ボトルシップレーサーズ (5)
「手間かかってるからね。綺麗に落ちてくれないと困るな」
「一番口を滑らせそうな誰かさんが、ちゃんと黙っててくれれば平気さ」
その後、午後はずっとプールでお仕事をすることになった。いや、大盛況過ぎて嬉しい悲鳴。予約していて乗船に来るお客さんだけでなくて、想像以上に見物に来る人が多かった。そんなに珍しかったですかね。
ボートに乗船したい場合には、幾つかの条件がある。まずは、この学校の生徒であること。外部の人を乗っけて、事故なんか起きたら対応出来ないからだ。次に、乗船時に水着を着用すること。普通にしてても濡れるし、ペットボトルとバスマットなんて滑って転べと言っているようなものだ。まあここまでは大体条件を飲んでもらえる。
最後の難関、正確な体重を申告すること。積載重量をきちんと確認しないといけないので、この項目はどうしても外せなかった。事前に水泳部のOBであるゴリラ先輩とも約束した手前、安全対策の手は抜けなかったのだ。だから、これは嫌がらせとかではないんです。女子のみなさん、ごめんなさい。
これだけのハードルがあったが、乗船申し込みはあっという間に満員御礼となった。今はキャンセル待ちの状態。ファストパスとか売ったら儲かるんじゃないかって、男子は言ってた。儲けに走るならそうかもね。でも、これは学園祭だからさぁ。
受付でこれらの説明をするだけであっという間に時間が過ぎていく。もう、次から次へと聞いてくる。模造紙に書いて貼り出してあるのに聞いてくる。だーかーらー、今から申し込んでもキャンセル待ちです。外部の人は乗れません。あー、もー!
遅い昼ご飯を食べようとプールの外に出たら、学食はいつもと違うスペシャルメニュー構成で猛烈に混んでいた。ずるい、普段からそのデザートとか出してほしい。出店系の方に回ってみたら、こっちはこっちで作るのが追い付かないらしく、何処を見ても結構な待ち時間がある。プールの方も想像以上にお客さんが多いので、ヒナもゆっくりとはしていられない。
どうしたもんかと思いながら控室を覗いてみると、焼きそばのパックでピラミッドが積み上げられていた。こ、これは。
「あー、陸上部からまとめて買っておいた」
さといも高橋君、これはグッジョブと言って良いのかどうか。ヒナ的にはお昼ご飯にありつけて嬉しいんだけど、これを欲しがっている他のお客さんの意思はガン無視だよね。まあいいさ、ありがたく頂くよ。折り紙で作った箱が置いてあって、二百円って書いてある。良心的じゃないか。ちゃりん。
うん、普通の焼きそばだね。ちょっと冷めてる。お祭りの縁日のヤツよりは具材が多い。二百円だとほとんど儲けが無い気がするなぁ。キャベツとお肉だけで結構するよね。
「なんかミョーに人気があったんだけど、別に普通の焼きそばだよなぁ」
男子が首をかしげながら食べている。わかってないなキミたち。これは多分、サキが焼いてるんだよ。王子様焼きそばだ。やっぱりそのプレミアを理解していない人間が買い占めてしまうのは、良くないことだったのかもしれない。ここは責任を持って、その価値を知っているヒナが消費してしまいましょう。ちゃりん。
焼きそば三パック食べてややもたれ気味。重いお腹をさすりながらプールに戻ってみると、また人が増えていた。午後になってまだ人が来るのか。ボートにはハルが乗っていて、ガイドロープを引っ張っている。ハル、お昼食べたっけ?肉体労働大変だなぁ。
「ヒナ姉さん」
不意にそんな声をかけられた。学校でそう呼ばれるのは珍しい、っていうか初めてだ。なんだかくすぐったいな。ヒナのことをそう呼ぶのは一人しかいない。ハルの弟、小学六年生のカイだ。
六年生にしては背も高いし、しっかりしている。ランドセル背負ってると正直違和感があってね。今日も私服の中学生くらいに見える。って、一緒にいる男の子は中学の制服だね。ヒナが行ってたのと同じ中学だ。
「カイ、いらっしゃい。友達と来たの?」
「サッカーチームの先輩です。来年は受験生で、ここを受験するかも、ということで見学に来ました」
中学二年生か。今、あの中学どうなんだろうね。ヒナがいた時は酷いもんで、ってカイはハルに聞いて知っているか。とりあえず失礼の無いようにご挨拶しておこう。
