ボトルシップレーサーズ (2)
「構わないんだな?」
「まあ、色々理由もあってね」
「これで決まりだな」
学園祭の名前は『流星祭』なんだけど、実はヒナの高校の名前には『流』も『星』も入っていない。どういうことかと言えば、昔、学園祭の名前を決める時に、公募でこれが選ばれたということだった。そんなんで良かったんだ。適当だなぁ。
ちなみに学内では誰も流星祭なんて言っていない。校内放送で聞こえて来た時には「なんだっけそれ?」とか思ってしまうくらい浸透していない。パンフレットやポスターにも書いてあるのに、これ何のことだろう、とか考えてしまう。ポスターを描いた美術部の生徒も、「何処のイベントかと思った」とか言っていたとの噂がある。酷いな。
とりあえず進水式までは余裕があるはずだ。わざわざ開場と同時にプールに来るようなヒマ人はいないだろう。そう思っていたら誰かがやって来た。慌てて受付しようとしたら、なんだ、お母さんとヒナの弟のシュウだった。
昨日学校に泊まっちゃったから、心配になって様子を見に来たんだって。はいはい、大丈夫ですよ。ヒナももう高校生なんだから。それよりその話、大きな声でしないで。ああ、サユリの眉がピクピクしてる。
ヒナがわたわたしていることに気が付いたのか、お母さんが呆れたような顔をした。う、これはバレたな。お母さんは変なところで勘が鋭い。ことあるごとにハルのお母さんと結託して、ヒナとハルを妙な罠に引っかけようとする。まあ、くっつけようとしてくれてるのは判るんだけどさ、もうちょっと本人たちのやりたいようにもさせてほしいよ。
「結局どうだったの?」
真顔でそんなこと訊かれても困るってば。どうもこうも無いです。お母さんはハルのこと、ヒナよりも信用してるんでしょ?そう言ったらお母さんは頭を抱えてため息をついた。なんなんだよう。
小学二年生のシュウはペットボトルボートに興味津々だった。熱中症になるからって晴れてる日にはいつも被せられる黄色いキャップ。習慣のように持っている水色の水筒。いつものお出かけスタイルだ。シュウは目をキラキラさせてボートを見つめている。確かに、シュウからしたらこいつはすごいよな。で、その後は予想通りの展開になった。
「乗りたい!乗ってみたい!」
あー、ごめん、シュウ。まだ進水式前だから水には浮かべられないし、予約していない人は乗せられないんだ。それにシュウは学外の人間で子供でしょ?万が一事故か何かがあると色々とマズイから。
という理屈がシュウに通じる訳もないか。けちー、と言われてしまった。ケチで言ってるんじゃないの。大声で騒ぐもんだから、どうしたどうしたとクラスメイトたちが集まってきた。曙川の弟だってー。へー、やっぱ似てるね。可愛いじゃん。
高校生たちに囲まれて、シュウはちょっと涙目だ。あー、みんなあんまり騒がないであげて。そこにハル登場。シュウも流石にハル相手なら平気か。すたた、と走っていってハルの後ろに隠れてしまった。
「おう、シュウか。どうした?」
ハルがにこにこしてシュウの頭を撫でる。シュウはハルのジャージのズボンを掴んで、ヒナの方をうーって睨んできた。
「ヒナがいじわるする」
してねーよ。あーもう、ハルからも説明してあげて。別にシュウだけに意地悪言ってるんじゃなくて、誰であってもボートには勝手に乗せられないの。
「いいじゃん、水に浮かべる前なら」
ハル、あまーい!
ハルはシュウをひょいっと抱っこすると、ペットボトルボートの中に入れてあげた。シュウが「おおー」と声を上げる。お前、まだウチのクラスの誰も完成状態のボートには乗船していないというのに。絶対暴れるなよ?壊すなよ?
周りのみんなも笑ってたり、携帯で写真撮ってたりする。ウチの弟がごめんね。おろおろしているのはヒナだけだ。そんな姿を見て、サユリがぷっと吹き出した。
「なんかホントに親子連れみたいね」
ついに夫婦から親子連れにランクアップか。でもシュウが子供は勘弁して欲しいな。うるさいし、ちょろちょろするし。お母さんはヒナの小さい頃にそっくりだって言うし。これは同族嫌悪なのか?
「朝倉くん、あんな顔で笑うんだね」
チサトがそんなことを言った。ああ、ハルはシュウを相手にしてる時は、ちょっと子供っぽい笑顔になるよね。良く見てるね、チサト。確かに学校では珍しいかも。ハルのあの表情、ヒナは結構好きなんだ。
満足したっぽいシュウを、ハルがまたよいしょって持ち上げてプールサイドに戻す。ほら、シュウちゃんとお礼言いな。「ハル兄ちゃんありがとう」よし。
ヒナもペコペコ頭を下げる。すいません、勝手なことして。ん?こういう時真っ先に頭を下げるはずのお母さんは何処だ?
