ボトルシップレーサーズ (4)
「一通りの手はずについては説明した通りだ」
「なるべくいつも通りに、普段通りにしていること」
ハルと二人して大きなおにぎりを胃袋に押し込んだ。時計を見ると、まだちょっとだけ余裕がある。駆け足になっちゃうけど、出来ることなら、ハルと学園祭を見て回りたい。
可愛い彼女のわがまま、聞いてくれる?
やれやれ、という感じでハルは承諾してくれた。ありがとう、ハル、大好き。邪魔者がいなかったらぎゅってしてあげたのにね。ん?何言ってるの、朝、なんでハルがサユリにビンタされたのか、ヒナはちゃんと覚えてるよ。そのくらいだったら、いつでもしてあげるからね。
いもたちに別れを告げて、ヒナとハルは教室の外に出た。おお、なんか人増えたね。ウチの制服やジャージ以外の人もいる。いよいよ外部からのお客さんも来ているってことだ。我がクラスの展示にも人がいるよ。なんだか嬉しいね。
学校の中に制服じゃない人が沢山いるのは、見慣れない感じだ。特別な日って思える。ハルと並んでそんな中を歩いているってだけで、ヒナはわくわくしてくる。「ヒナ、あんまり一人で行くな」はぁーい。流石にここで手をつなぐわけにはいかないもんね。ハルはヒナが何処かに行っちゃいそうで、気が気じゃ無いんだろう。心配しすぎ。
廊下の先が騒々しい。人が溜まってる。なんだろうと思って覗き込んでみると、王子様みたいな恰好をした人がけったいな動きを見せている。えーっと、あれは演劇部?でいいのか?
よく見ると、ああ、知ってる人だ。支倉先輩じゃん。ヒナにしては良く覚えていたよ。イケメンらしいんだけど、なんかこう、何処か似非っぽい人。入学してすぐぐらいの頃に一回お話し、っていうかまあ、一方的に少々お世話になった感じ。ヒナの中ではその程度の印象だったんだけど、ちょっとゴタゴタがあって一応顔は存じている。向こうはヒナのことなんて、全くこれっぽっちも覚えていないだろうけどね。
ってことは、タエもいるのかな。そう思って目線を巡らせてみたら、やっぱりいた。演劇部のプラカードを持っている。二人で演劇部のコマーシャルをしている感じか。髪を綺麗にまとめて、うっすらと化粧して、すっかり美人系になっちゃったね。タエともちょっとしたゴタゴタで絡んだことがあって、今ではヒナが一方的に顔を知っているだけの関係だ。とりあえずのところは、それでいい。
「さぁー、午後一時から演劇部の公演が始まります。世紀の悲劇が、今新たな喜劇となって甦る。片面か両面か、オムレット、是非ご覧になって行ってください」
うん、ごめん、わけわかんない。
っていうか、サニーサイドアップとターンオーバーって、オムレツじゃ無くて目玉焼きじゃない?
「目玉焼きだよな?」
ほら、ハルにまで突っ込まれてる。ねえ、目玉焼きだよねぇ。
「オムレツなら、かた焼きとふわとろ、みたいな?」
ああ、多分それだ。オムレツって言ったらそれだよね。ヒナはふわとろかな。デミグラスでふわとろ。ケチャップでかた焼きっていうと、ちょっとお子様な気がする。いえ、個人の感想ですよ?
「目玉焼きは両面かな」
なんと、ハルはターンオーバー派でしたか。これはいきなり結婚生活に危機到来の予感だ。ヒナは断然サニーサイドアップ。お湯を差してね、蓋して蒸し焼きにするんだよ。表面がちゅるんってしてるのが良い。それをお塩でいただくの。
「黄身まで固く焼いて、ソースで食うのが良くねぇ?」
それじゃお好み焼きのトッピングだよ。目玉焼きは、あくまで目玉であるべき。それに黄身まで焼いちゃうような火力だと、もう白身がゴムみたいに固くなっちゃうじゃん。それはいただけない。白身はふんわり、黄身はとろーりで。
「いやいや、歯ごたえとメリハリのあるソース味だって。片面だとでろでろになっちゃうし」
それはハルの食べ方の問題だよ。トーストでいただく場合、パンでこぼれた黄身を拭き取るようにして頂く。卵の風味を吸って、最後までおいしく食べられるのですよ。
「ベーコンと一緒にガッツリ行く方がうまいよ」
アメリカンだなぁ。ハル、ベーコン食べる時にまさかソースかけるの?それはちょっと塩分が濃すぎない?体型までアメリカンになったら困るから、来週からお弁当の塩分少しカットしようか。ターンオーバーは油吸っちゃうところも問題だよね。
「ええー、いいじゃん目玉焼きくらい」
良くない。卵料理は大事です。ヒナはサニーサイドアップしか作らないからね。ヒナの好みだけじゃなくって、ハルの健康のためです。長生きしてくれないと困るでしょ。
「・・・あのう」
タエが恐る恐るという感じで声をかけてきた。はい、何でしょう?
