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お友達になりましょう

 じわじわと体温を奪う寒さの中、体を温めようと腕をさすりながら、櫻子はすっかり途方に暮れていた。そろそろ半袖Tシャツを出しておいた方がいいだろうかと、つい先日頭によぎったばかりだというのにこの寒さ。長袖Tシャツとジーンズの組み合わせはひどく心もとない装備だった。非現実的な思考を展開すれば、自分は“飛んだ”のだろう。櫻子は冷静にそう判断する。


――でも、いったいここはどこなんだろう?


 櫻子は煉瓦造りの噴水の縁石に腰掛けていた。現地に赴いたことはないが、西欧の可愛らしい街並みはきっとこんな風だろう。赤茶色の暖かみのある色彩は、合間に添えられた花や緑と調和し、おそらく晴天であればずっと美しい風景を櫻子に見せてくれたに違いない。曇天は噴水の水さえどんよりとした色調に染めていた。


 そこはおそらく広間のような場所だった。あの噴水で10時に待っている、そんなふうに待ち合わせに使われているのかもしれない。遮蔽物のほとんどないその場所は、四方八方より風の通り道となっている。姿の見えない風の精の戯れに苛まれるように、櫻子は徐々に冷えていく体を縮め、耐えるしかなかった。


「ううう、寒い…いつまで待てばいいのかな……」


 待ち合わせ、ではないけれども、櫻子もまたいつ帰ってくるか知れない男を待っていた。彼女をこの場に連れてきた張本人――黄白色の髪の美しい男だ。

 彼の掌が目の上から外されたときにはもう、彼女はここに立っていた。明らかな寒暖の差に体を震わせた櫻子など気にも留めない様子で、男はあたりを見やり、なにやら一人得心したように頷いた。一方の櫻子は呆然とし、様々な疑問が湧きあがったせいでどれから聞いてよいかわからず混乱状態だった。

 男はふいに櫻子の腕を掴み、どこかへ移動しようとした。しかしそのとき、どこからともなく黒い鳩が彼の肩に降り立ち、咥え持った紙片を男の掌に落とした。


『ここで少し待っていろ。急用が入った』


 男の有無を言わせぬ声に、櫻子は頷くしかなかった。バチンと音を立て、男が消えた。


 それからずっと櫻子は待たされ続けている。時計を見やれば、かれこれ一時間ほどは待たされているようだ、と確認できた。

 ここがどこで、どうして連れてこられたのか。

 アルに会えるかも、とちらと過ぎった期待は徐々に薄れていった。



「お姉さん、寒くないの?」


 ふいにかけられた声に弾かれたように顔を上げ、目に飛び込んできた者の姿に目を見開いた。可愛らしい声にぴったりの美少女っぷり、に今更驚く櫻子ではない。櫻子の服装をせせら笑うようなふんわりコートにショックを受けたわけでも勿論ない。


「ね、ね、猫耳…!」


 蜂蜜色の髪の間からぴょこんと伸びた一対の猫耳が、櫻子の言葉とほぼ同時にぴくぴくとせわしなく動いた。少女は疑心たっぷりの表情へと転じ、警戒心を露わにした猫のように睨みつけてきた。