後ろの方で携帯で写真撮ってた。うおおーい、保護者、何やってんだよ。しかもそれ、写真じゃないな?動画だな?ヒナがシュウと一緒に謝ってる動画なんて一体何に使う気だ?
ばたばたとしていたらあっという間に進水式の時間になった。見物客がぞろぞろとやって来る。思ったよりも多いな。今度は会場整理のお仕事。はーい、プールサイド壁側によってくださーい、プールに転落しないようにお気を付けくださーい。今日はほとんどの時間で、何らかの作業をこなさないといけない。しかも真面目にやってないとサユリに怒られそうだし。
大きなペットボトルボートの下には、丸いペットボトルを連結して長い棒状にしたものが敷かれている。なんだっけ?コロって言うんだっけ?昔の犬の名前みたいだな。
ストッパーを外してしまえば、後はうしろからよいしょって押すだけで大きなボートはプールの中に入っていく寸法だ。押す係は何故かサイダーの瓶で叩くらしい。進水式ってそういうものなの?ヒナは良く知らない。
よいしょおー、という掛け声とともにボートが前に押し出される。ざぶん、という大きな音。白波が上がる。ぐわんぐわん。しばらく激しく揺れていた巨体が、やがて静かにその身を横たえる。おお、これはひょっとして、うまくいった?
わぁっ、と歓声が上がって、カメラのシャッター音が沢山鳴った。まずは第一段階完了。これで沈んじゃったら、少なくとも今日の予約分は全ておじゃんになるところだった。いやー、みんなお疲れ様。
ハルとその友達のいもたちがプールに入る。いもはハルの友達。じゃがいも1号、じゃがいも2号、さといもだ。名前?なんだっけ?宮ナントカと、和田と、高橋っぽい何かだったかな。ハル以外の男子なんて記憶力のリソースを使う価値が無い。ハルの友達だから、かろうじてなんとか覚えている。ああ、宮ナントカだけは永世名誉じゃがいもなので、ある意味しっかりと刻まれている。良かったな、じゃがいも1号。
ボートを手で引っ張って、プールの端っこにつける。もやい綱なんて無いけど、プールに強い波は無いからね。そんなにしっかりと固定する必要はない。コースロープの代わりにゆるく渡してあるガイドロープを、船の上にあげておく。屋内だから風も無いし、ボート自体には推進力は何もない。手っ取り早い方法として、プールの端から端に渡してあるガイドロープを手で手繰る方式を採用した。実験段階でヒナも何回かやってみた。ちょっと力とコツはいるけど、慣れてしまえば楽なものだ。アスレチックでこういうのあるよね。よくコケて池に落ちたもんだよ。
最初の乗船は、クラスの代表になる。いきなり他クラスとか他学年の人を乗っけて、途中で分解したり沈没したりでは洒落にならない。えー、安全の確認が取れるまでしばらくお待ちください。男子三人が乗り込んで、色々と確認をする。水漏れ、破損、その他気になることは無いか。
一通りチェックした後で、いよいよ推進係がガイドロープを握る。足に力を入れて、ぐいっと引っ張る。おお、動いた。「結構重い」三人乗ってるからね。そういうものかもね。
でも問題は無さそうだ。みんなで作ったペットボトルボートがプールの上を静かに渡っていく。見ているだけですごく楽しい。大きな達成感がある。横にいるサユリ、チサトとハイタッチした。やったぜ。サキもいたら良かったのに。残念ながらサキは陸上部で延々と焼きそばを焼く運命にあるということ。焼きそば系女子。
シュウが目を輝かせてボート見つめている。どうだ、すごいだろ?
「うん、すごい。すごいよ」
シュウの楽しそうな顔を見ていると、こっちも嬉しくなってくる。ハルがプールから上がって、こっちの方にやって来た。お疲れって言ってバスタオルを渡す。最初の乗船が完了したら、ハルは一旦休憩だ。ヒナも朝ご飯まだだし、一休みしたいかな。うん、お腹が空いてきた。
お母さんが念のためにとおにぎりを作ってきてくれたらしい。ああ、じゃあそれ食べようか。模擬店にも興味はあるけど、今は何でも良いからさっさと胃袋に詰め込みたい。朝からずっと労働して、クタクタのペコペコだ。
「サユリ、休憩入って良い?」
「まあ良いけど」
サユリはヒナとハルを交互に見た。ええっと、ナンデショウ?
「ちゃんと帰って来てよ?」
帰りますよ。もう。ちゃんと反省したってば。
ほら、シュウが変な目で見てる。弟の前でおかしなこと言わないの。