「こんにちは。曙川ヒナです。カイと仲良くしてあげてね」
「は、はい。こちらこそ」
なんだかおどおどしている。ヒナ、何かおかしかったかな?まあいいや。
「今、丁度ハルがボートに乗ってるよ」
二人をプールに近付かせて、ハルの方を指差す。こちらに気が付いたのか、ハルも手を振ってくれた。プールに落っこちないように、ヒナが二人の肩を軽く支える。うん、なんか弟が二人出来たみたい。いや、シュウとカイで二人なんだけどさ。シュウがもうちょっと大きくなったらこんな感じかな。
カイも来年には中学生だ。そう考えると感慨深い。ハルの後ろをちょこちょこと歩いていたのが、今ではすっかりハルよりも大人な感じ。身長もヒナと変わらない。ハルに似てるけど、もうちょっとシャープで、線が細くて、すっきりとした印象の顔立ち。サッカーやってて、勉強も出来て、普通にモテそうだよね。ハルの立場無さそう。まあ、ハルにはヒナがいてあげるから、それで勘弁してください。
カイのお友達も、似たような感じかな。こっちは中学生だからもうちょっと年上か。サッカークラブってハナシだし、やっぱりスポーツしてるっていうのはなんとなく判る。生命力を感じるね。いいなぁ、若いって。
「すごいですね」
「結構苦労したからね」
カイが目を輝かせている。やっぱり男の子はこういうの好きか。お友達の方も、なんだか熱い視線を向けている。うん、こうやって喜んでもらえると、頑張った甲斐があったってものだ。
「乗せてあげる訳にはいかないんだけど、教室の方に色々展示してあるから、良かったら見ていってね」
って、言ってから気が付いた。ハルと二人で写ってる写真が展示してあるんだった。まあ、あのくらいなら別にいいか。そんなにいちゃいちゃしている訳でもないし。カイなら普通にスルーするでしょ。
「昨日も大変でしたよね。ハル兄さんも徹夜だったみたいで」
ぐはっ。そうか、ハルも帰ってないんだった。変な汗が出てくる。まずい。余計なことを言うなよ、ヒナ。
「ははは、まあ、最後の大詰めだったからね」
クラスメイトがいるところで、べらべらとしゃべらせる訳にはいかんな。
「じゃあ、展示の所まで案内してあげる」
ぐいぐいと二人の背中を押してプールを後にする。サユリが睨んでるけど気にしない。ちょっと展示まで案内して来るね、と言ってさっさと逃げ出した。あっぶねー。
教訓、隠し事ってのはバレる。どんなに気を付けていても、何処かしらから漏れる。神様、ごめんなさい。
まあでも、とりあえずカイからクラスメイトに漏洩することだけは回避出来たみたいだ。展示を見た後、「他も見てきます」と言って二人は去って行った。ホントならずっと監視していたいところだけど、ヒナがいると逆にポロリと余計なことまで言っちゃいそうだ。カイ、ヒナは信じているよ。
どっと疲れてプールに戻ったヒナを待っていたのは、サユリのお説教。はーい、すいませーん。代償が想像以上に大きくて困る。もう後は大人しく仕事してますよ。とほほ。
ハルも控室で王子様焼きそばを食べて戻ってきて、ようやく一日目が終わりを迎えた。一日目、キャンセル発生せず。うわぁ、すごい盛況っぷりだね。ホントにお金取れば良かったかも。
明日に向けて、今日の片付けと新たな準備が必要。さ、最後にもう一仕事だ。
「ヒナは今日はもう帰りな。あ、あと朝倉も」
折角出したやる気は、サユリに出鼻を挫かれてしまった。えー、まだ頑張れるよ?
「あんたたち、今日は家に帰れって言ってるの。馬鹿なの?」
ひそひそと耳打ちされた。あ、はい、ソウデスネ。昨日家に帰って無くて、今日も遅くなるとか、マズイですよね。ハルと目を合わせて、へへへ、って笑ってしまう。サユリ総監督はまたご立腹だ。
他のクラスメイトがまだバタバタしてる中帰るのはちょっと気が引けたけど、サユリは怖いし、疲れているのも確かなんだよね。お言葉に甘えて、というか監督の指示に従って、ヒナはハルと一足先に上がらせてもらうことにした。また明日ね。
正門ゲートでは、メイコさんが何やら檄を飛ばしていた。水泳部員たちが龍のあちこちをいじっている。なんか維持のコスト高そうだなぁ。常に誰かが付いてないといけないって、かなり大変なんじゃない?