 どうしよう、そんな顔もまた可愛い。

 はたして猫耳の人に猫耳を触らせてほしいとお願いするのは失礼にあたるのだろうか。

 先に尻尾の有無を聞いたほうがいいかな、ううむ。


 櫻子は寒さと興奮のせいでやや混乱していた。突発的に立ち上がると、直立不動になり、宣誓を行う選手代表のようにきびきびと尋ねた。


「そ、その耳は本物でありますか!」

「……ほ、本物だけど、それがなに」


 少女はやや引き気味に、それでも警戒の色は隠さずそう返した。とたん、櫻子が狂喜に拳を握り、はしゃぎはじめる。


「きゃあああ! ホントに本物? すごい、すごい! 可愛い!」


 手をわきわきと動かし、今にも飛びかからんばかりの危ない女になっている。

 一方の少女は、櫻子の言葉にぱっと赤く頬を染めた。小さな両手で頬を包み、うろうろと視線を彷徨わせる。


「か、可愛い? ほ、ホントに? この耳が? うそだ、みんな、変って言うもん」

「それはね、“みんな”が変なんだよ。猫耳は正義だよ。正義で可愛いの!」


 櫻子は力いっぱい持論を展開した。美少女で猫耳で、おまけに照れている。アルを越える逸材だ、と櫻子は感極まった様子だ。


「正義で、可愛い? ホントに、ホントにそう思う?」


 大きな碧眼に見つめられ、櫻子はでれでれになって何度も頷く。


「そっか、私の耳は可愛いんだ。嬉しいな…」


 少女はふっと目を細め、しみじみと呟いた。

 櫻子はいつ触らせてもらえるかとドキドキが止まらない。


「そういえば、ここで何してるの?」

「え? あぁ、人を待ってるんだけど……」


 困り顔で答えた櫻子に、その事情を少女なりに察したのだろう。


「でも、そんな恰好じゃ風邪引いちゃうよ。コートは?」

「あー…ちょっと突然連れ出されちゃって」

「今待っている相手に? いつ戻ってくる?」

「それが、急用ができたからここで待ってろって、かれこれ一時間ほど待ってるんだけど。そこはかとなく忘れられた気がするんだよね…」

「なにそれ、酷い! 約束守らない人なんて最低だよ! イル様もね、酷いんだよ。遊園地行く約束してたのに、ずっとお仕事でずっと延期なんだ……私のこと、嫌いになっちゃったのかな…」


 少女にも色々と事情があるらしい。見る見るうちに落ち込んでしまった。


「お仕事なら仕方がないよ。あなたのこと嫌いになったわけじゃないと思うな」


 櫻子の言葉に、少女ははじかれたように顔を上げた。


「ホント?」


 肯定してやれば、花が咲いたように笑みを浮かべる。


「そ、そうだよね! イル様だもん!」


 そんな少女をほほえましく見守っていた櫻子だったが、寒さは確実に彼女を苛んでいたようで、盛大なくしゃみが出てしまった。少女はハッとして、どこか申し訳なさそうに櫻子を窺う。


「お姉さん、大丈夫? もういいじゃん、そんな人のことなんて放っておこうよ。風邪引いちゃうから、私のお部屋に来ない?」


 非常にありがたい申し出だ。ここはおそらく魔界なのだろうと予想はついているが、ここにいたとしてアジュールに会えるという保証はない。特に疑いもせずあの男をアジュールの友人だと思っていたが、全く知らない人には変わりがないのだ。風邪を引くのもごめんである。


 櫻子が躊躇っていると思ったのだろう、少女はあれこれ説得を試み始めた。


「こんな寒い所で待たせるその人が悪いんだ。お姉さんがいなくて探し回ればいいと思う! ”因果応報”、”自業自得”ってイル様もよく言うもん! それにね、“近づいてくる男がいたら全力で逃げろ、さもなくば私を呼べ、抹殺する”とか言ってたけど、お姉さんは女の人だから、大丈夫。お部屋に呼んでも怒られないよ!」


 満面の笑みで力説する少女に、櫻子は若干引いていた。


「そ、そうなんだ、イル様凄いね」


 “抹殺する”だなんて、魔界の慣用句は恐ろしげだな、と櫻子は内心苦笑する。


「じゃあ、その、お邪魔しようかな。色々と教えてほしいこともあるし」


 すると少女はたちまち嬉しそうに破顔した。


「やった! じゃあお姉さんは私の“友達”だね!」

「友達? わたしでいいの?」

「イル様のところにね、男の人が来たとき、『今お部屋に来た人はだれ?』ってきいたら、メイレムさんが教えてくれたんだ。『あの方は、そうですねえ、ご主人様のご友人とでも言いましょうか』って!」


 メイレムさんとやらが誰かは分からないが、酷く含みのある答えに櫻子は何とも言えない顔をした。


「だからね、私のお部屋に来るお姉さんは私のお友達なんだけど……だめだった?」


 小首を傾げ、やや不安げにそう訊かれて、駄目だと答えられるはずもなく、もちろん答える気も毛頭無く。


「駄目じゃないよ。素敵な友達ができてうれしいな」

「えへへ、私も嬉しい。そうだ、お姉さん名前は? 私、ミエルっていうんだ」

「櫻子、だよ。サクラって呼んでほしいな」


 少女――ミエルは幸せそうに笑いながら、何度も何度も「サクラ」と舌の上で転がした。練習が完了したようで、ちらと櫻子を見やり、照れくさそうに「サクラ」と呼んだ。

 世の男の人ははたしてこの破壊力に耐えられるだろうか、と櫻子はにやつきそうになった。ミエルに手を取られ、噴水広場を後にする自分を顧みて、まるで付き合いたての恋人同士だなあ、と率直な感想を抱く。


――そういえば、アルとこんな風に手をつないで外を歩いたこと、ないかも。


「サクラ、なんだか寂しそう、どうかした?」

「大好きな人のこと、思い出していたんだよ。まだこうやって、手をつないだことないなって」

「じゃあ私が先に繋いじゃったよって言ったら、その人悔しがるね」


 悪戯っぽく笑うミエルに、櫻子もつられて笑ってしまった。


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