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情けないっス

温かい応援のお言葉、本当にありがとうございます。次回再会、と思われますのでもうしばらくお付き合いください。

今回直接的な表現ではありませんが、血なまぐさいシーンを想起させる描写があります。なるべくぼかしましたが、話の都合上省けなかった要素ですので、ご理解いただけるとありがたいです。

 こんなことならきちんと隊服に着替えてくるのだった、と部下は激しく後悔していた。お気に入りの黒のジャケットを嗅げば、思い込みにも何にしろ、すえた臭いがこびりついているような気がした。

 地下室から一歩遠ざかるごとに、追いすがる血臭と悲鳴はその存在感を失っていく。彼は小さくため息をつくだけで、一度も振り返ることはなかった。らせん状に地上へと続く階段を一段一段上っていき、やがて太陽の光を浴び、そこに見えた隊員の姿に不思議と安堵した。


「お疲れさまです、マイースさん」


 そう労ってくる青年の頬には血糊が飛んでいた。濃緑の隊服にはところどころ、沈んだ色の斑点が浮かんでいる。自分の頬に触れつつ「ついてる」と教えてやれば、青年は自分の頬へと触れ、赤く染まった指先を見て苦く笑う。部下――マイースの後方を覗き込み、地下から誰も現れないと見るや、困ったような顔をした。


「しぶといですね」

「既に吐いたっスよ。『人間の女なんて浚ってねぇ』って。困ったっスねえ…」

「は? えっとでは、隊長は何を?」

「あー……八つ当たり?」


 マイースの冗談めいた口調に戸惑ったのか、青年は逡巡し、おずおずと口を開く。


「その、それじゃあ、早く他を探したほうがいいんじゃないですか?」

「そうっスね。もしやと思って待機してもらってたのに申し訳ないけど、散開した人たちと合流して、こっちは外れだった、って伝えてもらえると助かるっス」

「わかりました。マイースさんはどうされるんですか?」

「おれ? おれはねぇ、とりあえず隊長を一人にすると危なそうだから待っとくよ。もう直出てくると思うけど。何十匹いたとして雑魚は雑魚だからさ……隊長には暇つぶしにもならないって言ったんスよ、おれ」


 疲れたようにため息をつくマイースに、青年は少し黙り込む。


「僕はその、あんまり隊長とご一緒したことがないんで、今日はホントに驚きました」


 放っておけば、勉強になりました、とでも言い足しそうな顔だった。真似しようと思うほどの馬鹿ではなさそうなので、マイースは何も言わない。圧倒的な戦闘力を目の当たりにし、精神的ショックも不要な興奮も覚えなかったことが、まだ年若い隊員の成長を期待させた。


「それにしてもよくもまあ、あれだけの賊が潜んでたっスね。一斉逮捕…いや、一斉駆除か。自警団の喜びつつも微妙な顔が目に浮かぶ…」

「驚くとは思いますけど、ずいぶん酷い目にあわされたって言ってましたから、喜ぶと思います。他の隊も今回の捜索で色々と見つけたそうですよ。これで隊長の大切な方がご無事で見つかれば、言うことないですね」


 青年は遠慮がちに笑みを浮かべた。

 こういう時代が自分にもあったな、とマイースは遠い目をした。

 今回の件で隊長への崇拝と尊敬の念は強くなるのだろう。我が儘で尊大で、すぐ苛立って対処に困る人なのだ、とは言うだけ無駄だ。これから徐々に接触の機会が増えて、それとともに隊長の本性を知ればいい。おそらく、それを知って呆れたとしても、根本的な尊敬の念はなくなることはないだろうと、マイースは自身の経験から分かっていたけれども。


「そうっスね」


 無事でなかった場合、きっとみんな生きてはいないだろう。そう言いかけて飲み込んだ。我らが隊長は、規格外な魔力の持ち主というだけでは決してない。


――まあ、無事であったとして、そのあと自分にどんな制裁が下っても不思議ではない。


 西宮櫻子を連れ去ったのは【ファルファッラ】隊隊長、最上級悪魔の一人――イヴォワール・ディ・ファルファッラだ。部下はそう確信していた。魔王陛下より異界の門管理を任された実力は、移転魔術の権威ファルファッラ家でも歴代一といわれている。その男を前にして、たとえ暗黙の了解のうち最重要機密指定された情報とはいえ、どうして口を閉ざすことができただろう。

 ――それがまさか、こんなことになるなんて。


『アジュールの恋人の名は知っているか』


 訊かれたのはそれだけだ。喉元に得体の知れない光を灯した指さえ当てられていなければ完全黙秘した…はず。怒り狂った我らが隊長に言い訳など通用しないだろうから、西宮櫻子には絶対生きて帰ってもらわないと困る。生きてさえいれば、腕の何本か、足の何本か、まあとにかくそれくらいで済むだろうから。


