縁(えにし)を断ち切る強い風
鉄砲は異国よりもたらされた、悪魔が憑りつく武器である。
鉄の筒から鉛球が発砲され、着弾した者のほとんどは死んでしまう。
鉄砲で撃たれた者は精霊との縁を断たれ、二度と輪廻転生をすることはない。
草原の民が何よりも恐れる武器だった。
鉄砲は高価で、侵略者の一族も所持している者は少ない。
それなのに、リュザールの目の前にやってきた男達は三人とも鉄砲を持ち、リュザールに銃口を向けていた。
今までビクビクしていたアユの叔父であったが、鉄砲を持った男達を従えた途端強気に出る。
「お前の死体を見たら、アユも泣き縋って戻ってくるだろう! 残念だったな!」
どこまで卑怯でずる賢い男なのか。呆れてしまう。
「しかし──そうだな。お前にも、生き延びる機会を与えよう。服を脱いで床に額をつけて、これまでの生意気な態度を反省し、謝罪したあと、アユに、もう飽きたから実家に帰るように言うんだ」
さすれば、アユも素直にハルトスへと帰って来る。
洗脳も解けるだろうと、断言していた。
「アユは、ここにいるのか?」
「いや、まだいない。しかし、捕まるのも時間の問題だろう。他の姉妹同様、何も教えていない。一人で、まともに買い物すらできんだろうよ」
そんなことはない。リュザールは内心考える。
アユとは何度も一緒に買い物をした。いくらか金も持たせている。きっと、一人で行動し、姿を隠しているだろう。
彼女はただの弱い女ではない。一本芯が通った、強い女だ。
「今頃、どこかでうじうじと泣いているだろう」
「お前はアユのことを、なんにもわかっていないな」
「なんだと!?」
「それに、先ほどの提案はお断りだ。裸で謝罪? 妻を捨てる? そんなことをするなら、死んだほうがマシだ」
「だったら、望み通り死ね!!」
アユの叔父はリュザールを指差し、鉄砲を持つ男達に命令する。
「この男を、ハチの巣にしてやれ!!」
命令通り、男達は引き金に手をかけたが──上から悲鳴が聞こえた。
「きゃあ!」
「な、なんなの!?」
「やだ、来ないで!!」
女達の声だ。アユの声ではない。
「おい、どうした!?」
アユの叔父が発する問いかけに答えたのは娘の声ではなく、にゃあという猫の鳴き声だった。
「な、なんなんだ!?」
アユの叔父は一人、上に様子を見に行くようにと命じる。
「うわあ!!」
上がった瞬間、男は悲鳴を上げた。何度か、発砲音も聞こえる。
バタン、バタンと何かが倒れるような物音が響き、娘達もきゃあきゃあと悲鳴を上げていた。
アユの叔父はもう一人、銃を持った男を上に行かせた。
結果は一人目と同じであった。
「お、おい、お前」
アユの叔父はリュザールを指差し、上の様子を見てくるように命じる。
内心、「こいつはバカじゃないのか?」と思ったが、指摘せずに従った。
石の階段を上がり、天井にある正方形の出入り口から顔を出す。
「──なっ!?」
リュザールは絶句した。
なぜかといったら、部屋中が猫で溢れていたから。
もともと、野良猫の多い街であったが、なぜここに集まっているのかわからない。ざっと数えて、三十匹以上いるのか。
街中の猫が集まったのではと思うほど、部屋の中は猫だらけである。
銃を持つ男達や、娘達にまとわりつき、遊んでいるように見えた。
リュザールは床に両手をつき、地下部屋から這い出る。
なぜか、猫はリュザールにちょっかいを出さなかった。
これ幸いと出入り口まで走り、脱出した。
外は強風が吹いている。横殴りに風が吹く中、赤煉瓦の家の前に一人の少女がいた。
少女を守るように、黒馬と黒鷲、驢馬が前に立っていた。
もしや、助けに来てくれたのか。
リュザールは少女の名を叫んだ。
「アユ!」
「リュザール!」
