ボトルシップレーサーズ (8)
三階の談話コーナーは、階段のすぐ目の前だ。左右にそれぞれの教室に繋がる廊下が続いている。人が行き来する交差点な訳で、当たり前のように混み合っていた。
こんなところに呼び出して、何をしようって言うのか。やっぱり面倒な相手かも知れない。本気度上げていくか。銀の鍵に意識を集中する。さあ何処からでも来い。ヒナは、手加減しないよ。
「あああ、曙川さぁーん」
地の底から響くような、情けない震え声。
って、何?誰?
丁度真後ろにいて全然判らなかった。机が二つ並べられていて、そこにぐんにゃりとした女子生徒が一人。ん?ひょっとしてユマ?こんなところで何やってるの?
「助けてー、もう全然売れないのー」
えーっと、最初から説明してくれるかな?
ユマはクラスの学園祭実行委員であると同時に、部活でも参加している。そうだったんだ、ホントにご苦労様。部活は家庭科部。えっ?ユマ、お嫁さんクラブだったの?ユマは恥ずかしそうにうなずいた。
家庭科部、通称お嫁さんクラブはウチの学校でもちょっとした名物部活だ。元々は料理部と被服部という二つの部活が、不人気のため合併して出来た部活だと聞いている。活動内容が活動内容だけに、みんな「お嫁さんクラブ」と呼んでいる。ヒナも最初入部を考えていたんだけど、あまりにもあざといのでやめておいた。それに、ハル以外の人のためにそういうことはしたくないかな。
活動の際、料理を作った後、それを運動部に振る舞うんだよね。通称「炊き出し」。モテない男子たちが有難がって行列を作る姿は涙を誘うという。なんじゃそりゃ。ヒナも一回見たことあるんだけど、まあ、確かにアレはねー。
以前ハルに、並んでみる?って訊いてみたら、ブンブン首を横に振っていた。じゃがいも2号和田君いわく、「男子として最後の砦」なんだとか。まあまあ、キミらの場合、そこから何かの間違いで愛が芽生えるかもしれないじゃん。使えるものは何でも使ってみなよ。ほらほら、一緒になって群がってみたまえ。
なぁーんてこともあったし、男子生徒に超人気なのかと思っていたけど、どうも今回ばかりはそうもいかなかったみたい。
今年は飲食店を希望するクラスや団体が多かった。メイド喫茶とかも飲食店になるのか。あんなゴツい男メイドの何が良いんだ。飲食店はクジ引きで選出されることになり、大本命の一角である家庭科部がまさかの敗退となってしまった。
飲食店は出来ない、調理室も他の団体に取られてしまい、場所自体もこんな談話コーナーになってしまった。踏んだり蹴ったりだ。仕方なくひっそりとパウンドケーキを売っているが、これが売れない。っていうか、売っていることに気付いてさえもらえない。
一日目で惨敗し、ほとんどの部員が戦意を喪失、もはやこれまでと諦めてしまっている。残されたユマだけで頑張っているが、今日振り向いてくれたのはヒナが初めてなのだという。それはまた、なんというか、御愁傷様。
「せめてもう少しぐらい売りたいのよ」
うーん、気持ちは解るんだけど。
場所はまあ、実際にはそんなに悪くない気がする。人通りはかなりあるんだし、もうちょっと目立つだけでみんな見てはくれるんじゃないかな。売り物がパウンドケーキか。地味だな。地味だよな。もうちょっと華のあるものか、せめてラッピングに凝るとかしたいけど、そんな時間もないだろうしな。
「パウンドケーキかぁ」
「地味だよね。でも、簡単で、かさがあって、日持ちしてって、色々考えてたらこうなっちゃってね」
これならクッキーの方がマシだったかもね。とか言っちゃ駄目か。クッキーも割と手間なんだよな。あの辺りはヒナは全部ホットケーキミックスで簡単クッキーにしちゃうし。ほら、ハルはあんまりそういうの食べないから。ケーキよりジャガイモ蒸かしてバター乗っけてあげると喜ぶんだよ。こういうのもお嫁さんクラブに入らなかった理由の一つ。ヒナの場合、可愛いお菓子作りよりも、おかんのおやつ作りって方が向いてるんだ。彼氏様に合わせたらそうなっちゃうんだからしゃーない。
おおっと、ユマの相談に思わず乗ってしまっていたけど、こっちはそれどころじゃないんだった。改めて周りの様子を見てみる。ああ、こりゃダメだ。人が多すぎて何が何だかわからない。こうなっちゃうとノイズが大きすぎて、銀の鍵もあまり意味をなさないか。そこまで考えてこの場所を指定したんじゃないだろうな。腹立つ。
「曙川さーん・・・」
あああ、もう、ユマ、そんな情けない声出さないでよ。わかったよ。ユマにはペットボトルボートを作ってる時にすごく助けてもらったし、クラス展示の方でもすごい頑張ってくれてたから、ヒナが助けてあげるべきだよ。わかりました。
「じゃあ、ちょっと売るルートを増やそう」
「ルート?」