「あの、マイースさん? どうかされました?」

「ん? あー、なんでもないっスよ。じゃあまあ、とにかくそういうことで。他の人にもがんばれって伝えておいてもらえるっスか?」

「了解です。隊長のために、みんな精一杯頑張りますってお伝えください」


 青年ははきはきとそう言って、他の隊員がいるであろう方へ走っていった。その背中を見送って、マイースは盛大なため息をつく。


「一言でも口きいたら殺される気がするんスけどねえ」


 誰がイヴォワール(ファルファッラ隊長)櫻子の名前(最重要機密)を漏らしたか、我らが隊長が気づかないはずがない。西宮櫻子が魔界で行方不明となった事実を知って、召集された他の隊員の前で公開処刑かと覚悟したが、まだマイースは生きていた。こうしてつき従っているのは、逃亡したと誤解されないためだ。


「それだけ、焦ってるってこと、っスかねえ……」


しみじみと呟いた。


――『私の、この世で一番大事な方が、ここ魔界にいるそうです』


 明日世界は滅亡する、とでも報せるかのような暗い表情と声色だった。隊員たちに困惑と動揺の色が浮かんだが、アジュールは躊躇うことなく言った。


『探して、もらえますか?』


 誰もが息をのんだのだろう、マイースも例外でなかった。数秒の沈黙ののち、『探せとお命じ下さい』と誰かが叫んだ。また別の誰かが賛成の旨を声高に示した。改めて下された“命令”に、他の隊員と同様に、マイースも膝を折って応じた。整然と並んだ部下の姿に感銘を受けたか、アジュールの心は分からない。しかし、それを皮切りに打って変わったようにきびきびと指示を下し始めた隊長の姿に、誰もが胸を撫で下ろしただろう、とマイースは思う。



「一番大事な方、か」


 魔界への突然の帰還の後、櫻子とマイースが接触した事実はおそらく、アジュールの知るところではない。櫻子の本心を伝え、誤解を解くことは自分のすべきことなのだろう。しかし今、それを伝えたところで何の慰めにもならない。その喜びを分かち合う相手(櫻子)がいなければ、意味がない。もしも、西宮櫻子が無事でなかったら、――どうしてあのとき帰ってしまったのかと、上司が自身を責めるのは目に見えていた。


「そんな隊長は、見たくないっスねえ……ホント、見たくないっス」


 最上級悪魔が恋に溺れる話はいくつも聞いたことがあった。唯一の弱点を突かれ、死んでしまった悲話もある。けっして恋を知らない身ではなかったが、そんな彼らを滑稽だと思った。すべて作り話なのだろうと揶揄したこともあった。しかし蓋を開けてみれば、それらは決して、偽りではなかったのだろう。


「あー…もうホント、おれってば、情けない…」


 泣き言をこぼしながら、御しようのない気持ちに苛立ちが募る。思わず天を仰ぎみて、憎たらしいほどの青空に舌打ちした。


―――クー、クルル


 そんな彼の視界を、一羽の魔鳥が横切った。地下への入口を阻むように突っ立っていたマイースを華麗な低空飛行でかわし、暗い螺旋階段を滑空しながら降りていく。

 無機質な鳴き声はやがて聞こえなくなったが、マイースの心に延々と繰り返して聞こえた。


「ま、さか」


 呆然として入口を見つめたまま、マイースは何度もそう繰り返した。じわじわと溢れてくる気持ちは、的外れな期待ではないはずだ。


――きっと、そう、吉報だ。


 そう自身に言い聞かせ、地面を見つめながらうろうろとその場を徘徊する。バチン、と訊きなれた音が響いて、ハッと顔をあげた。静かな呼び声が、彼の名を呼ぶ。マイースは泣き笑いの表情を浮かべた。


「マイース」


「なに、してんですか、隊長、顔、酷いっスよ」


 構うことなく暴れたのだろう。血糊に塗れた顔は、お世辞にも綺麗とは言えない。それでも我らが隊長は、慈愛の女神が“我が分身を見た”と瞠目するような笑みを浮かべていた。普段ならばきっとマイースは怯えただろう。だが今は、心底安堵し、だれかれ構わず感謝の言葉を告げたい気持ちになった。


「見つかったん、スね」

「見つかりましたよ」

「無事、なんスね?」


 ぐずぐずと鼻をすすりながらそう尋ねた部下を揶揄するでもなく、上司は一つ頷いてやった。


ふびんな部下に名前を。


↑不憫な金髪の部下にはマイースと名付けました。上記の一文で名前案募集、との誤解を招いたこと、この場をお借りして謝罪します。申し訳ありませんでした。(1/16)

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