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ボトルシップレーサーズ (7)


 演奏喫茶は第二音楽室だ。隣の第一音楽室はミニライブハウスになっていて、どんちゃんと大きな音が漏れてきている。えーっと、防音になってるはずなのにこれだけ聞こえてくるってことは、中はどれだけしっちゃかめっちゃかな騒ぎなんだか。ちょっと想像したくないかな。

 聞いた話では演奏喫茶は結構人気があるということだった。気になるなぁ。入り口を見てみると、うん、かなり並んでるね。一時に来いって書いてあったけど、その時間に入るのは無理なんじゃないかなぁ。

 そう思っていたら、中からひょっこりとチサトが顔を覗かせた。

「あ、ヒナちゃん、こっちこっち」

 さりげなくチサトはすごい。クラスの方にもマメに顔を出してるけど、吹奏楽部の演奏でも選抜メンバーに入っていたはずだし、この演奏喫茶でも働いている。あの小さな体の何処にそんな体力が秘められているんだ。

 ヒナが近付くと、チサトは大きなバインダーに挟んだ紙の束をペラペラとめくり始めた。予約台帳?うわぁ、すごいね。ウチのペットボトルボートに負けないくらいの予約数だ。ん?予約?

「はい、一時からの予約だね」

 えーっと、ヒナ、そんな予約取った覚えは無いんだよね。ってことはあの付箋紙のメッセージは、間違いとか軽い悪戯とか勘違いとかじゃなくて、確実にヒナ宛のものだった、ってコトでいいのかな。これは、困った。深刻度が増しちゃったよ。

「この予約って、誰が取ってくれたのかな?」

「うーん、私その時いなかったからちょっと判らないな。サユリとかだと思うんだけど」

 まあ、そう考えるよね。誰が予約取ったかなんて、こんな忙しい状況の中じゃすぐには判らないだろう。銀の鍵でここにいる吹奏楽部員心の中を片っ端から覗き見たところで、はっきりとしない可能性だってある。やめておこう。どうせ待ってれば向こうから何かしてくるでしょ。

 チサトに案内されて、第二音楽室、演奏喫茶の中に入った。ほほう、これはこれは。窓は全部暗幕で覆われていて、全体的に薄暗くなっている。各テーブルの上にグラスに入ったキャンドルが灯されており、淡いオレンジの光がぽつぽつと連なっている。雰囲気すごいな。幻想的だ。

 隅の方の席に案内された。白いクロス。ランタンの中で小さな炎が踊る。おおお、なんかいいね。学園祭ってことを忘れちゃいそう。メニューはコーヒーと紅茶と、ジュース。ここで飲むなら紅茶かな。外は熱気で暑いくらいだけど、あえてホットで。優雅なティータイム。

「では、楽器をご指名ください」

 なんですと?

 演奏喫茶の真髄、ここにあり。なんとメニューに書かれた楽器を選ぶと、横に来てその楽器を使って一曲演奏してくれるのだとか。わぁ、何そのセレブなもてなし。面白い。

 えーっと、クラリネット、オーボエ、ファゴット、フルート、ピッコロ、トランペット、トロンボーン、ユーフォニアム・・・いっぱいあるけど、これ、トランペットとか頼んだら音凄くない?

「一部の楽器はミュートをつけた状態での演奏とさせていただきます」

 ああ、フタね。あれ面白いよね。あんなのつけてよく息が詰まらないものだと思うよ。力いっぱい吹いたら、すっぽん、って飛び出したりしないのかね。ええっと、ごほん、それはまあいいや。

「オススメは何かある?」

「今でしたらソプラノサックスがお勧めです。今年の新人では一番の熟練者です」

 そうか、一年生が主に担当するんだったね。ソプラノサックスってあの、ぐにゃって曲がってない、真っ直ぐなサックスだよね?サックスって言うとウツボカズラみたいな印象だったから、他と違って目立っているソプラノサックスはヒナでも判る。ソプラノって言うくらいだから高い音が出るのかな。それも確かに聴きたいんだけど、今日のオーダーはもう決まってるんだよね。

「フルートでお願いします」

「かしこまいりました」

 チサトが、くすって笑う。折角来たんだから、チサトの演奏を聞かせてもらわないと。注文が来るまで、薄暗い音楽室の中をぐるりと見回した。視覚情報はちょっと怪しいので、銀の鍵も使わせてもらう。さて、誰がヒナをここに呼び出したんだ。敵意や悪意のようなものは感じ取れない。ヒナの方を窺っている気配も無い。不思議だ。驚くくらい普通。どういうことだ。

「お待たせしました」

 数分も立たずに紅茶が出てきた。あ、ちゃんとしたティーカップなんだ。受け皿まで付いてる。凝ってるなあ。まあ、中身の方は学園祭だし、ティーバッグだよね。口に含んで驚いた。いやいやいや、これひょっとして、お安くないんじゃない?少なくともヒナが普段おうちで飲んでるのとは全然違うよ?

