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着替えはどうしたの?

 どうやら住人が一人増えたところで、食器洗いは櫻子の仕事ということは変わらないようで。夕食後、食事のお礼に片づけは私がやりましょう、という展開にはならなかった。

 櫻子はさっさと皿を片づけ、流れで洗い物も済ませた。アジュールが料理の綺麗になくなった皿を見て、どこか不思議そうな顔をしていたから、ああそうか、汚れた皿は誰かがサッと片付けるものなのだろう、と察したわけだ。しかしまたテーブルに戻ってみると、彼はまだ席についており、どこかぼんやりとした様子だった。表情からは何も窺い知ることが出来ないが、どこか戸惑っているのだろうという雰囲気は読みとれた。


手持無沙汰で困っている? まさかね。


まだ出会って間もないものの、櫻子の中ですでに出来上がったアジュールのイメージと酷く違和感がある。テーブルを見つめて無言になるくらいなら、先ほどの料理は悪くはありませんでしたが、いかにも庶民的で私の口には合いませんでした、とかなんとか、嫌味っぽく言われる方がしっくりくる。


「あの、どうかした?」


 とりあえず何か言わせようと声をかけた。アジュールはハッとして、櫻子に視線を向けた。


「何がです?」


 怪訝そうな、少し苛立ったような声色だった。初日からやりにくいな、と櫻子は正直そう思った。彼と向かい合う椅子に腰かけるのをやめ、キッチンに戻したお茶入りの急須を持ってきてようやく腰を落ち着ける。


「いや、なんか、手持無沙汰かなあっと。テレビでも見たらいいのに。それとも、何か本でも読む?」


 おそらく手持ちの本がアジュールの好みに沿う可能性は低いが、櫻子曰く、暇つぶしといえばテレビか読書か散歩だ。もう外も暗いので、散歩はないだろうと除外した。いや、悪魔は夜行性だから散歩もすすめるべきか、ううむ。櫻子が口をへの字に曲げて考えていると、アジュールは静かに口を開く。


「…いえ、これからのことについて考えていたんです」

「お妃さま探しのこと?」

「ええ。有望そうな人間を一人二人見繕って浚えばいいと思っていたのですが、潜入できずに頓挫しましたので」


 そんな物騒な計画だったのか、と櫻子は唇の端を引きつらせた。頓挫してよかったよ、と正直思ったが、口には出さないのが賢い判断だとは分かり切っている。残念だったね、と心にもないことを言っておいた。


「ところで、有望そうなって具体的にどういう人?」


「そうですね。絶世の美貌を持ち、聡明で、魔界の王である方の伴侶として相応しい判断力があり、それを正しく行使できる者。しかし、陛下の考えを何より尊重し、謙虚になることも必要でしょう。他に重要な性格としては、情に流されないことです。歯向かう者は切り捨てることができればよいと思います。人に魔力はないので、何か武器を扱えると仕える私たちとしても有難いですね」


 そう述べたあと、アジュールはしっかりと「とりあえずはこんなところです」と付け加えた。

 いつだったか好きなタイプを「背が高くてお金持ちで頭がよいイケメン!」と言った友人に、理想高すぎ!なんてコメントしたことがあるが、上には上がいるものだ。絶世の美女ってなに。それって想像上の産物じゃないの?いや、まあ目の前の男の美貌を見れば、この隣に並ぶには「絶世の」とか「傾国の」といった形容詞がつかなければ居た堪れないだろうけれど。

 櫻子はしきりに納得顔で頷いた後、「なるほど」と返しておいた。


「次の計画とか、考えてるの?」

「まったく。プランAが上手くいくと自負していたので」


 アジュールはきっぱりと答えた。

 櫻子は人間なので、悪魔の誘拐の手際がどれほどのものかは分からない。しかし、もしも彼が理想のお妃さま候補を見つけた場合、確実に魔界へと連れ去ったのだろうとは予想できた。だが、プランBがないのはいかがなものか。

 見た目が頭脳派なことも手伝って、たった一つの計画で単身人間界にやってきた事実はなんとも残念に思えた。そういえば、拠点を探さなければならないと言っていた。流れで櫻子の部屋に住むことになったが、本当に何も準備せず、例えるなら飛行機のチケットとパスポートだけ持って外国に来た、という状況のようだ。だって、言葉通り手ぶらなのだ。もしかして、と櫻子は躊躇いがちに尋ねる。


