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これからよろしくお願いします

「えーと、よく出来た話ね。将来は作家さんかな?」


 明るくはしゃいだような口調とは裏腹に、西宮櫻子の笑顔は引きつっている。相対する美少女―アジュールは腕を組み、ふぅうと細く長いため息をついた。


「あなた、信じていませんね」


 失望したと言わんばかりのアジュールを見て、ここは正直に頷く場面ではないと鈍い櫻子でも察することが出来た。


「いや、あの、でもね、その、アジュールちゃんが魔王陛下の側近で、悪魔の中でも凄く強くて一番な感じの階級で、魔王陛下を崇拝していて。ええと、いくら待ってもお妃さまを連れてこないから、アジュールちゃんが代わりに探しに人間界に来たって、その、言われてもなあ。あ、いや、でも、その、誰かをこう、真剣に思いやる気持ちは悪くないと思うよ。優しい気持ちは必要だよね、うん」


「優しさ? は、くだらない」


 櫻子の必死のフォローになっていないようなフォローを、アジュールは冷たい一言でばっさりと切り捨てた。失礼な話、見た目と口調から判断して、アジュールに優しさなるものが似合いだとは櫻子も思えなかったのだが、適当に話をまとめようとして不用意に出てきてしまったのだ。しかし、これほど心外だと言わんばかりに睨まれるとは思っていなかったので、思わずその鋭い視線に体が竦んでしまう。


「そ、そんな鬼みたいな顔しないで。折角可愛いのに」


 思わず呟いてしまった。


「鬼ではなく悪魔です。可愛いのは仕様です」


 おそらく褒め言葉であったはずだが、一切の照れもなく冷静に返されてしまい、田舎の母に説教されているような感を覚えた。大学入学ととともに一人暮らしを始めたのですでに懐かしい記憶なのだが、まさか成人してから自室でこのような状況になるとは思ってもみなかった。

 どうして電波な美少女にこれほど動揺させられなければならないのか。

 居た堪れなくなり、いつの間にか正座の体制になり、二つ並んだ膝頭の上を視線がうろうろと動く。


「悪戯をした子どもですか、あなた」


 そう言われてしまえば、ぐうの音も出ない。完璧に親に怒られる子どもの図だ。はあ、と上から盛大な溜息が落ちてきて、窺うように櫻子が見上げると、アジュールは自分の手を何度か表裏に返して頷いていた。何かに気がついた様子だ。


「なるほど、可愛い……と。ああ、そうですね。この姿では説得力も半減ですか」


 この姿、という言葉に、もしや冷徹美少女ではなく愛らしい”甘えたバージョン”もあるのかと期待を覚えた櫻子だが、その思いは次の瞬間に打ち砕かれた。

 《解》とアジュールが呟くと、その体が白い煙に包まれた。あっという間に霧が晴れたように煙が消えると、美少女がいたソファの上に、目の醒めるような美貌を湛えた青年が座っていた。きっちりと暗色のスーツを着込んでいる。髪色も瞳の色も美少女のそれと同色だが、纏う雰囲気は気を抜けば瞳の中にハートが乱舞し、そのまま意識を失ってしまうほどの妖艶さを含んでいる。薄らと浮かんだ笑みが無ければ、鋭いナイフのような冷たく怜悧な印象を受けた。

 イリュージョンにしては奇天烈だ。しかし、イリュージョンでないのならばたいへん心臓に悪い出来事だった。


「これで少しは信じる気になりましたか?」


 口調は同じだが、その声色は身体のどこかが疼くほど甘いテノールだ。声を張らなくても、空気の層がどうぞどうぞと道を開けているかのように、よく通る美しい声だった。あまりの出来ごとにぼけら、と呆気にとられている櫻子に、アジュールと思しき青年は小さく笑う。


「口をそんな風に開けて、はしたないですよ」


 言われてうぐぐ、と口を閉じる櫻子。言うことが一々何色香を帯びている気がして、思わず顔に熱が上る。


「改めまして、陛下の側近のアジュールと申します。先ほども話しましたように、未来の妃殿下を探しにこのたび人間界に参りました。淑女育成を掲げた学校に潜入する計画は頓挫しましたので、次なる計画を考えねばなりません。その間、こちらに逗留しますので。よろしいか?」


