表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/46

第2章 遷移 -2-

-2-


6月の爽やかな風が吹いていた。智加はるかは目を閉じ、深い呼吸をした。しんと静まり返って、街の喧騒も聞こえない。


「準備はよろしいですか?」


脇につく高宮が声をかけた。


進水式の開始、10分前だ。式典の場は、高宮が整えた。何もかも万全を期している。天候も悪くない。真っ暗な闇の中、穏やかな汐の満ち引きの音だけが、耳に聞こえてきた。


高宮に頷くと、神官の衣装に身を包んだ智加は、式の会場へと歩き始めた。


式典は、横浜港の船上で行われる。爽やかで穏やかな一日の終わり、深夜零時に行われる神事は、ひっそりと関係者だけが招かれ、報道陣は一切なかった。神社本庁の撮影があるのみだ。


貴賓席には、東京都庁から都知事並びに関係者、横浜市長、海上自衛隊の高官らも来ていた。


突然、智加は息を飲んだ。


その後ろに、久我山要三くがやまようぞうの顔があったからだ。


まさかこの場に姿を現すとは。その横には、神社本庁の研修会で会った統理代理の守部の顔もあった。


守部は神社本庁の人間だから判るが、神社本庁には所属しない光輪協会こうりんきょうかいの久我山がなぜ?

確かに相談役をやっていると言っていたが。


咄嗟に視線を戻した。

式典の開始だ。今から、海の神を呼ばなくてはならない。


--


無事に式典は終わり、ホテルの控え室に戻った。


何事もなく、終わった。神事は成功した。神は降りた。自分にとっては当たり前のことだが、貴賓席ではどよめきが上がった。実際、東辞智加とうじはるかの祝詞を聞いたのは、これが初めてだろう。


神社本庁の人間にとって、如何に慣れた神事であろうと、智加の祝詞の威力は普通ではないことが判ったはずだ。


ソファに座り、真っ白な衣装のまま、智加は目を瞑った。


少し疲れたな。


時計を見ると、明け方の三時になろうとしていた。


上着の紐を外して、前を開けると、ふうと息を吐いた。


高宮はさっさと着替えたらしく、紅茶を持って部屋に入ってきた。


「ルームサービスですが、どうぞ」


爽やかな紅茶の、ぎとぎとしない香りが鼻をついた。少し深呼吸をすると、智加はカップに手を伸ばした。白磁の柄も何もないカップに、透き通るような黄金色が目に入った。

一口、口に含むと、それは温かだった。自分の身体が冷えているのが、今頃判った。


東辞家は、神社ではない。神職としての位階も授かっていない。装束は位階によって袴の色や柄が決まっているが、東辞家は全身真っ白の装束だ。

本来、白は特級神職の袴の色で、「八藤丸文大文白」という白紋が入っているが、東辞家は、家紋すら刻印をしていなかった。第一、家紋なんて見たことがない。


久我山の言葉を信じるなら、都を追われ『東に辞した一族』で、ついた名前が「東辞」と。


「久我山要三がいましたね。まさか堂々と姿を現すとは、神社本庁との癒着は深いと思ったほうがいいですね」


高宮が言った。


智加は視線を動かさなかった。


「その横にいたのは、神社本庁統理代理の守部。まさかこんな大舞台に顔を出すとは、呆れましたが」


高宮も守部の顔はチェックしたようだ。


「アメリカ国籍で、茶髪で長髪で、よく神社本庁に入れましたね。一体、どんなコネを使ったのやら」


「東辞亘と、因縁があるんだろ?」


高宮の顔が、一瞬にして強張った。


見ていて面白い。急に眉を寄せると、渋い顔になって俯いた。


「あの男が喋ったのですか? 貴方が、気することは何もありませんよ」


「そうだな」


ほんと、どうでもいい。俺たちに手を出してこなければ、だ。


ふいに、明来の顔が現れて、身体から力が抜けた。


大学には、ちゃんと行ってるのだろうか? 進水式の準備で、ここ2週間ほど、会えていない。最後に会ったのは、5月の半ばか、卵焼きを作ってきたが、やはりひどい味だった。砂糖の入れ過ぎで、焼け焦げた卵焼き。


自然と、口の端が緩んだ。

もう、随分昔のことのように思える。


「神社本庁から、連絡が来ました。明日、総代は出向くつもりです」


ふんと言って、智加は無視をした。


「智加さんはお気づきにならなかったかもしれませんが、神事が終わったあと、神社本庁の関係者一同、顔色を失っていました。東辞家の実力を目の当たりにして、どたまをかち割られた気分、だったと推察されます」


「すごい言い方だな」


「小気味いいでしょう? 彼らは目の前で、神を見たのですから」


高宮がにやりと笑った。いつも人を食ったような、本心を出すことのない高宮が、珍しく感情を露にしていた。


確かに茫然自失のていだったのは、見て判った。鼻をあかしてやった、とはこのことだろうが、自分には何の利もない。

小気味いいのは、父だろう。さてどう出るか。


高宮がすっと立ち上がった。


「しばらく仮眠を取られてはいかがでしょう。装束を脱がれて下さい」


と言って、智加のほうに手を差し伸べた。


智加は立ち上がると、上着を脱いだ。袴もばさりと脱ぎ捨てると、高宮が床に落ちた衣装を拾い、たたみ始めた。


装束をまとめて持つと、高宮は立ち上がった。


「成長されましたね」


振り返ると、高宮がすぐ傍にいた。


自分より背が高い。


顎を上げ、高宮に目線を合わせた。

薄茶色で、色素が薄い。前髪がぱさりと落ちて、細めた目が柔らかく、微笑をたたえていた。


「貴方の人生は、これから大きく変わるでしょう。どうか迷わず、前に進んで下さい。貴方の後ろには、必ず私がついております」


気色悪いことを言う。じろりと睨み上げると、無視して浴室へ歩いていった。




その翌日、父のわたると高宮は帰ってきた。智加は大学もあり、一足先に帰っていた。


帰宅した途端、亘は本館の書斎に、智加を呼びつけた。


「神社建立?」


思わず声に出してしまい、智加は咄嗟に口をつぐんだ。


「神社本庁から、直々に傘下に入って欲しいと言われた。階級も特級で迎えるそうだ。神社を建てて、地域一帯の平癒を委託された」


亘は胸を隆起させて話した。目は輝き、神社建立の設計書まで、取り交わしてきたらしい。


高宮は無言で、ただ微笑んでいた。


智加は薄ら寒くなった。たった一度の進水式で、いくら本物の神を呼んだのを目の当たりしたからと言って、この計らいは一体何なのだろう。


「建立は、来週から行われる。屋敷から離して、ふもと辺りがよいだろう。参拝客も足を運びやすい。鳥居までの道路も整備させる。何もかも神社本庁が用意してくれるそうだ。当然だ。我ら白山神道の脅威を目の当たりにしたからな。横浜でのあやつらの顔、胸がすく思いがしたぞ。実力の差だ。我らをおとしめた罪、これから存分に償わせてやろうぞ」


亘の高笑いが鳴り響いた。


智加はきびすを返して、部屋を出ようと歩き出した。その背後から、亘が言った。


「3ヶ月もあれば、神社は建つ。神官はお前だ。大学なんぞ辞めてしまえ」


思わず、足が立ち止まった。振り返りたくはなかった。


「来月には、小早川章子を呼んで暮らせ。とっとと孕ませろ。10月には結婚式だ。いいな」


指先をぐっと内に握りこんだ。込み上げる吐き気を、智加は抑えることができなかった。


(続く)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