「おー、曙川、お疲れさーん」
メイコさんが手を振ってくれる。お疲れ様です。頼むから上、着てください。そうじゃないと、もうワザとだって思うことにします。バストハラスメントです。
この時間に下校する生徒の数は少ない。何かしらの用があって残っている人が大部分なんだろう。おお、久し振りにこの時間、ハルとゆっくり出来そうな気がする。珍しい。
学校帰りの時間は、ハルが男子の友達と帰れるように、ヒナはちょっとだけ距離を置いていた。実際二人で下校ってシチュエーション自体があまりない。最近はハルの男友達と一緒になって帰ってたりもしてたけど、二人きりってのは無かった。放課後デートって、ちょっと憧れだ。
ああ、でも今日は早く帰らないとな。もったいない気もするけれど、これで夜遊びなんかした日にはサユリに何を言われるかわかったもんじゃない。お母さんも流石に黙ってないだろう。ハルにも多大なるご迷惑をおかけすることになる。自重だ、自重。
「二人で帰るって、珍しいな」
ハルがそう言ってくれた。うん、そうだよ。そうなんだよ。気付いてくれたんだ。
「ホントにね。朝は二人なのに」
「ヒナは色々と気を使い過ぎだよ」
そんなことないよ。ヒナはハルに嫌われたくないし、ハルが楽しく学生生活出来るようにって、そう思ってるだけ。自分の中にあるハルを好きな気持ちが大き過ぎるから、むしろこれくらいで丁度良いんだ。
だから、たまに昨日みたいに爆発しちゃうのかもね。好きって気持ちが、抑えられなくなっちゃうの。そのくらい好きなんだよ、ハル。ヒナの大切な人。
「それでもハルを困らせちゃうから。ごめんね」
うん、ホントにゴメン。今思えばなんちゅうことをしたんだと思う。青春の暴走だ。
「いいよ。ヒナの気持ちは嬉しい」
ハルは素敵な彼氏だなぁ。そうやって甘やかすから、ヒナは走り出しちゃうんだと思うよ?もっと束縛してくれた方が、ハルとしては安心出来るんじゃないかな。
「ハルの方こそ、無理してない?」
「まー、我慢はしてるよ。可愛い彼女に迫られちゃったりしてるし」
むぐっ。言い返せない。ハルのバカ。超バカ。もうその話はやめようよ。
「でも」
ハルがヒナの顔を見る。優しい笑顔。ヒナの好きな、ハル。
「ヒナの気持ちが判って、嬉しいよ。すごく、安心出来る」
残念だな。二人きりだったら、抱き付いてキスのコースだった。ヒナがハルにアタックしてハルが安心してくれるなら、もうガンガン行っちゃう。心のブレーキ全損しちゃう。
「ハルは贅沢だなぁ。まだ安心出来ないことがあるの?」
「そりゃあ、まあ」
好きって言って。抱き締めあって。キスして。一夜を共にして。
まだ足りないだなんて、どれだけハルは贅沢なんだろう。ヒナはもうハルのものだよ。これ以上何が欲しいの?言ってくれれば、もうヒナはハルに何だってあげちゃうよ。さっきも聞いてたでしょ。エッチ。
「ヒナは可愛いからさ。安心なんて出来ないよ」
何言ってるんだか。それは彼氏の贔屓目ってヤツですよ。ヒナはそこまで可愛い子じゃないです。ハルに可愛いって言ってもらえればそれで満足。ハルの自慢のヒナになれればそれで十分。余計な心配ですよ。
「もう、ハルは私がハル以外の誰かを好きになるとでも思ってるの?」
もしそうなら失礼しちゃう。ヒナがどれだけハルのことを好きだと思ってるんだろう。ハルを好きっていう気持ちなら、ヒナは誰にも負けないよ。自信を持って断言出来る。ヒナは、ハルのことが好き。この気持ちは、誰にも負けない。
信じて、ハル。ヒナはハル以外の誰かを好きになんかならない。誰かに取られるとか、そんなことは絶対に無い。だってもうずっと昔から、ヒナは何もかもをハルのところに預けっぱなしなんだから。今更違う誰かのところになんて行けないよ。
「そんなことは無いって、俺が言い切っちゃっていいのかな?」
もちろん。そこは自信を持っていただいて結構ですのよ?ハルはヒナの全部なんですから。
「どうですかね」
ふふ、何で悩むかな。悩むことなんて無いのにな。ヒナはいつもハルに好き好きオーラ出してるのに。こんなに好きなハルを裏切るなんて、ヒナには出来ません。むしろハルの方から、しっかりと言い切ってくださいな。
何処にも行くなって。ヒナは、ハルのものだって。その通りなんだから。
「じゃあ、頑張って素敵な彼氏でいてください。私が何処にも行かないって、ハルが自分で安心出来るように、ね」
ハルがハルでいてくれれば、もうそれだけでヒナにとっては素敵な彼氏。だから、この条件は常に満たされてる。安心してね、ハル。まあ、ヒナの心の声は聞こえないか。ふふ。
ふわふわした会話をして、とても満足。ハルの中で、ヒナは可愛い彼女でいられてるみたい。良かった良かった。
明日は学園祭二日目。お祭りはまだ終わらない。今日の感じだと、明日はもっと大変なことになりそう。ゆっくり休んで鋭気を養おう。そうじゃなきゃ、さっさと帰してくれたサユリに申し訳が立たない。
「ハル、また明日」
「おう、また明日な」
ひらひら、と手を振って、いつものコンビニ前で別れる。あ、これ楽しい。青春って感じ。ハル、たまにでいいから、こうやって二人で帰ろうよ。やっぱりヒナ、ハルと高校生活の思い出、もっといっぱい作りたい。
ん?ハル、何処に行くんだろう?そっちは学校に戻っちゃうよ?
忘れ物かな?まあいいか。早く帰るんだよ。明日も早いんだからね。