二人は駆け寄り、抱擁を交わす。
「よかった無事で……」
「私は平気。でもリュザールは、怪我、してる」
「大丈夫だ。大したことではない」
そんなことよりも、アユは怪我をしていなかった。一人で逃げ、隠れるどころか、こうやってリュザールを救出にきてくれた。勇敢な妻を、リュザールは心から誇りに思う。
二人が出会った瞬間、風が止んだ。
同時に、家の中にいた猫達が次々と出てくる。
「おい、あの猫、なんだったんだ?」
「ここに向かっている間に、付いて来てくれたの」
「そ、そうか」
アユは以前から動物に好かれていたが、野良猫にまでこうして好かれているとは。
これはもう、精霊から授かった稀なる祝福といっても過言ではないだろう。
最後の猫が飛び出していったあと、鉄砲を持った男達とアユの叔父が出てくる。
「コペク兄さん……!」
リュザールが殴って歯を折ったのは、アユの兄だということが判明した。
家族を敵に回すという、悲しい結果となってしまった。
「コペク兄さん、鼻と口から血が」
「その野蛮な男に、殴られたんだ」
「俺も、あいつに殴られたけどな」
最初に殴ったのはそっちだと、言っておく。アユは目を伏せ、リュザールの上着をぎゅっと握りながら、悲しそうにしていた。
「アユ、お前はその男の甘い言葉で騙され、いいように使われているだけだ」
「……」
「早く戻ってこい!」
「今度は、兄さん達が私を、いいように使うの?」
「なっ!」
アユは顔を上げ、凛とした態度で言い返す。
「私は、騙されていないし、ハルトスへも帰らない。彼と、生きるから」
「アユ!」
「洗脳されているから、何を言っても無駄なんだ! おい、男を撃て!」
今度こそ、鉄砲の引き金が引かれる。しかし、カチャリという音が鳴っただけだった。
「な、なぜ!?」
三丁の銃が、同じように引き金を引いても弾が発射されなかった。
リュザールは握っていた手を開く。
手のひらには、十字の切り傷があった。血が滲んでいて、ポタリと滴る。
「お、お前、何か、したのか?」
「ああ。鉄砲は、風の力で発射されると聞いたことがある。だから、精霊に頼んで止めさせた」
リュザールは自らの血と引き換えに風の精霊の力を使い、鉄砲を無効化にさせた。
「ク、クソ! おい、ぼうっとしているんじゃない! 男を殺せ!」
男達は鉄砲を捨て、腰に差してあったナイフを引き抜く。
ここで、アユが動いた。
ナイフを取り出し──垂らしていた左右の三つ編みを切る。
それを両手に持って、風の精霊へ捧げた。
アユの真っ赤な髪は風が掬い取るように、さらさらと流れ天へと運ぶ。
そして、アユは精霊への願いを叫んだ。
「ハルトスの者との縁を、断ち切る風を、巻き起こして!!」
一歩、叔父がアユへ近づこうとしたら、竜巻のような鋭い風が巻きあがった。
服を切り裂き、瞬く間に裸にする。
「な、なっ!?」
胸と股間、大事な場所を隠し、その場にぺたりと座り込んだ。
兄コペクも同じように、竜巻に服を切り裂かれていた。
男達の持つ武器は、風が攫っていく。
こうして、アユの髪を捧げて起こした風は、相手の武力をすべて奪ってしまった。
「もう二度と、私に近づかないで。私は、私の好きなように生きるから」
「し、しかし、アユ……」
「お、お前は騙されて……」
「もしも、私を捜すために山を下りようとしたら、狐に狼、熊と、獰猛な動物達が襲うように命じるから」
アユの言葉に賛同するように、馬と鷲、驢馬、馬、白イタチ、猫が一斉に鳴いた。
「ひ、ひいいい……」
「な、なんなんだ……」
コペクと叔父は、化け物を見る目でアユを見る。
その瞳に浮かぶ感情は、恐怖だ。
もう二度と、アユを捜しにこないだろう。
リュザールはそう、確信した。