第4章 二人 -2-
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帰宅した明来のもとに、小さな荷物が届いた。
それは英彦山日田山介護施設の平田医師からだ。
10センチ四方の小さな箱を開けると、中に折り畳んだ手紙と、布に包まれたものが入っていた。
布をほどくと、それはおもちゃのロボットだ。古い、昔のテレビであってたような、戦隊もののロボットに思えた。派手に着色された青い色はところどころ剥げて、地金が見えていた。
ずしりと手に、少々重い。
明来は手紙を開いた。
どちらかと言えば神経質そうな右上がりの字が、ほんの数行書かれていた。
東辞水桧が亡くなったこと。
荼毘にふしたこと。
ロボットは、水桧の荷物の中から見つかったもの。
ただそれだけだった。
明来にどうしろとか、誰かに伝えろとかは一切書かれていない。
まるで報告書のようなそれを見つめると、明来は唇を噛んだ。
高宮さんは知ってるんだろうか。
知ってるだろうな。全てあの人の采配だったんだのだから。
この小さなロボットに、どんな思い出があるのか知らない。
ただ、これは智加に渡すべきものだということだけ、そう思えた。
実に二週間ぶり、英彦山から戻ってから初めて、明来は智加に電話をした。
少し緊張して、携帯を握る手に力が入った。耳につけた受話器から、呼び出し音が鳴っている。7回ほどコールを待ったが、智加は出なかった。なぜかホッとして携帯を切った。
その夜、深夜に近い時間に、明来の携帯が鳴った。画面には智加の名前が出ていた。
慌てて受話器のONボタンを押す。
『遅い時間に済まない』
智加の声だ。明来はなぜか身体が強ばった。緊張しているのか嬉しいのか、よくわからない。
「ううん。オレこそごめん。忙しいところを」
『いや』
自分から電話したのに、用件を言い出そうとするのに、言葉が詰まった。ちょっとした間があったのち、智加が喋りだした。
『変わりないか?』
「うん」
『大学にはちゃんと行ってるのか?』
「行ってるよ。東辞は?」
『急に忙しくなって、今は休学している』
「え、そうなんだ」
休学なんて思いもしなかった。大学に入ってまだ3ヶ月しか経っていない。忙しいという言葉に、婚約という二文字が浮かんだ。
一瞬目を見開いて、明来は携帯をぎゅっと掴んだ。本当に何が何なのか、自分がよく判らない。
『明来?』
「あ、っと、急ぎじゃないんだけど、近いうちに会えないかな? ちょっと渡したいものがあって。オレはいつでも空いているし、東辞のいい日で」
どたばたと言葉が突いて出た。急に心拍数があがって、それを隠そうとしたのか。
『ああ、そうだな。夜ならだいたい。明来、こっちに』
と言って、智加の言葉が切れた。ん? と思って、明来は受話器に耳を押しあてた。ほんの数秒して、
『いや。外に出よう。迎えに行く。日曜の夜はどうだ?』
「うん。大丈夫」
『9時ぐらいになるかもしれない。なるべく早く行けるようにする。悪い』
「いや、全然。オレこそ急にごめん。じゃまたその時に」
ああ、と言う声のあと、電話はすぐに切れた。切れたあとの画面に、通話時間が出ていた。
21秒。
21秒って。
携帯を握った手に力が入る。明来は訳も分からず、その場にうずくまった。
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約束通りに、日曜日の夜9時頃、智加は車で迎えにきた。すぐに発進させると、無言のまま、都市高速に入った。どこに行くのだろうと黙っていると、運転中にも関わらず、視線を向けてきた。
「30分も走れば、海にいける」
智加は言った。口の端を上げているのに、寂しげに見えた。変わったようで、変わらないようにも見えた。
しばらく走って、都市高速から降りて県道にでると、下の道を行った。汽笛のような音が聞こえて、海が近いのかと思った。
