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お久しぶりです

前話あとがきに書いた体裁についてご意見くださり、ありがとうございました。反応いただけてとてもうれしいです。この場をお借りしてお礼申し上げます。後押ししていただけた、ということで、これまでの話も編集していきたいと思います。

その他作品についてもコメントくださった方にはブログにて返信させていただきます。またお暇なときにでものぞいてやってください。

「……え?」


 嫌な予感とは当たるものだ、と誰かが言ったことを、櫻子はその日、呆然とした意識の遠くで思い出していた。


「ホント、ですか?」


 ようやくそう口を開けば、目の前の男は細く息を吐いた後、躊躇いがちに頷いた。


「もっと早めに言うべきかと思ったんスけど、隊長が傍にいない好機は大学(ここ)しかなくて」

「そ、それはいいんです…でもその、アルからは何もそんなこと」

「隊長が言うはずないじゃねぇっスか」


 男は随分と疲れた顔をしていた。うろうろと地面に視線を彷徨わせ、ひどく申し訳ない、という顔にも見えた。だが、すぐに表情を引き締め、櫻子をその青色の瞳で見つめ返す。


「――隊長は、このまま帰らず、たとえ死んでもあなたの傍にいるつもりなんっス」


 死んでもそばにいる、と男の口を通して聞いた言葉に、櫻子は困惑以外の何も感じることができなかった。









 時間は少し遡る。


 大学の午前の講義が終わり、ようやく昼休みをとろうとお弁当を持って移動する途中、櫻子の前に一人の男が現れた。黒皮のジャケットとズボン、体中にじゃらじゃらと怪しげな装飾品を付けた金髪の男の顔に、櫻子は見覚えがあった。前に会ったときはこれほど近づきがたい風体をしていたっけ、そんな疑問が脳裏をちらと掠める。


「久しぶりっスね、西宮櫻子」


 黒々とした外見とは相対して、男はにかりと屈託のない笑みを浮かべた。

 改めて対峙すると、アジュールの言動と存在とで薄らいでいたこの男の容貌もまた、そこらのアイドルになど引けを取らないと思い知った。こんな人たちばかりなのだろうか、悪魔って怖い、と改めて痛感する。この男をしてアルに言わせれば「部下」の一言で終わるのだ。振るい落とされた形容詞たちは、一体どのような美貌になら冠することを許されるのだろう。

 深く考えると落ち込みそうなので、櫻子はその考えを即座に脇に置いた。


「どうかしたっスか?」


 不思議そうに覗き込んでくる男は、やはりあのときのアルの部下だ。そういえば名前も知らない。部下さんと呼ぶのは失礼だろう。


「こちらこそお久しぶりです。あの、お名前聞いてませんでしたよね」


 言外に教えてほしいと言うと、部下の顔がぴきりと引きつる。両手を突出しおたおたと顔の前で振り、「とんでもないッス」と青ざめる。悪魔的に名前を尋ねるのはNGなのか、と櫻子も青ざめた。お互い、“ひぇ、殺さないで”と怯えるポーズを決めている。傍から見れば奇妙で、部下に限って言えば美貌が台無しだ。


「お、おれの名前なんか知ったところで意味ないっスよ! 無駄な知識っス! むしろおれの存在ごと忘れたほうがおれのためというか、まだおれは散るには早いと思うっス!」


 部下は必死だ。その様子に櫻子は少し落ち着きを取り戻した。


「ソ、ソウッスネ」


 思わずつられて頷く。なぜそこまで、と思わないでもなかったが、追求するのは例のごとくやめた。名前は聞いてはいけないのだ。いつか知るときがくればそれでいいだろうと諦めた。


「えー、えーと、それで何かわたしに用事があったんですよね?」


 機転を利かせたのは、ようやく周りの状況に意識を向けたからだ。キャンパスのあちらこちらから、金髪の美しい若者と平凡な大学生の組み合わせに後期の視線が突き刺さってくる。


「あー……ちょっと場所変えたほうが良さそうっスね」


 小市民な櫻子には非常にありがたい申し出だったので、今の時間帯なら人のいないだろう講義室にこっそりと部下を案内した。

 静まり返った部屋の中、躊躇いがちに告げられたのがアジュールの現状と、その無謀な考えだ。通行証の期限が切れてなお留まることの危険性は、死さえ危ぶまれるものだと説明された。さすがの部下も、上司より七つも下の女性にあけすけ男の事情を語るのは(はばか)られたらしく、櫻子とアジュールの性的関係の有無について言及することはなかった。一度帰れば戻るのは難しいことと、櫻子を愛するがゆえに離れがたいのだと、おとぎ話のように説明した。


