ボトルシップレーサーズ (6)
「これだけは確認させてくれ。結果がどうあれ」
「判ってる判ってる。心配すんなっての」
「心配もするさ。そもそも」
「はいはい、そういうのは後でやってね。今は計画通りいきましょう」
学園祭一日目終了後、家に帰ったヒナにお母さんが放った一言は「あら、帰って来たの」だった。はい、帰って来ましたよ、今日はね。それともハルの家に嫁入りした方が良かったですか。ヒナ的には向こうさんの迷惑にならないようなら、もうそうしても全然構わないんですけどね。
何処までバレてるのかわからないから、迂闊なことは口に出来ない。変な情報が渡ってしまったら、またロクでもないセットアップが待っているに違いない。次にお父さんが帰国した時に、婚約祝いとか言われないように気を付けよう。いや、言われても良いけど、その場合は本人たちからの報告を受けてからにしてほしい。
ご飯食べてお風呂入って、ようやく少し落ち着いてきた。ああ、帰ってきちゃったな、って感じだ。もっとふわふわしてたかったなぁ。学園祭、学校なのに学校じゃない雰囲気。朝起きてからずっといたから、すっかりそこに住んでいる気分になっちゃってた。ハルと二人で。それも楽しいな。
ハルは疲れているのか、メッセージの返事が微妙に遅かった。無理をさせても可愛そうだし、控えめでいこう。ベッドに横になると、昨夜のことを思い出して胸がきゅっとなった。ハルと一晩、一緒にいたんだよね。二人きりで、並んで眠った。うわぁ、それってすごいことだ。もう何をされても文句が言えない状況。文句なんて言わないけど。
うひゃあああ、ってベッドの上でどったんばったんしてしまった。やり過ぎですか。やり過ぎですね。たまらんですか。たまらんですね。は、恥ずかしい。あと、ハル、カッコいい。素敵。
もう奥さんで良いじゃん。嫁入りするする。ハルのお母さんなら、姑としては問題ないです。ちょっとはっちゃけすぎる時があるかな。ウチのお父さんみたいなものだと思えば何とかいけるか。ハルのお父さんはダンディで良いよね。舅さんとしては申し分ない。後はカイ。カイはもう完全にもう一人の弟だしな。ああ、いけるいける。
都合の良い妄想してウヒウヒしてたら知らない間に眠っていた。目覚ましが鳴って起きた時、状況が理解出来ずにぼんやりしちゃったよ。ヒナも自分で気付いていないだけで、だいぶ疲れてたんだね。ぐっすりだった。
朝の登校時、ハルとの待ち合わせ場所にしているコンビニ前に行くと、ハルも眠そうにあくびしていた。お疲れ様、ハル。
「おはよう、ハル。眠そうだね」
「おはよう、ヒナ。もう眠くて眠くて」
ははは、よっぽど眠いんだね。ただでさえ細い目が、もう開いてるんだか閉じてるんだか判らないよ。おーい、見えてる?目、開いてる?
朝は元気なハルがちょっと弱ってるのは面白い。そういえば昨日の朝も、寝起きはアレだったよね。朝強いとばっかり思ってたのに。ちょっと意外でした。ヒナにもまだハルについて知らないことがあるんだなぁ。
お疲れのところ申し訳ないけど、今日もきっと忙しいですよ。気合入れていきましょう。ふわぁー。
いつもとはまたちょっと違うふわふわした感じで学校までやって来ると、校門のところで水泳部がわいわいと作業していた。メイコさん、まさか昨日も泊まりだったんじゃ。多分そのまさかだね。汗を光らせながら、メイコさんはてきぱきと指示を出している。
「おう、お二人さん、おっはよう」
うわぁ、こっちは正真正銘、朝から元気な人だ。大きい声が若干頭に響きます。すごいなぁ。っていうかいつ寝てるんだ。作業している水泳部員は皆ゾンビみたいな顔してますよ。水泳部オブザデッド。
「朝倉君は昨日は大丈夫だったのかね?」
ん?ハル?どうかしたっけ?
そういえば昨日、ヒナと別れた後学校の方に向かってたけど、本当に学校まで戻ってたのか。ハルの顔を見ると、ダメだ、聞いてるんだか聞いてないんだかって感じだ。おーい、ハル、起きてー。
ヒナが目の前でひらひらと手を振ると、ようやくハルの意識が戻ってきた。ちょっと寝不足過ぎない?まさか寝てないとか言わないよね。もう、しっかりしてよ?