松原が続き、砂利道がタイヤに当たる音がして、駐車場で車は止まった。
ドアを開けると、一気に潮の匂いがした。胸一杯に、海の香りが入ってきた。目の前は松原と砂浜だ。いつもと違う風景が広がっていた。
先に行く智加のあとを追って、歩きだした。
そこは砂浜が続く広い場所で、夜にも関わらず散歩をしている人がちらほらいた。カップルなのか、歩道のブロックに座っている人もいた。
暗い波間に、ざざっという音がする。
智加を見ると、腕を上げて、伸びをしていた。それから肩を揉むような格好していた。忙しいと言っていたので、疲れているのだろうか。腕を下げてポケットに手を突っ込むと、砂の上を静かに歩いていく。
明来は後ろ姿を見ていた。
追いかけて隣に並ぶと、「静かだね」と言った。こくりと、智加は頷いた。
歩を進める足が沈んで、スニーカーに砂が入りそうだ。
駐車場は真っ暗だったが、海までくると随分明るかった。月明かりが、水面に反射して、辺りを明るく照らしているようだ。
人がいない方向へ、智加はずんずんと歩いていった。言葉を発することが人前ではできないため、人気のないほうへ移動しているのだろう。明来も黙ってあとをついていった。
辺りを見回して、智加は歩道になったブロックのところに腰かけた。
「ここなら、いいか」
明来も智加の隣に腰かけた。
「寒くないか?」
「いや、大丈夫」
明来のシャツ一枚のラフな格好に、智加が言った。
「連絡できなくて悪かった。元気ないように見えるが」
智加の手が伸びてきて、明来の髪に触れた。細く綺麗な指が髪の中にすっと入り、ぽんぽんと撫でた。
ただそれだけなのに、何度もされてきたのに、明来は急に苦しくなって、ぎゅっと唇を噛んだ。
「その癖、抜けないな」
細い指が唇に一瞬触れて、もとのポケットに戻っていった。追っていた視線を、明来はどうしていいのか判らず、砂浜に彷徨わせた。唇がじーんとした。波の音が静かにしている。明来はひっそりと息をはいた。
「東辞」
「なんだ?」
「平田先生から、小包が届いたんだ」
「うん」
「これ」
明来はぎゅっと握りこんだ手を突き出した。
それは智加の手に落ちる時、きらりと月明かりに反射した。
一瞬、なんだこれ、と記憶を手繰るような顔をして、合点がいったのか、智加はゆっくりと唇を緩めた。
多分、これだけで、全てが伝わるだろう。
「懐かしいな」
「え?」
「戦隊もので、なんて言ったか。思い出せない。青いの、リーダーじゃないやつが好きだった」
明来は何も言えずにじっとしていた。もっと感情的になるのかと思ったが、智加は時折笑顔を浮かべて、静かだった。
「よく残っていたな? 持ってたことすら忘れてたのに。平田さんも今更。捨ててくれてよかったのに、余計なことを」
「え?」
明来は口を噤んだ。なんだか胸がぞわぞわする。
東辞にとっては、不要なことだったのか?
母親と会わせたことも?
確かに、母親を捜したいと言ったのは、東辞だけど。
「やっぱり、会いたくなかった?」
思わず、突いて出た。問わずにはいられなかった。智加は少し笑って、
「会いたいとは思わなかった。だが、親父から守る必要があった。それだけだ」
静かに言った。
明来は驚いて、その顔をまじまじと見つめてしまった。
智加はまっすぐに海を見ていた。微動だにしないほど、まっすぐに。
これ以上なんと言えばいいのか、判らない。
智加の気持ちが、判らない。
出逢って二年が経つ。
高校生の時は、ただただ楽しいだけだった。
会って、喋って、笑いあって。助けてもらって、泣いて、すがって、何度も助けてもらった。
自分さえ気づかなかった傷を、智加が見つめてくれていた。
智加が何を欲しているのか、判らない。
どうすればいいのか、どうやれば、智加が幸せになるのか。
明来には判らなかった。
暗闇が目の前にあった。
夜空に、智加の姿が消えていく。冷えた空気と、潮の波間に消えていく。
明来は茫然となって、ただ座っていた。
(続く)