 そして話は冒頭に戻る。








 アルが変だ。

 いつからだったか、一週間記念が過ぎて数日、櫻子はふとしたときにそう思っていた。具体的に説明しろと言われると難しいけれども、様子が違っていることは確信をもって答えられるだろう。ふと遠くを見ていたかと思えば、じっと一点を見つめ思いに耽ることもあった。視線が合えばその表情を輝かせ、櫻子の名を甘く呼んではキスの雨を降らせ、まるで幼子を扱うかのように優しい手つきで抱きしめてくる。


『そうです、私には櫻子さんがいますからね』


 櫻子の首元に顔を埋め、誰に言うでもなく、アジュールはそう呟いた。蜂蜜漬けのようにとろりと心を揺さぶるその言葉に、櫻子は妙な違和感を覚え、また焦燥感をも抱かずにはいられなかった。



――だから、だったんだ。



 櫻子は部下の話を思い返し、ようやく腑に落ちたと乾いた笑みを浮かべる。講義室で一人、そばには既に部下の姿はない。教えてくれてありがとうございましたと言った櫻子に、どうにか隊長の説得をお願いしますと念押しし、帰っていったのだ。


「……………」


 学生たちの喧騒が遠くに聞こえる。


――アルは帰らなきゃならない。


 いつか帰る日が来るのは分かっていた。それを考えないようにしている自分がいた。


――こちらにいくらでもいられるなら、それが一番いい。


 しかし、それは不可能だ。どんな危険性があるか――アジュールが死ぬなど考えたくもない。選択肢はただ一つ。アジュールに帰るよう説得すること。

 櫻子はまだ困惑を覚えていた。するべきことは分かっているのに、突然突きつけられた“アルの帰還”に動揺を隠せない。どうしてもっと早く言ってくれなかったのだろうと、心の内の誰かが詰る。アルは酷い、と彼女は叫ぶ。しかしまた誰かが言う。遅かれ早かれ、彼は帰ってしまうことは分かっていたじゃない。覚悟がないだけだ。あれだけ愛された分、離れればそれだけ辛い思いをすることを未来の自分に棚上げしていただけだ、と。

 酷く冷めた声で、誰かが止めの一言を放った。


――その未来の自分が今、重なっただけに過ぎないんだよ。



 出会えばいつか別れが来ると、どこかで聞いたことがある。深くかかわり、愛するごとに辛くなる。頭の中に怒涛のように仮定文が流れる。



――もしもアルが帰ってしまったら、


――もしもアルが帰ってしまったら、


――もしも、アルが帰ってしまったら、



 その先に続く言葉は、どれもこれも寂しい。まだこの身に降りかかっていないと、その幸せをかみしめるべきだろうか。何でもない顔をして、部屋で帰りを待っているだろうアジュールの胸に飛び込み、キスを強請り、甘えて我が儘を言って、それからどうすればこの言いようのない恐怖は拭われるだろう。


 自分の考えに打ちのめされた後、櫻子が胸に抱いたのは魔界への憎しみにも似た感情だった。魔界さえなければ。帰る場所さえなければ。魔王などいなければ。――アルは再び帰ってこられる。

 しかしそのうちに、荒唐無稽な考えだと笑いが沸き起こってきた。激しい感情の波に内心は荒狂うが、 表面的にはひどく落ち着いていた。涙一つ零さず、その場に立ち尽くすばかりだ。


「――魔界って、遠いんだろうなあ」


 乾いた声が漏れ、辺りに響く。いつの間にか喧騒は遠ざかっていた。毀れた言葉が波紋のように広がり、静寂に溶けたとき、櫻子は観念したようにため息をつく。


「遠距離恋愛、ってことだ、つまり」


 人間界と魔界。どれほど離れているのかは知らない。そもそも距離など計れるのかさえ分からない。確固としているのは、櫻子がアルを好きだという気持ちと、アルもまた、櫻子を想っていることだ。


 遠距離だってかまわない。寂しいのはきっとお互い様だ。

 メールができないなら手紙を書こう。写真を撮って送ろう。会いたいと何度も書き綴ろう。

 名を呼べずとも、好きだと気持ちを言えなくとも、紙面に幾千幾万と綴ればいい。

 そしていつか、アルがこちらに来られないのならば、わたしが会いにいけばいい。


 暗く落ち込んだ気持ちに差し込んできた希望。その兆しは小さく、また細いものだった。人間が魔界に行く方法はあると聞いた。その方法がどんなものかは分からない。しかし、ふとすれば寂しさにうずくまってしまいそうな櫻子を奮い立たせ、楽観的に考えさせるには十分だった。


「……アルに、言おう」


 櫻子はそう決意を固めた。


あとになりましたが、新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

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