「ああ、はい。大丈夫でした。多分何とかなると思います」
ぼそぼそとそこまで言って、それからはっとしたようにヒナの顔を見た。なんだよ。彼女の存在を忘れてたのか?失礼だな。一緒に歩いて学校まで来たでしょ?
変な愛想笑いを浮かべて、ハルはメイコさんにぺこぺこと頭を下げた。ふむ、なんか怪しいな。昨日ヒナと別れた後、何かやらかしたんじゃないだろうね。
「ハル、昨日何かあったの?」
「いや、まあ、大したことじゃないというか」
む、これ、絶対何か隠してるでしょ。
「そのうちわかるよ」
なんだそりゃ。
ハルがヒナに隠し事ですか。酷いな。ヒナはハルに隠してることなんか・・・あるけどさ。
でも、折角ハルの奥さんになれるかも、なんて考えてた矢先だったから、ちょっとショックだ。ハルのバカ。そのうちわかるって、ホントだろうな。じゃあ信じるよ。ヒナはハルを信じます。
「ヒナ、怒ってる?」
「怒ってませーん」
知らない。ぷーんだ。
「じゃあ、楽しいお祭りにしましょう」
「ああ、楽しみだ。ほら、もっと楽しそうな顔しろよ」
「お前だって、やりたいんだろ?」
「ヒナ、ごめん」
二日目、ヒナは午前中はプールで受け付けのお仕事だ。予想通り昨日を上回る客の入りで、もうてんてこ舞いもいいところだった。広いプールではあるけれど、ここまで見物が多いとは想定の範囲外。えー、これ、どうなってんの?
市内報の取材とかも来ていた。ペットボトルのリサイクル関連でどうとか。プールでそれやられると収拾がつかないので、展示の方に移動してもらった。はあ、グッタリだ。人気がありすぎるってのも考え物だね。もっと内輪で静かに、ってのもアリだと思った。退屈過ぎるくらいで実は丁度良かったのかなぁ。
発案者ってコトで、写真まで撮られてしまった。しかもハルと写っているパネルの前で。何の罰ゲームだ。この写真が市内報に使われたりしたら、いよいよヒナとハルは市内全域にバカップルとして知られてしまうのか。ううう、それはいくらなんでも。
プールに戻って来たらまたわーきゃーと騒々しいし。お祭りだなぁ。いや、楽しいんだけど、どちらかと言えばヒナはお祭りを楽しむ側でいたい。運営側は、なんというか、もうお腹一杯だ。
「ヒナ、お疲れ」
台風のような午前が過ぎて、ヒナはようやく解放された。おおお、自由って素晴らしい。ハルはまだボートに乗ってロープを引っ張っている。ハル、頑張れー。余裕があるようならハルの姿が見えるプールにずっといようかとも思っていたけど、少しで良いから外の空気を吸って来たいかな。や、もう限界ですってば。
「サキのところ、様子見てきたら?」
サユリに言われて、そういえば学園祭の間、サキの姿を全然見てないな、と思った。焼いたそばなら昨日食べたけどね。二日連続で鉄板に向かっているとなると、ヒナどころじゃなく伸びていることだろう。陣中見舞いをしておくべきか。お昼もついでに買いたいし。
アディオスアミーゴ、ヒナはプールを後にした。はああ、塩素の匂いがしない普通の空気。スタッフじゃない、一般参加者としての身軽な学園祭。たまらん。着替えの手間を省くために、水着の上にジャージなのがイマイチだけど。学園祭実行委員のユマとかは超大変だろうな。でも確か立候補してなったんだし、好きでやってるってことか。よくわからん。
陸上部の焼きそばは、確か校庭の方、渡り廊下の下辺りでやってるはずだ。特別な許可を得て鉄板とガス台を持ち込んでいる。こちらも水泳部の正門ゲートと同じく、毎年恒例の出し物なのだそうだ。サキは一年生ながら何かを見込まれて、メインの調理係を担当している。
まあ、何かって、見た目なんだろうけどさ。サキは女の子だけど、王子様。クラスの王子様は学年の王子様になり、陸上部の王子様にもなっていた。もうすぐ学校の王子様にまで進化するんじゃないかな。とどまるところを知らない。
すらりとした長身、さっぱりとしたショートヘア、猫みたいな目。そして柔らかな物腰。紳士な態度。それでいて、自宅が美容院というところから来る細やかな気配りとセンス。なんだ、完璧超人か。
そんなサキが焼いてくれる焼きそばが売れない訳がない。王子様焼きそばは学園祭一日目の目玉商品となっていた。ウチのクラスのさといも高橋が大量買い占めとかやってたけどな。そのせいでサキが重労働を強いられてたりしないか、そこはちょっと気になる。まあ、あの焼きそばピラミッドは最終的には無事全部消費されたということだけど。
ん、なんか今日はそんなに混んでないみたいだけど?デッカイ看板が出ている。『秘伝のソースと秘蔵の調理者』ってすごいコピーだな。やっぱりサキが前面に出されてるんだ。それで空いてるってことは、ひょっとしてサキがダウンしてるんじゃないの?