ふっと我に返って、そこで気が付いた。支倉先輩に集中していた視線が、すっかりヒナとハルの方に向いてしまっている。オムレットの王子様、楽しい夫婦漫才にすっかり食われてしまってました。
支倉先輩がぽかーんってヒナの方を見ている。あわわわ、ご、ごめんなさい。
失礼しました、って言って走ってその場を離れる。後ろからどっと笑い声が。うわぁ、タエごめんね、支倉先輩の見せ場奪っちゃって。少しでも演劇部の公演に人が来ることを願うよ。
「やっぱ両面焼いた方が良いって」
ハル、その話もういいから。
味噌汁の具の組み合わせと、カレーの辛さについてはクリアしてたんだけどな。食生活のすり合わせは難しい。
「何だかちょっと悪い気もするけど」
「いいよ。これは俺のわがままでもあるんだから。気にしないでくれ」
「うん・・・」
妙なドタバタのせいで、無駄に時間を浪費してしまった。最小限顔を出しておかなければいけない所、ということで、水泳部の正面ゲートに向かうことにした。ああ、そういえば結局まだ完成したところを見てないや。
正面ゲートのデコレーションは、今年は中国龍だ。ボール持ってるヤツ。デザインも某マンガに良く似ている気がする。どうあがいてもこうなっちゃうものなのかな。パクりって言われたらどうするんだろう。
色が青ってことは青竜なんだね。南門だけど。細かいこと言い出したらキリが無いからやめておこう。ヒナのこういうムダ知識は、大体お父さん譲りなんだよな。
「おー、曙川ー、いたのかぁー」
のそのそと水泳部の部長、メイコさんがやって来た。こちらは正真正銘の徹夜組。いつもはシャッキリと伸びてる背中が、今日に限って猫背気味。目もしぱしぱしてるし、全体的に疲れてるオーラが出てますね。
それでもすらりとした長身、がっちりとした肩幅、それでいてしっかり出ている所は出ているスタイルと、存在感はバッチリだ。短く切り揃えられた髪はヘルメットに隠れているけど、大きくて目力の強い視線は相変わらず。眠そうなのに強そうって、メイコさんは何処までもエネルギーに満ち溢れている感じだ。
そうか、ヒナが門から出ていないことを、メイコさんは気付いているのかもしれないのか。寝ぼけて見逃していた、ってことにしておいてほしいな。プールでお泊りなんて、水泳部部長のメイコさんに知られたらそれこそ大目玉を食らいそう。くわばらくわばら。
しかしメイコさん、その格好はちょっと。下はジャージのズボンだけど、上がタンクトップって。普段競泳水着だからその辺の感覚がマヒしちゃうのかな。普通にここ、正門ですからね?来る人来る人みんな見てますからね?
