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急がなくていいんですよ

たいへんお待たせしてすみません。

ご訪問、ありがとうございます。

どうしようこうしよう、といろいろ考えてこういうことに。

 王都にいくつかある通りのうち、本通りと呼ばれる商店街には、様々な品物を揃えた店が軒を連ねていた。店先に所狭しと品物を並べた馴染み深い外装の商店もあれば、近づきがたい怪しげな佇まいの店もあり、櫻子は興味津々にあちらこちらを振り返る。アジュールはそれを微笑ましく見つめながらも、彼女が危な気なほうへと歩を進めればつないだ手を引いて舵取りし、やんわりと身を寄せる。すり、と爪先を撫でれば、櫻子の頬が上気した。



「こうして出かけるのは、初めてですね」


睦言のように囁きかけ、頭の頂にキスを落とす。


「うん…」


叫びだしたいのを堪え、櫻子は神妙な顔で頷いた。初デートの甘酸っぱさを纏っているのは彼女だけで、アジュールはそれをひたすらに愛でている。その視線を避けるようにコートに顔を埋めるのだが、その行為が更にアジュールを喜ばせていることなど思いつきもしなかった。


「櫻子さん、あの店に」


そう言って指差した先には、こぢんまりとした雑貨店があった。


「買いたいものがあるの?」


「ええ。いくつか」


手をつないだまま、二人はその店に入っていく。

カラン、とドアベルが鳴り、店主らしき恰幅の良い中年の女性が現れた。アジュールの顔を見て瞠目すること数秒、すぐに嬉しそうに破顔する。


「これは、隊長様。いらっしゃいませ。いつも息子がお世話になっております。マイースはお役にたっておりますか? 帰ってきたらしいと風のうわさで聞きましたが、相も変わらず親不孝な子で、主人はほっとけって言いますが、それでも手紙の一つくらい…本当にもう…」


つんと唇を尖らせる仕草がなんだか可愛らしい、と櫻子は思った。

アジュールは目を細め、近況を教えてやる。


「元気でやっていますよ。――問題なく」


やや含みのある言葉だったが、店主は満足げに「安心しました」と微笑んだ。


「それにしても、本日は可愛らしいお嬢様をお連れですね」


ちら、と櫻子を見やった瞳は、好奇心に煌めいている。アジュールは櫻子の背に手を添えた。


「私の恋人です。入用のものがいくつかありますので、彼女の言うように包んでいただけますか」


「まあ、素敵! あ、いえ、承りましたわ。さぁさ、こちらにどうぞ。なんでもお言いつけ下さいね」


「え、あの、え? アル?」


戸惑う櫻子に顔を寄せたアジュールは――ちらと店主を窺ってから――小さく笑ってその耳に囁きかける。


「男の一人暮らしですから、櫻子さんが必要なものはほとんどないんです。そういえばわかりますか?」


「あ、えっと、はい」


「私が屋敷に招待したのです。気兼ねなどしないように。分かりましたね」


「わ、わかります」


 恋人たちの内緒話に声を噛み殺していた店主は、会話が終わった途端アジュールに目配せをされ、我が意を得たと櫻子の手を引いて店の奥へと連れて行った。

 店主のはしゃぐ声と、櫻子のどこか焦ったような声が漏れ聞こえる中、アジュールは店内をゆっくりと歩きはじめる。雑貨店というだけあって、品ぞろえは多岐に渡っていた。日用雑貨はもちろん、店主の趣味なのだろう、花の鉢植えなども置いてある。


「………」


咲き誇る花々の奥に、守られるようにしてガラス戸棚が佇んでいた。ふと覗いてみれば、繊細な彫刻の施された装飾品が並んでいた。思わず浮かんだ考えに、ふと柔らかな笑みが漏れる。店主の姦しい声が足音とともに近づいてきて、そっと踵を返した。
















「これと、これと、これと、ああ、これも必要だね」


 店主は右腕に蔓かごを抱え、まるであらかじめ狙い定めていたように、左手で次々と品物を入れていく。大きなかごを抱えた瞬間に何か誤解があると察した櫻子だったが、一泊分だと伝える前に「安心して私に任せてくださいな。このお役目は何度も務めたことがあるんですよ」と暗に手出し無用を示されると、それ以上口を開くのは躊躇われた。“このお役目”が何を指すのかは分からないが、たかがお泊りにも“悪魔的”な常識があるのかもしれない。

