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第7章 蛇壺 -3-

-3-


翌日、父・わたるが帰ってきた。智加はるかはすぐに呼ばれ、書斎に入った。高宮たかみやは先に来ていて、ちらりと智加を見て顔を伏せた。何枚もある手元の書類を見比べている。何か判ったのか、一体どうなっているのか、智加には何も聞かされていなかった。


亘は帰宅途中で現状を見てきたらしい。椅子に投げ捨てられたトレンチコートに、黒いすすが付いていた。


当の本人は、どっさと書斎の椅子に座ったまま、顔を上げようとはしなかった。


智加は立ったまま、亘の第一声を待った。


しんと静まり反った部屋に、5分、10分と時間が経った。高宮が書類を繰る音だけが、かさかさと部屋に響いた。

それでも亘は何も言わなかった。


先に入れていた日本茶が、もう湯気をたてなくなっていた。調度品が飾ってある棚の上に、義母が活けた花があった。香りの強い花が趣味のようで、いつものことながら、むせ返る。赤や黄色の派手な大輪ばかりで、ネイルサロンに毎月行く義母の爪の色を彷彿させた。

蘭の黄色い花びらが、風もないのにゆらゆらと揺れている。一枚、二枚、はらりと取れて床に落ちた。父から出る思念の余波なのか、エネルギーすら弱ったのか、なんとも言えない気持ちになった。


高宮がようやく口を開いた。


「警察が、事情聴取をしたいと申し出ています。総代が戻られましたら、すぐにでもと」


亘は顔を上げることなく、聞こえているのかさえ疑問だ。

高宮はそれ以上何も言えないようで、亘から視線を外すと黙った。


智加も何も言えない。父が戻ってくれば、激しい叱責を受けるか、怒りのあまり暴力的になって物を破壊するか、自分が殴られるか、そんな想像をしていた。


怒りより落胆なのか。一夜にして失ったのだから。



その時、高宮の携帯が鳴った。スーツの内ポケットから取り出して、何やら話している。丁寧にお礼を言うと、通話を切った。


「警察から連絡がありました。発火装置は、どうやら地中に埋めてあったものらしいです」


(地中に?)


智加は目を見開いた。


途端、大声を上げて、亘が笑いだしたのだ。


ぎょっとなって、亘を見つめた。

背中を丸めて、苦しげに息を吸っていた。

一瞬、気がふれたのかとぎょっとなった。

かすかすと枯れた声でいつまでも笑っている。


「総代?」


高宮が心配気に声をかけた。失笑にも似た笑いで止めると、亘は顔を上げた。


「そういうことか。馬鹿なことをしたものだ。所詮」


亘はすっと立ち上がった。足取りは強く、汚れたコートを手に取った。


「どちらへ?」


「警察だ。事情聴取があるのだろう」


「では、私もご一緒に」


亘がぐいと顔を上げると、智加に鋭利な視線をやった。初めて自分を見た。射抜くような視線だった。智加はその目を見返した。

亘が更に目を見開いた。


「お前にはやってもらうことがある。一歩も外へ出るな。判ったな」


そう言い捨てた。


奥歯に力を入れた。いつもの上からものを言う態度だ。イラつきながらも、なぜか安堵している自分がいた。


智加を残すと、亘と高宮は目の前を颯爽と出ていった。




その日以降、亘は市内のホテルに缶詰めになり、高宮がしょっちゅう出入りをしているようで、慌ただしい日々が過ぎていった。

智加は家で待機の命令を受けていて、外出もできなかった。


第一、出たくても、東辞の人間は誰も外へ出れなかった。取材やテレビ局が詰めて、チャンスあらばと特ダネを取ろうと躍起になっていたからだ。


焼け焦げたままの残骸は、テレビ局や記者の注目の的となった。あれだけ散々持ち上げた結果がこれだ。三流のゴシップ記事には、神の怒りか?というタイトルで、過去の土地の因縁までほじくり返し、都市伝説という陳腐な記事が横行した。



出火後二週間で、ようやく警察の了承が取れ、立ち入りが許されるようになった。


父・亘は戻ってきてから、ずっと書斎に閉じこもっていた。智加を呼び出すこともなく、何を考えているのか、不明だ。


高宮が即座に神社の跡を整備したそうだ。何やら、こちらもさぐられたくない腹らしい。あっと言う間に片付けられ、今はもう火事の跡形もない。


ほとんどが残骸で、何一つ原型をとどめていなかったのだ。KEEPOUTの貼り紙もなくなり、ただ、紙垂しでを張り付けた竹の棒が、敷地内の四隅に植わっていた。全て廃棄して、今はただの更地になっていた。