案の定、サキは後ろの方で横になっていた。他の陸上部員が団扇で扇いでいる。うん、もはやサキが焼きそば状態だね。部員の人に話してサキのところまで通してもらった。おお、日焼けというか、鉄板焼けで真っ赤になっちゃって。撥ねたソースと油でエプロンもぐちゃぐちゃだ。無茶しやがって。
「ああ、ヒナ。ごめんね、クラスの方、ほとんど顔出せなくてさ」
いやいやいや、この状態を見て、クラスの方にも協力しろとか、そんな無体なことは言えませんよ。サキは頑張ってる。昨日アホな買い方したさといも高橋は、後でちょっとシメとく。
一日目はほとんど休みなく鉄板に向かっていたそうだ。焼いたそばから売れていく。「正に焼きそば」いいから大人しくしてなって。王子様が台無しだよ。疲れ切ってナチュラルハイになってるんだ。モルダー、あなた疲れてるのよ。
今日も朝から焼きまくっていたが、熱中症で引っ繰り返りそうになったところでストップがかかったとのこと。本人はまだ焼けるとか言ってるけど、うん、見ている限り限界を超えてるよ。あと、材料も仕入れが必要なんだって。どんだけ焼いたんだ。
「でも、ヒナの分は予約入ってたからね、ちゃんと作っておいたよ」
はぁ?予約?
良くわからないけど、お昼時辺りにヒナが来たら渡しておいてくれって頼まれていたらしい。誰だ?サユリかな?応対したのがサキではないということで、詳細は不明。ふむ、まあいいや。お昼食いっぱぐれないで済むのはありがたい。遠慮なくいただきますよ。
ビニール袋に入った焼きそばのパックを受け取る。「グッドラック」なんだそれ?がっくりとサキの身体から力が抜け落ちた。サキ、キミのことは忘れない。ゴッドスピード。
まあ、お昼は手に入ったし、まずはこれをかきこんでしまおう。なんか具が多い気がする。サキスペシャルって感じか。ほくほくで教室に移動した。エネルギー回復して、ハルのいるプールに戻っちゃおうかな。
控室に入ると、お昼時ということもあって何人かのクラスメイトがいた。でも、いもたちはいないし、当然ハルもいない。今日はユマが沈んでいることも無かった。ヒナは窓際の方の席に座ると、ビニール袋から焼きそばを取り出した。さーて、スペシャルはどんなお味かな。
ん?パックの底に何かついてる。付箋だ。ヒナ用ってコトでマーキングしてあったのかな。何気なく剥がして、書いてある文字に目を通す。ゴミかなー、ってぼんやりしてた。
『オマエノヒミツヲシッテイル。イチジニエンソウキッサニコイ』
え?
え?え?
思わず立ち上がった。がたっ、て椅子が倒れて、クラスメイトたちがヒナの方に視線を向ける。ごめん、なんでもない。慌てて椅子を戻して、再び付箋紙に書かれた文字に目を向けた。ねえ、ちょっと、これ、何?