このパウンドケーキ、これだけ買って食べるってちょっと無いかな、と思うんだよね。だから、チサトにお願いして演奏喫茶で出してもらうようにしようよ。あそこ、メニューにケーキとか無かったからさ。紅茶とかコーヒーとかと一緒なら合うんじゃないかな。学園祭実行委員の許可は、ああ、それはユマが自分で出来るでしょう。その辺、何とか理屈付けられるよね。
「あ、曙川さん、それ、すごく良い」
それはどうも。後はこの場でももうちょっと売りたいよね。あんまり気乗りしないんだけど、一応最後の手段的に付加価値をつけてあげることは出来る。正に最終奥義って感じ。ヒナもこの手は今まで使ったことが無い。なにしろ、これを使って外した日には目も当てられないからだ。
ほら、ユマもやるんだよ。恥ずかしがっちゃダメだからね。売りたいならやる。文句言わない。じゃあいくよ、せーのっ。
「女子高生の手作りケーキですよぉ!」
うわぁ、こっぱずかしい。
そもそも高校の学園祭なんだから、大概のモノは女子高生の手作りだっつーの。一部男子高校生の手作りもあるけどさ。んでもここは正真正銘女子高生、しかもお嫁さんクラブの手作りだ。これを付加価値に、プレミアにしなくてどうするんだ。
その場でポスターも描いちゃう。「お嫁さんクラブJK手作りパウンドケーキ」自分で書いてて失笑が漏れたわ。はっ、いかんいかん。ここは心を鬼にして、あくまで可愛く、あざとく。
「お嫁さんクラブの、愛情たっぷり手作りパウンドケーキでーす」
こんなん知り合いに見られたら切腹ものだ。
「あ、ヒナ姉さん」
ふんぎゃあー!
カイ、なんで今日も来てるの。昨日来たじゃん。あ、サッカークラブの先輩だっけ。何でその子までいるの。ちょっと、どうなってるの。
「カイ、今日も来てたんだね」
「ええ、先輩が二日目も見てみたいって言って。プールの方にも行ったんですが、こちらにいらしたんですね」
「クラスメイトのお手伝いでね。お手伝いで」
大事なことだから二度言っておく。お手伝いだからな。お手伝い。
うう、先輩君のヒナを見る目が、なんかちょっとアレな感じがするよ。多大なる誤解を与えてるんじゃないかと心配になるよ。カイもあんまり澄んだ目でヒナのことを見ないでおくれ。ものすごーく自分が穢れていくような気がする。
「お手伝い大変ですね」
ハイ。
「じゃあお邪魔してもいけないんで、これで失礼します」
ウン、ジャアネ。
深く触れないでおいてくれたのは、カイの優しさなのだろうか。もういっそ殺してくれって感じだよ。先輩君、何度もこっち振り返ってるじゃん。あはは、あは、あは。
まさかこれが新手の攻撃とか言わないよな。いや実際ヒナの精神はズタボロだよ。これが攻撃なら大したものだよ。
第二音楽室までパウンドケーキを届けに行っていたユマが、帰って来たら真っ白に燃え尽きているヒナを見て不思議そうにしている。ははは、笑っておくれ、ユマ。ヒナはやられちまったよ。元からないプライドが更にズタズタだよ。
カイは余計なことを言わない子だからきっと大丈夫だ。うん、平気平気。チクショー。
開き直った声掛けが功を奏したのか、売り上げは上々だった。全く売れなかった昨日と比べれば天国だと、ユマもほくほくの笑顔だった。ああ、ヨカッタデスネ。その代わりヒナは大切な何かを一つ失った気がしますよ。
一時間ほどここで売り子をしていたが、結局カイ以外に誰かがヒナに声をかけてくるということも、攻撃を仕掛けてくるということも無かった。これだけ声を出して目立つようにしてたんだ、気付いてないってことは無いだろう。まあ、目立ち過ぎてはいたかもしれないけどね。
最終的に、パウンドケーキはほぼ完売ってところまで持って行けた。お疲れ様、とユマとハイタッチする。いやぁ、やれば出来るもんだね。多分来年辺りからどっかが真似すると思うよ。JK手作りブランド。そんなの絶対学校から怒られるだろう。
「ありがとう、曙川さん。素晴らしかった」
いやいや、昨日死にかけた顔してたユマを見てたからね。これで悩みが解消されたなら良かったよ。演奏喫茶の方も喜んでくれてたみたいだし、ウィンウィンってヤツだ。万事解決、目出度い。
「これ、曙川さんに。今日のお礼」
ユマがパウンドケーキを一つ手渡してくれた。ああ、そういえば現物を食べてはいなかった。お嫁さんクラブのパウンドケーキか。うん、なかなかおいしい。これを作れるようになるなら、お嫁さんクラブに入るのも悪くな・・・
パウンドケーキを包んであったラップに、水色の付箋紙が貼り付けてあった。ちょっと待って。これいつ付いた?並んでいるパウンドケーキにこんなの無かったよな。ホントについさっき、今まさにって感じじゃないか。
付箋を剥がす。文字が書いてある。おい、今度は何なんだよ。
『イマスグプールニコイ。テオクレニナルマエニ』
ハル!
ヒナは走り出した。ユマが何か言っているけど聞こえない。プールにはハルがいる。冗談じゃない。早くしないと。