出火から、三週間が経った。もう12月に入ろうとする深夜、智加は一人、神社に来ていた。


この時間だと、流石に誰もいない。記者や野次馬も、もう興味が失せたのだろう。


正面入り口だったところから入り、記憶はまだあって、美しい上手のあったところで立ち止まった。ここで顔を上げると、背の高いもみじがあった。出猩々(でしょうじょう)という種類のもみじで、葉は小型で切っ先を尖らせたように細く、紅色に色づく美しいものだった。今はない。真っ暗な空が広がっていた。


じゃりという砂粒を、靴底に感じながらまた歩き出した。


夜目にも白く輝く砂は、浜辺の砂で、海の砂を使うのはお清めでよくやる。やたらと白くて、目をはじいた。清めの砂で隠しても、焦げた土から匂いたつ腐臭は、いまだ取れていない。


水はけの悪い土だ。


智加はしゃがむと、指先で砂をささっとよけた。その下から、真っ黒い土がむき出しになった。


水と消火液と科学物質と、それらがないまぜになって染み込んでいた。ここを清めるのは骨が折れそうだ。黒い土を握り込むと、ぎゅっと手の中で潰した。それは固形物のように固まって、手を広げると、ぼろぼろと手の中で崩れ落ちていった。


屑金くずかねが泣いている。

土地が汚れるのは辛いのだろうか。

こいつも、コールタールのように泥まみれになった土地神だったな、と思い出す。


智加は更に奥へと歩いていった。


出火の原因は、爆発物によるものだが、結局原因不明のままだ。父とも話していない。


ここは、ご神体がない。智加自身がご神体のようなものだ。なので神社を焼かれても、家が燃えたのと同じ程度だろう。ただ、ご神体がないことは表向きには知られていない。


高宮から聞いたことだが、神社本庁からは、ひっきりなしに連絡がきたそうだ。智加に東京に来いという連絡だ。父がなんて答えたのかは知らないが。



その時、敷地の外で車が止まる音が聞こえた。フロントライトが整地された空間を赤々と照らしていた。眩しさに手で覆って目を細めると、黒い一台の車から、人が一人降りた。背は高く、男のように思える。


近付いてくる男に、智加は対峙した。


月灯りで顔がぼんやり見えてきた。若い男だ。自分とそれほど変わらないだろう。背が高く、茶色の長い髪を後ろで一つに束ねている。ネクタイもしていないただの白いシャツに、黒いジャケットを羽織っていた。


「初めまして。僕にとっては、初めてやないんやけど」


智加は怪訝な顔をした。どこかで会ったような、それが読み取れたのか、男は背中を曲げて、くくっと笑った。


「いやー堪忍。聞いてたイメージ通りやなー思うて」


関西弁か? それにしてはちょっとおかしなイントネーションだ。


「意外と記憶力が悪いんやね。それとも誰かさん以外は覚える必要はないとかですか? ああ、返事はせんといて下さいね。僕もまだ死にたかないですから」


もしや。


「贈りものは、喜んで頂けましたでしょうか?」


光輪協会の者か。いや、この場に現れるなら、それしかない。


「瑤子ちゃんじゃありませんよ。あれは役目が終わったので、お引き取り願っただけやから」


どういうことだ?


智加は目の前の男をまじまじと見た。軽薄そうな、きょろきょろと見回して、視線も合わせず落着きがない。久我山は品のいい服を身に着け、どちらかと言えば身なりや態度に気をつかうタイプのように思っていた。その久我山が代理として寄こすような人間には見えない。


「いやですわ、間違えてました? 瑤子ちゃんなんて、そんな安い贈りもの、するわけないですわ」


男は途端何か合点がいったように、はっとした顔をして、ぷっと笑い声を吹きだした。


「あっ、ちゃいますよ。それもちゃいます。爆発したんは知りませんよって」


こちらの思うことを見透かされているようで、気分が悪い。智加は不機嫌な顔をして、男を睨みつけた。


「僕はお使いです。お迎えに上がりました。そんな緊張せんでもええですよ。無理矢理拉致して連れて行くなんて、せんでも来はるって、うちの大将が言うてましたから。お話しをしたいそうです。あちらに車があります。ご足労願えますでしょうか?」


うやうやしく、手を曲げて車までの道を指し示すと、男は深々と頭を下げた。


智加は渋々車の方へ歩きだした。



(つづく)

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