 どこか遠い目で櫻子は楽しげな店主の様子を眺めていた。


「そうだ、寝間着も必要だね。――お嬢様、御色は何色がお好きです?」


遠くに意識を飛ばしていた櫻子は、突然の問いかけに目を瞬かせ、狼狽えた。店主はにっこりと人のよさそうな笑みを浮かべ、櫻子との距離を詰める。


「流行は白で、ラベンダーや淡いピンクも人気ですね。デザインも、レースやフリルをあしらったものや、リボンのついたものとか、透け感のあるものも…」


と引き出しにしまわれた“寝間着”を次々に出しては広げ、どうだ、と言わんばかりに見せてくる。“パジャマ”の類ではなかった。どこか艶めかしい印象が伴う、所謂ネグリジェに近い。乙女心をくすぐる装飾は確かに可愛いが、太ももギリギリの丈と胸元がざっくりと開いており、とんでもなく薄い。櫻子が絶句しているのをいいことに、店主は手に持つことさえ躊躇われるそれらを数枚かごに入れた。


「あ、あの、それはちょっと…」


ようやく櫻子が制止をかけると、その赤らんだ頬をまじまじと見て、店主はにんまりと笑みを深めた。


「何事も最初が肝心ですよ。普段はちょっと地味でも、寝室ではこれくらい着ないといけません」


茶目っ気たっぷりに言われて、櫻子は言葉を失う。


「し、し、し、しん」


寝室だと?! と言いたいが言葉にならない。櫻子は恥ずかしさに真っ赤になった。


「隊長様なら優しくしてくださいますよ。初めてだとちょっと怖いかもしれませんがね、全部お任せすれば、なぁんにも問題ありません。――薬もちゃんと入れておきますよ」


何の薬だ、と櫻子は口をパクパクさせ、呆然とその場に立ち尽くす。


 脳内には、かごに入れられたネグリジェを着て、寝室のベッドに寝転ぶ自分がまざまざと浮かび上がった。むき出しになった足を隠すようにもじもじとしていると、扉が開き、なぜかバスローブに身を包んだアジュールが入ってくる。櫻子の格好に瞠目したのもつかの間、その目に情欲の色を浮かべ――


――今宵、身も心も私のものになってくれますか?



「っ……!」


 自らの妄想に羞恥を覚え、真っ赤になった顔を両手で覆った。そんな、まさか、そんなわけない。ちょっとしたお泊りであって、そんな、まさか、そんなことはしない、はず。――はず?


 はっきりと否定できないのは、これまでのアジュールの言動があるからだ。やりたくない、わけではないはずだ。いや、ちがう。最初から、「すべて任せなさい」とかなんとか言っていた気がする。それってつまり、そういうこと?――いや、そういうことだろう。流石にそこまで鈍感ではないし、振りも出来そうにない、と櫻子は自嘲気味に思う。


 いつかはそうなると思っていた。だが、今夜となると話は違う。所謂心の準備がない。いや、まったく困ると言うことでもないが。



(つ、つまり、そういうことを、するってこと、だよね…アル、と)



 乙女な思考にどっぷりと浸っていると、後ろから声がかかると同時に、肩を叩かれた。


「櫻子さん、考え事ですか?」


「ぎゃっ!」


大仰に飛び跳ねた櫻子を、アジュールはそのまま後方から抱き込み、顎をその肩に置いて耳元に囁きかける。


「私のことを、考えていたんでしょう?」


「え、な、なんでわかるの」


馬鹿正直に返した櫻子に、アジュールはほんの僅か目を丸くして、それから嬉しそうにほほ笑んだ。


「櫻子さんの頭の中を独占して、私はとても幸せ者です」


鎌をかけられたのだと分かったが、櫻子は睨むどころか、向けられた笑顔を直視することもできなかった。わざとらしく視線を外し、うろうろと彷徨わせた後、ぎこちなく笑って、


「あ、っと、まだ、見たいものがあるから、見てくる」


アジュールの目がついと細く眇められたことを、目を伏せた櫻子は知らない。


「…――ええ、どうぞ。急がなくてもいいですよ」


「う、うん。ありがと」


 慌ててぱたぱたと駆けて行った櫻子を見送って、アジュールは深いため息をついた。店主に目をやると、一人微笑ましそうな表情を浮かべている。何か余計なことを言ったのだろう、とアジュールはまた、内心で深々とため息をついた。





ご無沙汰してすみません。

読了、ありがとうございました!

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