「なんです?」

「荷物とか、ないの?」

「荷物とは?」

「着替えとか、ほら、こっちにしばらくいるつもりできたんだよね?」

「…………まあ、そうですね」


 なに、今の間。

 櫻子は嫌な汗が背筋を流れるのを感じた。アジュールはしばらく言葉を探したあと、腹をくくったように小さく息をついてから、口を開いた。


「良い計画を思いついたと思ったんです」

「プランAのことだよね」

「思いついて、すぐにこちらに来たんですよ。タイミング良く人間界に行く予定の部下がいましてね。通行証の時間が迫っていて、準備などする時間はなかったんです」


 いきあたりばったり。無計画。

 その二つが櫻子の頭に浮かびあがった。そりゃ、何も持ってないわけだ。


「何か問題でも?」


 普通なら問題は多々あるだろうが、本人がそう問うのだから何も言うまい。今時の家出少年少女でさえもう少し荷物はあるだろうが、何も言うまい。櫻子は曖昧に笑みを零し、その場からすっくと立ち上がって自室に入った。箪笥の奥にあった服の一揃えを取り出して戻ってくると、それをアジュールに渡した。 櫻子が着るには大きすぎる、おそらく男物だろうトレーナーとスウェットを渡されて、アジュールはそれをじろじろと眺めた後、


「なんです、これ」


と怪訝そうに櫻子を見やった。


「流石に下着はないけど、とりあえず今日はそれ着て寝たらいいよ」


 アジュールは肩の凝りそうなスーツを着ていた。美貌を引きたてるには素晴らしい濃紺のスーツだが、寝るには不向きだろう。


「良いのですか?」

「うん。丈はもともと長めだから、寸足らずになることはないと思うけど。下着とかは、魔界に取りに帰る?」


「いえ、しばらくゲートは開かないと思うので」

「だったら買うしかないね。買う場所は分かる?」

「あいにく人間界に来るのはこれが初めてなんです」


 つまり、意訳すると、「知るわけがないだろう?」ということだ。

 ふぅむ、と顎に手を当て、櫻子はしばらく考えを巡らした後、仕方がないかと漏らす。


「明日買い物に行こうか。下着以外にも色々必要だろうし。……そういえば、食費は大丈夫って言ってたけど、お金は持ってる?」

「通貨という意味では持っていませんが」


 とりあえず、これを、と言いながら、スーツのポケットから何かを取り出して櫻子に渡す。掌に置かれたそれをまじまじと見て、櫻子は目を丸くした。


「これって、金?」


 紛うことない金だ。手に感じる重さに加え、何やら別の重みも感じた。


「換金すればよいと聞いたことが。足りなければまだ取り出せます」

「取り出せる?」

「無生物はゲートを通さなくてもあちらから取り出せるんです」


 はあそうですか。詳しいことは聞くまい。


「じゃあ明日、換金してから買い物に行くってことでどうかな」

「いいでしょう」


 満足げに微笑んだその笑みが曲者だと櫻子は思う。

 さながら、提案を受け入れてもらった部下のようだなと自嘲した。受け入れるのが当たり前だと、まるで洗脳されているようだ。いや、今日知り合ったばかりの悪魔との同居をあっさりと許すのだから、今さらなのかもしれない。知り合いに会ったらどう説明するかなあ、と櫻子はふと思った。


――居候の悪魔です?


 なぜに居候、なぜに悪魔。色んなことを聞かれそうで、何と説明しようかと考えただけで頭痛がした。本当に今さらながら、居候を許した数時間前の自分に蹴りを入れたい気分になる。


 心なしか満足げな表情のアジュールの横顔を見つめながら、何度見ても驚くほどの美貌だと感心した。人ならざる者の持つ、とはこういうことなのか。酷く抽象的にいえば、完璧な美がそこにはある。例えば、恋に落ちる隙など与えてくれなさそうな、容赦のない完璧さ。どちらかといえばそういう相手として見るよりも、キラキラと輝く宝石をショーウィンドー越しに眺めているような―――


考えたって仕方がないか、そう思って思考を閉じた櫻子だった。


1/7 行間に変更を加えました。

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