「ちょっとだけ良い葉っぱ使ってるの」

 ちょっと、ですか。ははあ、なんかチサトも、ヒナが知らないだけで実は良いところのお嬢さんだったりするのかな。ヒナ、紅茶の銘柄なんて、ニットー、トワイニング、リプトンしか知らないよ。それは銘柄じゃないって、以前お母さんに呆れられたけど。

 チサトがフルートを構える。夏休み、屋上で聴かせてくれたのはアメイジンググレイスだったか。ふと周りを見ると、他の部員たちもチサトの方を向いている。今年の新人の中で一番の熟練者って、実はチサトなんじゃないの?

 小さな体から、信じられないほどに芯の太い音が奏でられる。第二音楽室の中が、チサトのフルートで満たされた。この曲はヒナも知っているよ。ええっと、「遠き山に日は落ちて」だっけ?そうじゃないや、「新世界より」だ。ドボルザークの第九。

 美味しい紅茶を楽しみながら、すぐ近くで自分のための生演奏を聴く。なんというエレガント。すごいな、演奏喫茶。演奏が終わって、静かな拍手が沸き起こる。ブラボー。わあ、楽しい。これ丸一日居座りたくなる。そりゃ混むわけだ。

「お粗末様でした」

「いやいや、すごかった。ここ楽しいね」

 毎年吹奏楽部でやっている定番の出し物なのだそうだ。ははあ、水泳部のゲート、陸上部の焼きそば、吹奏楽部の演奏喫茶ね。なんかその中だと吹奏楽部が一番優雅な気がするよ。毎年アンケート一位を巡って熾烈なバトルを繰り広げているとか。

「演奏喫茶は長居するお客様が多くて、なかなか票数が溜まらないんだよね」

 うん、その気持ち判るわ。ヒナももう動きたくないもん。誰かさっさと出て行って、新しいお客さんが次の演奏をオーダーしてくれないかなって、そればっかり考えちゃう。照明を落とした感じも良い。周りの席をあまり気にせず、ゆったりと音楽と紅茶を楽しめる。学園祭の中に、こんなパラダイスがあったとは。

 あ、紅茶無くなってた。残念。外の列もすごかったし、あんまり粘ってもチサトに悪いかな。それに、呼び出した奴が姿を現さないんじゃ、出向いてきた意味も無いし。結局なんだったんだ。

 焼きそばのパックの裏に貼り付けてあった付箋紙。あれって、いつ貼り付けたんだろう。パックはビニール袋に入ってた。袋に入れる前だよな。とは言え、割と誰にでも出来そうな気もするし。

 ん?パックの裏?

 恐る恐る、紅茶の受け皿の下を覗いてみる。ははは、まさかね。ライトグリーンの付箋紙が見えた。くそ、もっと早く気が付けばよかった。無駄に手が込んでいる。いつ貼り付けたのか知らないけど、もうこの近くにはいないかもね。全く、セレブリティな気分が台無しだよ。


『ヒミツヲモラサレタクナケレバ、サンカイダンワコーナーマデコイ』


 遊んでくれるじゃない。なるほど、言うことを聞かなければバラすと言ってきた。これで明確に脅迫だ。

 しかし三階談話コーナーってまた中途半端な場所だな。人目につかないかな?多分人通りがそれなりに激しいところだよね。群衆に紛れて何か仕掛けてくるつもりなのか。そういう、他人の犠牲を何とも思わないタイプだと厄介だ。こっちは学園祭を滅茶苦茶になんかされたくない。

 チサトにお礼を言って、ヒナは第二音楽室を後にした。えーっと、一時半ってところか。こんなのに振り回されて学園祭最終日が終わっちゃうとか、冗談じゃないんだけど。


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