 許可を求める発言ではないと、さすがの櫻子も分からないではなかった。おそらく、この美少女の皮を被っていた青年を拾った時から、こうなることは決定していたのだろう。所謂、運命的な何かによって。

 しかし、男を一人暮らしの女のみである自分の部屋に置くのはどうなのだろうか。あまりその手の経験が無く、田舎暮らしで暖めてきた純粋さは消え失せていないせいか、どうにも警戒心が湧いてこない。アジュールのあまりの美貌に、自分をどうこうする気など起こらないだろうという変な決めつけも手伝っているが。


「わ、わかった。いいよ。でもその、食費はちゃんと入れてね」


 数分沈黙を守った櫻子の言葉に、アジュールは僅かに瞠目して片方の眉を上げた。


「あなた、色々と心配ですね」

「は?」

「いえ、こちらの話です。食費でしたか、ええ、その件でしたらご心配なく。しかし、そうなるとあなたが食事を作るということですか?」


 問われてようやくその言葉の意味するところに気付いた櫻子は、意外な質問だなとやや怪訝な顔をしたが、少し考えて彼女なりに合点がいったのか、


「一人分作るのも二人分作るのも大して変わらないし。悪魔的な料理は無理そうだけど」

「悪魔的?」

「ほ、ほら、新鮮な血液とか、生き肝とか? さすがに人はさばけないなあ、ハハ」


 おどけたように例を挙げた櫻子だったが、口にして初めて恐ろしい想像が脳裏をよぎり、口元が引きつっている。そうだ、この人悪魔だったんだ!……という感じだろう。アジュールは呆れたように嘆息した。


「安心しなさい。人肉を好むのは死霊や彷徨う死者くらいです」


 その答えに櫻子は見るからにホッとしたようだ。じゃあ、と気分を取り直したのか、浮き浮きと尋ねる。


「何か食べられないものとかは教えて。その、悪魔的にNGなものとか。ほら、ニンニクとかね」


 どうやら、悪魔というもののイメージは、櫻子の中では吸血鬼に近いものらしい。怪訝そうに眉をひそめたアジュールだったが、しばらく考えた後、


「おそらく、人より丈夫に出来ているので大抵のものは問題ないと思いますが。ああ、安心してください。出されたものを無碍にするほど冷酷ではありませんよ」


 どんなゲテモノ料理でも失敗料理でも文句を言わずに食べるし、お腹は壊さないという意味だろうかと櫻子はぼんやり疑問に思った。目の前の男の尊大さに早くも慣れたようだ。これも仕様なのだろうと特に気にしない。幸い、まるで料理に自信がないというわけではないし、他人の評判も悪くはなかった。何より食事は一人で食べるより誰かと食べたほうが楽しいし、作り甲斐もある。


「しかし、なんというか。あなた、本当に心配な人間ですね」


 言葉とは裏腹に、アジュールはその顔を僅かに綻ばせ、何か感心するように小さく頷いている。もしかして今の言葉は褒め言葉の類に当たるのか。


「あ、ありがとう?」


 良く分からないけれど、と思いつつ、疑問調で返した櫻子を、アジュールは残念な者を見るような目つきで見下ろした。どうやら褒められたわけではなさそうだ。人知れず櫻子が苦笑を零す一方で、アジュールは気を取り直したように肩をすくめた。


「まあいいでしょう。しばらくの間よろしくお願いしますね」


 ソファにふんぞり返って、足を組んで人を見下ろして言うセリフではないだろうけれど。目もくらむような美貌に笑みを湛え、お願いされたら断れない。まるで張り子の虎のようにコクコクと頷いていた櫻子だったが、依然アジュールがまっすぐに見つめてくるので、困ったように視線をうろうろと泳がせた後、


「こ、こちらこそ?」


 へらり、と笑ってやはり疑問調だ。ふつつか者ですが、と言いかけて流石に止めた。


 こうして、西宮櫻子と悪魔アジュールの平穏でいてそうでないような日々が始まることになる。

 このあと、すでに櫻子が成人していると聞いて珍しくアジュールが目を丸くするのだが、それはまた別の話。


1/4 行間に変更を加えました。

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