても平等に大事にしてくれる。
嬉しいことだが、無理をしていないかとたまに心配にもなる。ただ、これはアユにとっては普通のことらしい。
「我が息子リュザールの嫁アユ。エリンに料理を教えるのも、冬支度も、頑張らなくてもいいことですからね」
「ぜんぜん、頑張っていないから平気」
アユの頑張るとは──朝から乳製品を作り、陽が出たら羊を放牧させつつ小さな織物を織り、休憩時間に帳簿を付け、帰ったらパンを焼いて食事の支度をする。暗くなる前に繕いものをして、今度は大型の織機で絨毯を織る。
「それから──」
「もう、いいです。わかりました」
ハルトスで暮らしていたころの忙しい日々は、ユルドゥスでの暮らしとは大きく異なる。
話を聞いているうちに、アズラは涙目になっていた。
「もしも、今度ハルトスの者達がやってきたら、私が殺……いえ、仕留めますので」
「お義母さん、大丈夫。兄や叔父は、もう来ない」
風の噂で聞いた。
ハルトスは来年、織物の出荷をしないという。なんでも、織物の品質向上のためだとか。
アユがいなくなったことを受け入れ、ハルトスにいる者達でどうにかしようと頑張ることにしたようだ。
シンと静まり返る。
「え~っと、母上。そろそろ本題へと移ってほしいのだが」
「そうでしたね」
アズラはパンと槍を置き、代わりに木の棒を握って戻ってくる。
これから、子作りについての講習が始まるのだ。
地面に細長い絨毯が敷かれ、リュザールとアユは座り込む。
アズラは何も敷かず、地面に片膝を突いた。
いよいよ、本題へと移るのだ。
リュザールはなんだか落ち着かず、ベルトに吊るしていた革の水筒を手に取り水を飲んだ。
「さて、今から、夫婦の行う性交について説明します」
アズラの明け透けない言葉に、リュザールは水をすべて噴きだした。
「我が息子リュザール。水を吐き出すなんてもったいない」
「い、いや、はっきり言いすぎでは!?」
「はっきり言わないと、伝わらないでしょう!?」
まず、アユが子作りをどの程度理解しているのか気になる。
「おい、アユ。お前の知る子作りについて、教えてくれないか?」
「わかった」
アユはその昔、枕もとで聞いた話を語り始めた。それは、ハルトスに伝わる古い童話でもある。
──むかしむかし、あるところに若い男と若い女がいた。
石榴の樹の下で出会った男女は、家々が決めた許嫁なのだ。
惹かれあった若い男と若い女は夫婦となり、寝所を共にして願う。
……大精霊様、子どもに恵まれますように。
さすれば、妻となった女の胎に新しい命が宿る。
「こうして、若い夫婦は子どもに恵まれました。めでたし、めでたし」
リュザールから水を奪い取ってゴクゴクと飲んでいたアズラは、まさかの結末に水を噴きだした。
「母上、水がもったいない」
「だ、だまりなさ──げっほ! げっほ!」
噎せるアズラの背中を、アユは優しく撫でる。
「お義母さん、大丈夫?」
「え、ええ。なんとか」
閑話休題。
アズラは居住まいを正し、話を再開させる。
「では、我が息子リュザールの嫁アユ、性交……ではなく、『正しい子作り』について説明します」
「お願いします」
「まず、あなたの知るものと、実際の子作りは大きく異なります」
「そうなの?」
「ええ、そうなんですよ。まず、果物が、どういうふうに実を生らすか知っていますか?」
「蜂や蝶、鳥が、おしべの花粉をめしべにつけて受粉させる。そうすると、果実が実る」
「ええ、そうです」
アズラは精一杯言葉を選び、子作りについて教えていた。
手にしていた木の棒でめしべ、おしべ、花粉、虫や鳥を描く。
その条件が揃った結果、たわわな実が実るのだと。
「それは、人も同じなのですよ」
「え?」
「人は虫ではなく、自力で、受粉のようなことをします」
おしべを木の棒でトントンと叩きながら、めしべを指し男女の交わりについて懇々と説明した。
「まず、服を脱ぎ、肌と肌を合わせるのです」
「!?」
アユは初めて聞く話だったので、呆然としている。
まさか、このようなことをして子どもを作るなど、思ってもいなかったようだ。
顔色は蒼白だ。自分の知っていた知識と大きく異なるので、無理もない。
アユはかすかに震えているようだ。果たして、触れていいものか。
そんなふうに考えていたら、不安げな表情でリュザールを見上げた。
すぐさま、安心させるように背中を撫でてやる。
「最初は、辛いかもしれません」
「え? 最初って、子作りは、何回もすること?」
「そうです。子どもは、一度や二度でできるものでもありません。花でいう受粉は、条件が揃って初めてできるもの」
「だったら、何度も、こういうことを?」
「そうです。嫌ですか?」
アズラの問いに、アユは答える。
「まだ、よくわからないけれど……たぶん、平気。みんな、そうやって子どもを作っているのならば」
「そうですね」
それを聞いたリュザールはホッとした。嫌だと泣かれたら、どうしようかと思っていたのだ。
「話は以上です」
「ありがとう」
「いえいえ、もう、戻ってもいいですよ」
リュザールもアズラに頭を下げ、アユと共に家屋へと戻っていく。
夕陽を背に、自らの影を見つめながらトボトボと歩く。
「子作りの話、驚いただろう?」
「うん、びっくりした。でも──お義母さんが、丁寧にわかりやすく教えてくれたから」
「そうだな」
最初に「性交の説明をします」と言いだした時は度肝を抜かれたが、アユの知識と照らし合わせ優しく、衝撃を最小限に抑えながら教えてくれた。
感謝してもし尽せない。
「来年の夏までには、覚悟を決めておくから」
「そうだな」
妊娠、出産はどうしても女性への負担が大きくなる。
アユがそう言ってくれて、リュザールはホッとした。
「しかし、嫌だったらはっきり言ってくれ。俺は、お前がいるだけで、幸せだから」
もしもアユが嫌だと思ったならば、それは暴力になる。絶対に、強要してはいけない。
辛いことだが、アユを想っているならば我慢するしかないのだ。
「ありがとう、リュザール」
アユの声は震えていた。
きっと、怖かったのだろう。アユの肩を抱き、リュザールは歩く。
今日、夫婦は新しい一歩を踏み出したのだ。