首からタオル下げて、ヘルメット被ってるから、パッと見は工事現場のお姉さん。ガテン系女子。でもタンクトップからその、ちらちらと見えてます。色気のあるヤツじゃなきゃ良いってもんじゃないです。寝ぼけてるからって、無防備すぎ。
良く見ると、校門の横とかの日陰で、他の水泳部員もぐんにゃりと座り込んで寝こけている。女子の先輩もいる。わあ、ダメだって。みんなしっかりして。
「やー、なんかあった時は即対応しなきゃだからさぁ」
なんかって、これ、なんかあるんですか。
そう訊こうとしたところで、がおう、と龍が吠えた。丁度ゲートを潜ろうとしていた一般のお客さんが驚いて飛び退く。うわぁ、目が光ったよ。口から煙噴いたよ。なんじゃこりゃあ。
「これこれ。止まっちゃったら困るじゃん。雨降って来たら更に困るし」
いや、これはちょっとやり過ぎなのでは?お客さん普通にびびってますよ?ほら、滅茶苦茶警戒してるし。えーっと、大丈夫ですよー、入ってきてくださーい。
そんな状況を見て、メイコさんは実に満足げだ。まあ確かに造形も見事だし、仕掛けも面白い。どういう仕組みで動いているのかはヒナも気になる。ヒナが最初に考えていた、「アトラクション的」な何かにすごく近い気がする。
サユリもこれ作るの手伝ったんだよね。いいなぁ、ヒナもこれ、少しは関わりたかったな。やっぱりこうやって大勢で何かを作るのって楽しい。出来たものがすごいものならば尚更だ。
「お、そういえばキミが曙川の彼氏?」
メイコさんがハルの方を見た。ハルが緊張して気を付けする。うん、メイコさん、妙な迫力あるよね。ブラチラとか見てる場合じゃないよ、ハル。エッチ。
「一年の朝倉ハルです。その、はじめまして」
「ははは、名前は知ってる。みんな言ってるし」
ホントに何で言いふらすんだ。ヒナは自分ではそんなに喋ってるつもりは無いし、話してくれって頼んだ覚えも無いよ。むしろ、ヒナはハルと静かに過ごしたい。楽しく学生生活を送りたい。
「曙川はなんか自覚が無いみたいだからさ、結構困ってるんじゃないの?」
なんですか、それ?
ハルはぽりぽりって顎を掻いていた。なんだよう、なんなんだよう。初対面のメイコさんとハルで、一体何を通じあってるんだよう。気になるじゃんかよう。
「まあ部活の方は大丈夫だよ。悪い虫がつかないように、見ておいてあげるからさ」
悪い虫って。別にヒナはそんなモテる子じゃないですってば。水泳部ではヒナなんかよりもずっと可愛い子とか、スタイルの良い子とかがいて、毎度ヘコみまくりですよ。メイコさんだってその一人ですよ。わあ、もう、見えてる透けてる。
「ん?ああこれ、水着だって。セパレートの」
なぁんだ、ってそれでも良くないですってば。青少年の精神衛生上、よろしくありません。暑くてもジャージの上、せめてTシャツくらい着てください。
「あ、これブラだった。忘れてた」
あー、もー!
あっけらかんと笑うメイコさんはホントに可愛い。困った部長さんだ。ハルはなんでホッとしてるんだ。水着じゃ無くてブラだったからか?
「そうじゃないって」
じゃあなんだよう。
「ヒナが、みんなに良くしてもらってるみたいだからさ」
まあね。それはそう思うよ。メイコさんも、サユリも、他の部員も、先輩たちも。ヒナにとても良くしてくれてると思う。水泳部に入った当初は、やっぱりうまくやっていけるかどうか少し不安だった。途中入部だったし。
今こうしてヒナが楽しく話をしていられるのは、間違いなくみんなのお陰だ。みんながヒナを受け入れてくれたからだ。それはちゃんと理解している。感謝してる。
だから、ハルも安心して。ヒナはちゃんとやってますよ。そこまで心配しなくても平気ですよ。
「よーっし、これで学園祭アンケート第一位はいただきだ」
メイコさんが気合を入れ直している。アンケートか、そんなものもありましたね。賞品はなんでしたっけ?学食の割引券?部費の割り増し請求権?
「その両方だ!」
なるほど、みんな真剣に頑張るわけだ。でも、ヒナのクラスが仮に一位になったとしたら、部費の割り増し請求権って何に化けるんだろう?後でユマにでも聞いてみるか。
ん?そういえば水泳部二年生のメイコさんがこの正門ゲートを担当したんだよね。正門ゲートは毎年水泳部がやることになっている。ってことは来年って。
「来年は頼んだぞ、曙川」
ふええ、マジですか。
毎年、去年を超えるって言って、今年これが出来上がったってことですよね。ええー、ヒナはこれを超えなきゃいけないの?
がおう、ってまた龍が吠えた。うっそぉーん、何も思い付かないよ。もうペットボトルじゃダメですかね。来年は正門ゲートはエコロジーってことで。うん、それが良い。そうしよう。もう決めた。
携帯が元気に振動した。ああ、サユリからの呼び出しだ。今日の自由時間はここまで。全然堪能出来なかった気がするよ。
明日はハルがプールに貼り付いてないといけないんだよね。ヒナもずっとプールにいようかな。