落ち着け。大きく息を吸って、吐く。焼きそばの匂い。お腹空いてるな。まずは食べよう。大丈夫、焼きそばを作ったのはサキだ。それに、食べ物に何か仕込むくらいの搦め手を使うなら、そもそもこんなことはしてこない。
無言で焼きそばを食べながら、教室の時計を見る。午後一時まであとニ十分くらいか。時間的な余裕はありそうだ。しかし、問題はこのメッセージを出してきた奴が、ヒナの一体何を知っていて、何を目的にこんなメッセージを寄越したのか、ということ。
秘密。確かにヒナには大きな秘密がある。誰にも、ハルにだって話すことが出来ない大きな秘密。左掌に埋め込まれた銀の鍵。
お父さんが海外土産で買ってきたアクセサリ。おまじないグッズ。運が良いのか悪いのか、それは真実強力な魔術具だった。人の心を読み、操り、この世界に存在するありとあらゆる理の触媒となり得る、神々の住まう幻夢境カダスへの扉を開く究極の鍵。
中学生の時、ヒナはこの銀の鍵の守護者である神官ナシュトから契約を持ちかけられ、即座に拒絶した。いらんがな。そしたら鍵の力が暴走した。安全設計がなっていない。キャンセル実行時の動作を確認するのは、システム設計の基本だって、ヒナのお父さんが言っていた。
結果として、ヒナの左掌と銀の鍵は一体化し、ヒナ自身もナシュトと存在が一部同化してしまった。この気色悪い二人三脚状態は、残念ながら簡単には解消することが出来ないということだ。ホント、大迷惑。
人の心を読む力なんて、正直使えて良いことなんてあまりない。そんなことしたって、出来るのは暗い喜びに浸ることくらいだ。特にハルとの関係は、そんなズルに頼るなんて絶対にしたくない。ヒナは自分の力でハルとお付き合いして、今や恋人関係にまで発展させることが出来たんだ。
銀の鍵については、最近になってようやく自分の中で折り合いが付けられるようになって来たところだ。基本的には存在自体をなるべく意識しないようにしている。ヒナは普通の高校生。おかしなことには首を突っ込まない。
目に見えない世界のことについては、ここのところは近隣の土地神様が相談に乗ってくれている。女の子の姿をした神様。非常に親しみやすくて助かるんだよね。あと超可愛い。
土地神様にも、ヒナがそういう方針だってことはお話しておいた。優しい土地神様は「まあ好きにしてていいよ」なんて言ってくれたけど、ヒナにしてみればもう十分に持て余し気味だ。
さて、ヒナの秘密といえばコレな訳なんだけど。一体全体この力をどうやって知って、そして知った上で何をどうしようって言うのか。焼きそばを食べ終えて、ヒナはふぅっと息を吐いた。
ナシュト、どう思う?
ヒナの問い掛けに反応して、机の横に一人の男が現れた。浅黒い肌、銀色の長髪、燃えるような赤い瞳。半裸に豹の毛皮とか、ファッションセンスがなぁ。今は古代エジプトじゃないんだから。そこだけ改めてくれると、一応イケメンなんだけど。
ヒナにしか見えない、ヒナにしか声を聞くことが出来ない、銀の鍵の守護者。神官にして自らも夢の地球の神であるナシュトだ。
「さて、我にも良くわからぬ」
はぁ?
ナシュト、今、わからないって言った?
これはビックリだ。ナシュトは曲がりなりにも神様で、世界中の魔術や呪術に精通している。今までヒナが危ない目に遭いそうになった時には、事前に予知して警告を投げてくれるくらいだ。
そのナシュトが、わからない?
「恐らく魔術的、呪術的要素は絡んでいないと考えられる。警戒は必要かもしれないが、必要以上に恐れることは無い」
へええ、なんだか余計わからなくなってきちゃったよ。
ヒナがダメージを受けるようなことがあれば、一体化しているナシュトにもダメージが及ぶことになる。我が身可愛さから、ナシュトはヒナに危害が及ぶような事態に関しては、うるさいくらいに口を出してくる。それが、「恐れることは無い」ときたもんだ。これは逆に怖くなってくるな。
まあナシュトがそう言うならそうなんだろう。そこを疑っても話にならない。とりあえず、警戒だけは怠らない。
演奏喫茶ね。吹奏楽部か。チサトがいるんじゃないかな。顔を出そうかなとも思っていたから丁度良い。
何者だか知らないけど、ヒナに喧嘩を売ろうって言うなら真正面から来いってんだ。